スラヴォイ・ジジェク「分断された天」を読んで
『分断された天』はスラヴォイ・ジジェクという人が、二〇二十年から二〇二一年に世界中でおこったことについて書いています。
このまえに『パンデミック』と『パンデミック二』と二さつ出しているそうですが、読んでないのでわかりません。
なんでこの本を読もうかなと思ったのは、この本を書いたスラヴォイ・ジジェクのどうがをユーチューブで見たことがあるのですが、そのときに「このおじさん、おもしろいなあ。」と思ったからです。
ジジェクの本は読んだことがなかったのですが、この本を本やさんで見かけたとき、せっかくだから読んでみようかなと思ったので、買うことにしました。
あともうひとつ、この本は新かんコーナーにおいてあったのですが、となりにおいてあったのは、「日本すごい」とか「中国はおしまいだ」みたいな本ばっかりで、「この本を買わないと、本やさんは日本すごいみたいな本しかおかないぞ。」と思ったからです。
まず『分断された天』というだい名ですが、毛沢東という人が言った「天下大乱、形势大好」をもじったものです。
なんて読むのかわかりませんが、「天の下のすべては大いなる無秩序の中にある。この状況は大いに好ましい」といういみらしいです。
なんで毛沢東がこんなことを言ったのかというと、きぞんの社会ちつじょがほうかいしつつあるときのむちつじょじょうたいこそ、かくめいせいりょくがせいけんをにぎるチャンスになるからだそうです。
ただし、ジジェクはこれにたいして「今の<天>の下は大いなる無秩序があるけど、これって「大好」なの?もしかしてじめつするかもしれないよ」と言っていました。
そもそも毛沢東がいっている天というのは、安定した彼岸のようなものですが、ジジェクが言うには「<天>それ自体を「無秩序の中」にあるものとして考えなければならない。」そうです。
さらにジジェクは『引き裂かれた空』というお話から「違うわ。空こそが最初に分断されるのよ」というせりふを引っぱってきてます。
つまり、地上で起こっている分だんというのは、わたしたちがくらしているうちゅうそれ自体の、はるかに根本的で排他的な分断に根ざしているそうです。
わたしは、ここを読んだときに「そうか、そういうことなんだな。」となっとくした気になっていましたが、こうやってかんそう文として書こうとしたとき、うまく書くことができなかったので、じつはよくわかってなかったんだなということがわかりました。
『分断された天』はいまもコロナで大へんなことになってるからか、コロナにかんする話がおおいです。
ほかにボリビアという国のせんきょの話とかしてたのですが、わたしはこのことをしらなかったので、もうちょっといろいろな国のことをべんきょうしないとダメだなあと、なんだかはずかしくなってしまいました。
そういえば、この本ではいくつかラムシュタインの話をしています。ラムシュタインというのはドイツのバンドなのですが、なんでもナチスを思わせるようなことをやっているそうです。
ドイツがナチス・ドイツだったころ、ヒトラーという人が、たくさんのユダヤ人をしなせてしまうというわるいことをしたから、いまのドイツではナチスをほめたりするようなことはきん止されています。
それにもかかわらず、ラムシュタインはナチスっぽいことをやっているのでひなんごうごうみたいです。
でもジジェクは「ラムシュタインはべつにナチスをほめているわけではなくて、あえてナチスっぽいことをやることで、内がわからナチスにたいするあこがれをこわしてるんだよ。」ということを言っていました。
ほかにも、『ダライ・ラマ』という歌の『死ぬまで生きなければならない』という歌しを引っぱってお話をしてたのですが、コロナで大へんなことになっている今だからこそ、これが大じなんだよ、というようなことを言っていました。
そういえば、わたしの家にこの歌が入った『ライゼ・ライゼ』があったような気がしたので、あとでさがしてきいてみようとおもいます。
コロナのほかにも、今せかいではいろいろ大へんなことがおこっていますが、だからこそ、この『分断された天』をたよりに、じっくりと時間をかけて考えていかないと思いました。