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78 言葉の通じない世界

『本は読めないものだから心配するな』(管啓次郎)を読んでいる。

 『本は読めないものだから心配するな』(管啓次郎)を読んでいる。
 「心を語る指。」ではじまる節に、斉藤くるみ『視覚言語の世界』が登場する。音声を使わず、手で伝える。手話が一般的だが、アメリカ・インディアンが情報交換のために手話を発達させていたという。
 なるほど、それ以外にたとえば声を出せない状況で猟師たちが、サインで示す言葉がある。戦争やテロの映画などで、犯人たちが立てこもる建物に、特殊部隊が突入するようなシーンでは、指や手、目での合図が重要になっていく。
 私は、これまで雑誌づくりや本づくり、出版に携わってきたから、言葉を通して伝えることに夢中になってきた。だけど、ふと顔を上げてあたりを見回すと、確かに非言語によるコミュニケーションは多岐にわたっている。
 昔の話になるが、「ジェスチャー」というゲーム番組が人気だった時代があった。「●●をしている××」といったお題を託されたひとりが、言葉を使わず身振りで自分のチームにその言葉を当てさせる。そのゲームを毎週やっている間に、「置いといて」など、同じ仕草で意味を持たせることが定着もし、しだいに文章っぽくなっていった。やればやるほど、決まり事が定着していくので、当てやすくなってしまうので、恐らくこの番組は終わったのではないだろうか。
 そしてもし、手話を取得している人同士なら、それはジェスチャーに頼ることなく、もっとスムーズに伝わっていくことだろう。
 幼い頃に「忍者部隊月光」をよく見ていたので、仲間と忍者部隊ごっこをするのだが、当然、そこでも手によるサインを使って命令するシーンがあり、みなそれをやりたがった。別に敵地にいるわけではないので、しゃべればいいのだが、なんとなく手ぶりで伝え合うことがおもしろかったのだ。

タブーの出現

 ところが、私たちは、言葉にしたくない意味として、手や指の仕草を使うことがある。私の経験では「指をそういう風に立ててはいけない」と教えられ、むしろ使ってはいけない、タブーが存在すること知った。誤解されたくなければ、相手をバカにするようなサイン、相手を侮辱するサインはやってはいけない。しかも地域差があり、関東と関西では違う可能性がある。まして海外ではさまざまな危険なサインがある。
 こうなると、うかつに指や手でなにか意味ありげな仕草をすることは、命取りにもなりかねず、「やめておこう」となる。
 言葉が通じる相手じゃない、といった時もあるし。
 だが、言葉が通じないなら、やはり身振り手振りだろう。海外で、メニューを示して注文するのもその一種だ。ところがたいがい、メニューを示しただけではすんなり終わらず、相手は早口でなにかを言う。「それは二人前だが大丈夫か?」とか「とても辛いけどいいか?」とか、さらには「それは私もオススメです、いいチョイスです」ぐらいのことだったりするのだろうけれど、身振りだけではどうしても限界がある。
 しかも、万が一、相手に失礼な身振りや手ブリをしてしまって、いきなりぶん殴られたらどうしよう、と不安になってくる。
 やっぱり語学を勉強しておかないとダメだよね、となる。

犬との意思疎通

 これまで私は通算、五匹の犬を飼ってきて、いま五匹目は七歳である。犬はまったく言葉をしゃべらない。「おはようって言った!」と勘違いすることはあっても、しゃべってはいないのである。
 そしてこのいまの犬との意思疎通は、過去経験したことのないほど語彙が豊富である。犬はしゃべらないが、お腹が空いたらご飯をもらう場所に座って動かない。あるいは食事に必要なタオルをじっと眺めて動かない。なにか言いたいときはトイレに行く。トイレに入ると必ず誰かが注目してくれるからだが、トイレ以外にもそれを使うのだ。
 時間的にそろそろトイレではないかと「トイレじゃないの?」とトイレへ行かせようとしたら、「違います」の伏せをする。伏せてこちらを見るのは「違いますよ」「私は違うことを考えていますよ」という合図である。
 このほか、スマホに着信があったのに、スマホから離れていて気づいていないと、じっとスマホを見ている。乾燥機が止まった合図が鳴れば、寝ていてもやってきて、知らせる。一緒に寝たいときは、ソファでテレビを見ている私に向かってきて「寝ましょう」と誘う。こっちが立ち上がると率先して寝床へ向かう。
 遊びたいときもそうだし、遊びたくないときも仕草で示す。
 妻は突発性難聴となって右耳がほとんど聞えない時があり(いま少し回復しているらしい)、聴導犬のように合図を送ってくれると感謝している。私も突発性難聴となって右耳はかなり悪いけれど、犬からすれば、私より妻が大事なので(食事の世話はほぼすべて彼女だ)、妻とのコミュニケーションがとても発達している。
 かといって、それは以心伝心ではない。
 間違いなく、心は通っている。とはいえ、「腹減った」とか「なにか欲しい」といった気持ちを、犬はテレパシーではなく具体的な行動で示す。それが言葉になっている。
 これは、人間でもやっていることかもしれない。「私がここでこれをしているときは話しかけないでください」と示すことのできる人がいる。あまり親しくない人でも、なんとなくそれが伝わる。その人が、そこにいるということは、集中できないのだな、あるいは気持ちを切り替えたいのだな、というのがわかることもある。
 私たちは、文字にならない言葉で、日々、なにかを伝え合っている。そしてそうした非言語のコミュニケーションは、歴史に残ることなく消えていってしまうものなのかもしれない。

 
 
 
 

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