老いてとろけて解けていく
私が何年も前に「大人の塗り絵」を贈って以来、祖母は冊数を重ねてずっと続けていて、会うたびに同じセリフで感謝をされる。
「ボケ防止にいいのよ」
「お金がかからなくていい」
10分の間に10回は繰り返す。
「お金がかからなくていい」はより繰り返す。
父方のばあちゃんの口から時折溢れることがあったが、その世代はほんと、「難民」だったんだなと思わされる。
自分で紡ぎ出す、ストーリー。
ストーリーを(紙芝居ではなく)言葉で綴るとき、それは必ず線的なものになる。どこか一つの音をスキップして飛ばすことはできず、ノートの上や自分の頭の書かれたとおりに、順々に発音される。
方や、〈自分〉自体も、ストーリーによって常に既に目の前に現れている。
記憶と自分は、鶏と卵。
〈自分〉が揺らいだ若者は、言葉を失うし
〈言葉〉を失う老人は、私/記憶を失う
祖母は、年々ほろほろ解けてきてはいるけれど、それでも
毎日決まって、数時間集中して、
自分の頭と心と指を使い色彩とたわむれているから
ゆるやかに、自然なスロープで
解けていっているように思う。