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私の想像していなかった未来

 2020年、コロナ騒動が勃発した。
 全てがここから変わった。

 それまでの私と言えば、1985年にカメラ会社に入社して以来、カメラの開発を20年、その後は医療分野に2年半、新規事業部門に数年、その後は企画部門(事務局業務などの縁の下の力持ち部門)に所属し、高く評価されることもなく、どちらかと言えば冴えない、平凡な会社員だった。

 家庭では結婚して2人の子どもがいたが、妻とは随分前から仲が悪く、下の娘は中学生になった瞬間から口を一切聞いてくれなくなっていて、家で落ち着ける場所は自分の部屋だけだった。

 生活における楽しみは2つ。
 1つは週に5回の卓球の練習。もう1つは、月に一度、娘の通っていた保育園に写真を撮りに行くことだった。私は子どもが大好きで、写真は大学生時代から始め、子どもや女性などをずっと撮ってきていたので、保育園の写真係を任されていた。数年前から、卒園写真集を作るまでになっていた。

 ところが2020年の3月になると学校が臨時休校になり、私が写真を撮っていた保育園も、部外者を園舎に入れないことにしたため、撮影ができなくなってしまった。4月には緊急事態宣言が出た。それが解除されれば撮影もできるようになるのではないかと期待していたが、いつになっても状況に変化はなかった。
 この年に卒園写真集を作る予定だった子どもたちは、私が特に大好きな子どもたちばかりで、たくさんのいい写真を撮らせれくれていたので、卒園写真集を作ることを何年も前から楽しみにしていた。それを作れなくなることはとてつもなく悲しかった。

 もう1つの楽しみである卓球も、全ての練習が中止になった。唯一の運動である卓球が禁じられ、体が悲鳴を上げた。卓球をしたくて仕方がない!自宅で卓球の練習をできる器具を買って使ってみたが、気休め程度にしかならず、卓球をやりたい気持ちが募っていった。

 私は、9.11が米国政府による自作自演であることに気付いて以来、世の中の裏を徹底的に調べるようになっていた。なのでコロナ騒動が起きた際も、支配者が繰り返し何度も起こそうとしてきたパンデミックを起こしてきたことにすぐに気付き、彼らの狙いや、コロナ騒動の実態を解明すべく、Facebookを中心に情報収集と発信を行なっていた。
 感染者情報やPCR検査の仕組みを調べてみると、新型コロナは全く怖くないものであることが分かった。集めた情報を何ページかの資料にまとめ、保育園に説明に行った。
 園長と理事長は私の説明を一応は理解してくれたものの、様々な事情から撮影許可は出せないとのことだった。その後、もう一度説明に行き、それでもダメだったので、その後はメールで資料を送り付けていたところ、ある日、保育園からメールが入り、「今後は撮影させることはありません」と、まさかの出入り禁止通知だった!(想像していなかった未来①)

 その後は、Facebook上に、新型コロナの真相を追求するためのグループを作り、自作のパネルを用意して、街頭で通行人に向かってコロナ騒動の真相を伝える活動(街宣)にも参加するようになった。(想像していなかった未来②)
 卓球仲間や会社の同僚にも資料を渡しながら情報を伝えた。

 2020年1月、夕飯の時だった。普段は会話のない妻が「話があります」と言ってきた。妻から話しかけてくるときは私にとっていい話でないことは分かっていたが、このときは身震いするような圧力を感じた。
 「感染対策をする人とは一緒に住めません。1か月以内に出て行って下さい」。

 夫婦仲は10年以上前から徹底的に悪く、将来的な離婚は既定路線ではあったが、娘がまだ中学生だったので早過ぎると思っていた。そこで、「そうは言っても子どもの意見も聞かないと」と言って子どもたちの顔を見ると、薄ら笑いを浮かべている。話が付いていることを察した。

 子どもを引き取らなくていいことになったので、一人暮らし用のアパートを探し、1か月後に家を出た。(想像していなかった未来③)

