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支配者との闘いの記録〜9.11で気付き、3.11で本気になり、新型コロナで全力投球になった

 現在は、仕事を辞めて支配者との闘いに全力を投入している私の、支配者との闘いの歴史を振り返ってみる。

9.11同時多発テロ(自作自演テロ)

 9.11は私の支配者との闘いの原点であり、スタートだった。
 私はツインタワーの1棟目が燃えているところの生中継を見ていた。そして2棟とも相次いで見事に崩壊した。
 これを見て「これは制御解体だな」と思った。アメリカの、制御解体を扱ったテレビ番組を見たことがあったので、そのやり方、きれいに真下に落とすことの難しさを知っていたので、2棟ともにたまたまあんなにきれいに崩れるわけがないことを知っていた。
 私はカメラの開発をやっていた機械系の技術者なので、技術的な話は大抵は理解できる。

 ただ、この時点では、まさか米国政府が自らビルを爆破するとは想像できなかったので、イスラム過激派が何らかの手段で事前に爆弾を仕掛けたのだろうと能天気に考えていたように思う。少なくとも、政府自身が犯人だとは考えていなかった。まともな人間であれば、自作自演をやるにしても自国民を大量に殺すようなことまではやらないだろうと考えていたのだと思う。実際は彼らは普通の人間ではなかったようだ。

 ピッツバーグに旅客機が墜落したと言われる現場には、飛行機の残骸も乗客の遺体も、一切の証拠が見当たらなかった。「墜落?何を言っているの?」と強烈な違和感を持った。
 事件の翌日辺りから、ビルの崩壊映像をアメリカのテレビ局が流さなくなった。「刺激が強過ぎる」との理由だ。「怪しい!」と思った。
 アメリカ政府は何かを隠しているとは感じていたと思う。

 その後、米国がアフガニスタンに攻め込もうとしたときは、「アメリカに散々迫害されたから反撃しただけであって、元はと言えばアメリカに問題があるのだから、その根本原因を除去しないで「奴らが悪い!」と攻撃するのは、まるで西洋医療の対処療法のようなもので納得できない!」と思っていた。それほど、イスラム過激派による犯行だと信じていた。

 2004年頃になって、本屋でベンジャミン・フルフォード氏の9.11は米国政府の自作自演だと主張する本を見つけ、「やはりそうだったのか!」と衝撃を受けるとともに、世の中で流れるニュースの多くは「嘘」であり、世の中はニュースで伝える姿とは全く別のストーリーで動いていることを悟り、世の中の裏を徹底的に調べるようになった。

 この頃のSNSはmixiが主流だったので、私もmixiで9.11の真相を解明するためのグループに入り、情報入手と発信をしていた。するとそこに、支配者側の工作員と思われる人物が多数入り込み、盛んに我々を攻撃してきた。ほとんどは誹謗中傷の人格攻撃だったが、1人だけレベルの違う工作員がいた。
 名前を今でも覚えている。女優のパリス・ヒルトンをもじったハリス・ピルトンという"男"だ。
 この男は崩壊したビルの瓦礫から検出された成分などに関して、技術的に非常に専門的な知識を持っていると見え、我々の投稿に長文の科学的な反論を書いて来た。更に、こちらの投稿が深夜であっても、10分と経たずに返してくるので、起きている時間中はずっとネットに貼り付いていると思われた。

 そんな闘いをしばらく続けていた。

 9.11は極めて杜撰な計画で、アメリカ政府の公式見解を覆すような物的証拠と状況証拠を山のように残した。アメリカ人であれば、大半の人が嘘に気付くのではないかと思われるレベルの簡単な謎ときだったが、日本人にとっては所詮他人事、9.11の真相に関心を寄せる人間は極少数だった。

 この頃、小さかった息子に、「パパはパソコンで悪い奴らと闘っているんだよ!」と話していた。🤣

3.11東日本大震災(恐らく人工地震)

 9.11の後、世の中の裏を懸命に調べていたこともあり、2011年には裏の情報をかなり入手できるように、なっており、日本政府がアメリカから脅されているとの情報が入っていた。当時の菅総理が、「言うことを聞かないと日本を攻撃するぞ!」と脅迫されたとの情報をどこからか聞いていた。2007年6月16日の上越沖地震が確かアメリカによる人工地震攻撃だったと記憶している。

 そして2001年の3月11日、私は当時の会社が出展していたブースのアテンド(説明員)としてビッグサイトに来ており、3日間の会期の最終日だった。
 休憩で通路に出て、缶コーヒーを飲んでいる時だった。体がゆっくりと揺れたような気がした。「疲れているからめまいかな?」と思ったら周りのみんなが騒ぎ出した。東日本大震災だった。

