184 冴えないときにすること
気圧のせいにする
なんだか朝から冴えないんだけど。それをとりあえず、気圧のせいにでもしておこう。あるいは寒暖差のせいにしてもいいかも。そうだ、花粉症のせいかもね。
原因を適当にどこかに押し付けたところで、このもやもや感は去らないのだからしょうがない。とくに、気圧のせいにしたとき、いくら「気圧の馬鹿野郎!」と怒鳴ったところでちっとも改善されない。
しかし、自分に原因があると考えたら、ただでさえ冴えないのでおそらく本当の原因にはたどり着けない。もしそれができるなら、冴えている。
ところで、ここまで180を超えて毎日書いてきたけれど、いつもアドリブで書いていて、書くことにはあまり悩まない。というか、「書き始めたらぜったいに書ける」と信じていて、それは今日みたいに冴えない日でもそうなのである。だから、この文章はまったく冴えないままに気圧のせいにしながら書いている。そして、「やっぱり書き出せば書ける」と納得している。
何もしないよりは何かする
冴えないときには、できるだけ安静にしてなにもしない方がいい。下手に動くと事故のもとである。なにしろ冴えないので注意力も足りず、耳鳴りもひどいから聞き逃すこともあるので、なにをするにも向いていない。
しかし、経験上、書き出せば書けてしまうのと同じく、冴えないときも、何もしないよりは何かをした方がいいのである。行動によって、もやもやを深刻に考えないでいられるのなら、その方が圧倒的にいいのだ。
冴えない→もやもやする→何かする→失敗する。
だとしても、何もしないよりいい。
冴えない→もやもやする→何もしない→もやもやする。
失敗した方が、もやもやしているよりいい。つまり、失敗してもいいことをするのである。
この世で失敗してもいいこととは何か?
書くのが好きならこうして言葉を綴る。歌が好きなら歌う。好きなことをしても、冴えないのでちっとも楽しくはならないし、大した成果も得られない。たとえば私のように下手な絵を描く者が、こういうときに絵を描くと、自己嫌悪に陥るばかりだ。
だけど、もともと歌はぜんぜんうまくない。うまくなるつもりもない。だったら歌うのだ。歌は私にとっては最初から失敗しているので、なんの問題もないから。
人に任せる。人を巻き込まない
冴えないとき、人に任せるのは構わない。むしろいい結果を生む可能性がある。自分がなんでもやろうとする人間ではなく、任せるべきところをどんどん任せられる人なんだとアピールできる。ただ、押しつけてはいけない。相手が嫌だと言ったら、諦めること。そこからはなにも生まれない。できるだけ、冴えない自分に他人を巻き込まないことである。任せたときはどんな結果になろうと、任せたので文句を言わない。
冴えないなあ、と思っている限り、ろくな結果は出ないので、それに比べたらほかの誰がやった結果も、自分以上の好結果になるに決まっているから。そのまま、その件をその人に奪われてしまっても文句は言えない。任せたんだもの。
しかし、結果的には、冴えているときも冴えてないときも、行動と結果はそれほど違いはない。なぜなら、たいがいのことは、同じような結末を辿るからである。0.01秒差で敗れたとして、それは冴えていなかったからではないのだ。たぶん、冴えていても同じ結果だったろう。
なお、「今日は冴えていないんだ」と人に言うことはやめておいた方がいい。他人から見れば「いつもとぜんぜん変わらないけど」と思われるだけだから。
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