 妻から離婚を言い渡された頃、会社が早期希望退職者の募集をしていた。
 当時の私は58歳で、子どもの学費を稼ぐために定年退職後も再雇用してもらうつもりでいたので応募するつもりはなかった。
 しかし、独り身になり、生活費も余り掛からなくなるし、退職に文句を言われることもなくなった。蓄えがそれほどあったわけでもなかったが、追加の退職金の条件が非常に良く、老後資金は何とかなることが分かり、退職に考えが傾いて行った。そして何より、このコロナ騒動を私は人類にとっての最大の試練であり、私の人生においてもクライマックスだと感じていたため、仕事に使う時間がもったいないと常々思っていたのが決定打となり、退職を決めた。
 仕事の引き継ぎのため、実際の退職は6月末になったが、人生で初めて「やらなければいけないことのない日々」を送ることになった。(想像していなかった未来④)

 この後は、コロナ騒動の真相を伝える活動に全力投球することになり、その中で

・Facebookの私のグループのメンバーだった女性と知り合い、1年間お付き合いする。向こうは恋愛感情に至らなかったが、ひたすら楽しくて夢のような時間だった。(想像しなかった未来⑤)

彼女は私のツインレイだと思っている。

・私のコロナ離婚がニュースゼロなどマスコミ4社に取り上げられた。(想像していなかった未来⑥)

・コロナ騒動の真相を解説した本「新型コロナ真相謎とき紙芝居」を出版。(想像していなかった未来⑦)…下はその1年後に出した増補改訂版。

・コロナ替え歌を4曲作り、3曲をスタジオレコーディングし、SNSにアップ。(想像していなかった未来⑧)

・コロナ仲間が開催したカラー診断講座の講師の方から髪を伸ばすように勧められ、人生で初めて髪を伸ばし始めた。(想像していなかった未来⑨)

左の髪型で59年間生きてきたことを後悔している。🤣

・コロナ関係の音楽イベントで、ステージに上がりコロナ替え歌を歌う。(想像していなかった未来⑩)

・2023年7月に出版した2冊目の本「陰謀論者と呼ばれて」の出版記念講演会を何度か開催。(想像していなかった未来11)

・コロナ活動仲間による自主制作映画「レターパック裁判」の制作者兼監督から声が掛かり、ちょい役とスチルカメラマンを担当。高樹沙耶さん、元クリスタルキングの田中昌之さんと共演することに!(想像しなかった未来12)

 コロナ前は全く無名の冴えないサラリーマンだったのが、今はコロナ活動仲間の中では多少は名を知られ、講演会や勉強会で度々講演や講義をし、今後はさらに幅広いテーマで執筆活動をしていく予定であり、全く想像していなかった人生を歩むことになった。

 コロナ騒動が始まってからは人生の密度が100倍以上になり、ひたすら楽しいだけだが、これからもさらに想像外の人生が待っていることだろう。
 コロナ騒動が始まってから感じたもうひとつのことは、自分のイメージしたことが次々と、しかも即座に現実化するようになったことだ。
 以前は想いが足りなかっただけなのかもしれないが、コロナになってからは、「やりたい!」「こうなって欲しい!」と思ったことが、数日も置かない間に現実化するのを何度も経験した。その結果、人生がどんどん展開していくのだ。しかも自分の望む方向に。
 スピリチュアル界隈では色々と言われているようだが私にはよく分からない。しかし世の中のフェーズが変わったと感じていることは確かだ。あの世では、思ったことがその瞬間に実現すると聞く。その方向に次元が近付いたのではないだろうか?これを「次元上昇」と言うのならそうかもしれない。

 人類の歴史の大転換機に生きていられることに感謝しつつ、これからの世界を目一杯楽しんでいくつもりだ。


▪️「新型コロナ真相謎とき紙芝居増補改訂版」
https://note.com/honkakuhanonote/n/n565b20d0dca5
▪️「陰謀論者と呼ばれて」
https://note.com/honkakuhanonote/n/ne9994dbdad08
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