 異様に長く続く、かなり大きな地震だったため、私は「やって来たな!」とピンと来た。これは支配者による日本への攻撃だと直感した。

 展示会は打ち切りになり、会場のコンビニの食料、飲み物、携帯用のバッテリーなどは即座に売り切れた。会場が海のすぐ近くであり、海には近付かないようにアナウンスが流れた。

 この日は交通機関が全て止まり、ビッグサイト近くのホテルも全て宿泊を断ったため、野宿するか歩いて帰るかしか選択肢はなかった。どちらも嫌だった私は、自転車を買って自転車で帰ることにし、津波が来ないか気にしながら、2時間ほど掛けて歩き回って良さそうな自転車屋を見付けた。同じように考えた客が数人はいたため、自転車をすぐに受け取ることはできず注文から2時間ほどして自転車を受け取った。店員さんによれば、この日は1年分の注文が入ったそうだ。
 人と車で埋め尽くされた都心部を1時間掛けて抜け、合計3時間を掛けて小平市の自宅に辿り着いた。納車を待つ間、近くのビルの1階の飲食店のテレビで流れていた、津波や火災の様子に、この世の終わりを予感させられたことを鮮明に覚えている。

 この後、電源を全て失った福島第一原発の爆発により、日本は滅亡の寸前まで追い込まれた。
 私はAmazonでガイガーカウンターを、法外な20万円で入手(通常は3万円程度)。いざとなったら放射線量を測定しながら、安全な場所に避難することまで想定した。

 3.11では、政府の発表への不信感、地震の異常な長さと、3連発という聞いたことのないパターン、原発の安全管理をイスラエルの会社が請け負っていることなど、いくつか怪しい点はあったものの、9.11ほどは公式発表が嘘である明確な証拠がなかったにも関わらず、9.11で目覚めなかった日本人の多くが、我が身に危険が及ぶに至って、世の中のおかしなことに気付いたようだ。
 その意味で3.11東日本大震災は、日本人の真実への目覚めの第一歩だったと言っていいだろう。

 3.11の後、私は原発関連の本を20冊以上も買い込み、3号機の爆発の原因の検証、人工地震かどうかの検証、地震のメカニズムの検証、気象兵器HAARPの調査などに取り組んだ。

 自分の家族、実家の仙台に住む母親、そして日本人全員に命の危機が及ぶに当たって、私の危機感はMaxに近く高まった。事故後、福島を何度も車で訪れて放射線を測定したり、宮城県の津波被災地を訪ねたりした。
 第一原発のデブリ取り出しと廃炉作業がいつまで続くかは分からないが、それでも今にして思えば3.11は私の中では単発の事件でしかなかったようだ。「日本が更に攻撃される!」との強い危機感までは持たなかったように思う。

新型コロナ偽パンデミック

 ところが新型コロナパンデミックは違った。
 感染対策と称して経済が止められ、甚大な被害が出ていた。大人も子どもマスクをさせられ、行事やイベントを潰され、あらゆる楽しみを奪われ、家族や仲間との繋がりを寸断され、国民全員が窒息しそうだった。

 そこに得体の知れない遺伝子ワクチンなるものが登場し、多くの重篤な被害者を出しながらも治験が継続され、まさかの特例承認で市場導入されてしまう。

 遺伝子ワクチンは危険極まりない技術であり、治験も全く終わっていない。遺伝子ワクチンはワクチンではなく、遺伝子治療、あるいは生物兵器だと言っている専門家もいた。
 遺伝子ワクチンを打ったら、人類は滅亡するのではないか?と言うくらいの危機感を私は抱いた。

 何とかして日本人に真実を伝えなければいけない!子どもにワクチンを打たせては絶対にダメだ!

 2020年の頭からコロナの情報収集と発信を行なっていた私は、2021年6月末に会社を退職し、コロナ活動に全力投入することにした。私の直感が、コロナ騒動は人類史上最大の危機であり、人類の存亡が掛かっていると警告していた。
 支配者が長い年月にわたって計画し、着々と実行して来た、人類支配計画の最終章に差し掛かっていることを私は感じていた。
 コロナ騒動が終わっても、もう2度と元の世界に戻ることはなく、支配者による計画、攻撃は休むことなく続き、その結末は、我々の勝利によって訪れる平和で安全な世界か、支配者の支配が完成した、奴隷として生きることになる徹底的な管理社会しかないと思った。

 私は、我々の勝利が確定するまで、闘い続けることを心に決めた。
 ただし、私の武器は、キーボードを打つ指だ☝️だ。暴力に訴えることは永遠にないだろう。

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