116 商売下手
とんでもなく売れる人
世の中には商売上手な人たちがいる。その人の手にかかると、あらゆるものが売れ、利益をもたらす。こうした才能は、同じ研修を受けたあとに、むしろ明瞭な差となって現われる。
私が社会人最初にはじめた仕事は、OA機器(コピー、FAX、コンピューターなど)の販売だった。セールスである。2週間ぐらい研修があって、その後、実際に営業所へ配属されての先輩によるマンツーマン研修もあった。
同期は30人はいたはずで、その中で2人ぐらい、いきなり社内で話題になるぐらいに売り上げた人がいた。ビギナーズラックとはよく言ったもので、その2人のうち1人はすぐに売れなくなり、やがて消えてしまった。が、残った1人はその後も売り続けた。圧倒的な差を生み出してた。
配属された営業所には3人の同期がいた。そして、同じように仕事をしているのに、1人はいつも先輩に迫る売り上げで、1人はまずまずで(私だ)、1人はぜんぜんダメだった。
これを、たとえば「トーク」のせいにするのか、あるいは「量」(訪問件数)のせいにするのか。意見は分かれるだろうが、この大昔の話では、営業所長は「量」のせいにして、めいっぱい彼に訪問先を与えて、そのうちのいくつかは所長も同行した。
私はひとり勝手にやっていたが、成績は怒られるほどではないにせよ、褒められるほどではなく、「なんとなくやってますね」であった。トップになる人には一種の「カタ」があって、得意パターンに持ち込んで売っていた。私と売れてない彼には、そんなカタはなく、成功体験も乏しかった。
こうした状態を、昭和の時代なら精神論で対処していたので、私もいずれ、いまやられている彼のような状況になるのだろうと思うと、将来はまったく見えず、だから1年ほどで辞めたわけだけど。
要するに商売下手なのである。
おちょくっているわけではない
月曜の朝、先輩たちと、営業所から離れた場所にある喫茶店で待ち合わせて、午前中は会議風に情報交換しつつそのまま喫茶店のランチを食べて解散する非公式の習慣があった。会社にバレてはよくない習慣であるが、所長は黙認していたようだ。実力のある先輩らがやっていたからだ。
夏頃には、新人たちもそこに合流するようになる。売れている1人は先輩たちとほぼ対等に話している。ぼくについては、先輩たちも放置である。売れてない彼については、先輩たちも真剣に、そしてやや暴力的に心配していた。なぜなら、彼らの経験上、こういう新人は辞めるからだ。
あるとき、先輩が「おまえ、おちょくってるんだろ」と彼に言った。口調は穏やかだが、雰囲気としてはケンカになりそうだった。「いっつも所長に決めてもらってさ。それやってたら、おまえ、いつまでたっても売れないぞ」と。
どうやらアプローチまではなんとかなって、見込み客になったら所長に相談してあとは所長が決めるみたいなやり方が定着してしまっていたらしい。
私が放置状態なのは、彼のことをみんながなんとかしようとワサワサやっていたからなのだ。つまり、彼が売れるようになったら、次は私の番である。それまでの放置にすぎない。
そうか、私はもしかすると、仕事をおちょっくているのかもしれない、とその時、気づいた。自分に言われたわけではなく、彼が言われていたのに、こっちに刺さったのだ。もしかすると、先輩たちはそういう効果も意識していたかもしれなかった。
もちろん、最初からおちょくっていたわけではない。真剣だった。ところがどれだけ真剣でも成果に結びつくとは限らない。妙なところから契約が決まることもしばしばで、だったら、あんまり真剣にやらない方がいいのではないか。やってもやらなくても成果が同じなら、やらない。それが私の考えだった。
先輩たちからは「売れない場所」と呼ばれている地域を担当させられていて、そこでも少しは売れていたので、これはもう才能というより偶然に過ぎず、努力してもムリなんだと勘付いてしまったからか、真剣にやれなくなっていた。
商才と努力
どれだけ才能があっても努力を怠れば、その報いを受ける。
「もうちょっと、こういう努力、してみたら」と所長や先輩に言われて、少しはやろうとしたものの、私は感じていたのだ。
「これ以上の努力をしないと生き残れない世界なら、もっと努力できる世界へ行こう」
こうして転職をしたわけだけど、その後、自分なりの努力をして、その努力が単なる「苦」ではない世界へ行けたのは幸運だった。努力できる場所がそこにあったのだ。
もちろん、努力しても到達できない場所があることもよくわかったのだが、だからといって嫌になることはまったくなく、夢中で仕事をしていた。
なんといっても、自分に商才はないことを自覚できた。
商売しなくちゃと思ったのは、金融・経済系の情報サイトを立ち上げて、それが多くの媒体に取り上げられたときだった。一緒にサイトづくりに取り組んだエンジニアと営業をやったのだが、結局、自分たちが期待していたような結果は得られず、最終的に情報サイトは終わりを告げた。
次に商売しようと思ったのは、ある人事系の雑誌で編集長となったときだった。スポンサーがいたので多くの広告収入は不要だったが、せめて「表4」ぐらいは広告で埋めたい。一緒に編集をしていた若者とあの手この手でやってみたものの、雑誌の制作費に見合うだけの広告収入は得られず、最終的には廃刊となってしまった。この雑誌は、自分で作って自分で潰した唯一の媒体である。
その後、個人的にアマゾンのマーケットプレイスで百冊ぐらい本を売ったりもしたのだが、これも続かなかった。いまもストアーズにイリヤEブックスの店はあり、実は3年ぐらい前に拡充しようと試みてはいたのだが、やっぱり商売下手だから、まったくうまく行っていない。
ほかの努力ならけっこうするんだけど、商売に関する努力だけは、いつも足りないのである。