育成支援に必要なのは一本のエクスキャリバーより, 魔法の杖.
本日研修最終日. 4日間の缶詰研修が終わったところで, 研修中に考えていた「疑問」をころころ転がしながら書く. 育成支援において独自の視点が必要であると思ってもいて, 学童の先生とやらの個性が豊かなのは従順承知の上で考える視点.
育っていく子ども達が, 先生のキャラによって変わっていくことを思うとまぁ簡単に考える訳にも行かないわけ. ( 学童クラスの雰囲気が先生によって変わる. というのはすなわちココである. )
他の人のことはとりあえず触れずに, 僕の視点から見る育成支援の話をする.
結論から書くと, 普遍性のボーダーラインから溢れ落ちる人を掬い上げる vs 遊牧の管理統制する vs 環境設定と道具を作って動かす が起きる.
熟練のベテランや現場人間は前者2つの傾向が強いと思っていて, だからこそ先見の知恵と嗅覚と手芸が巧みでありどんなにカオスでも最後はウルトラCで束ねる手の業が素晴らしい.
後者の方は, いわゆる社会デザインの話と思えば分かりやすいかもしれない.
棲み分ける環境から人は影響を受けるし, 道具を用いて生活をしていると“発揮できる力量”は道具によって支配される. 事務所内の作業量はPCへの感度と適応力によって左右されると考えるとわかりやすいかも知れない. それでも分からない人は, 市役所に行って観察してみよう!
ここまで読んで下さった方々にはお分かりの通り, 僕はこの視点で育成支援に従事している.
子ども達のコンヴィヴィアルな遊び道具を作るのは勿論だが, 支援員が少しの余白を持って現場に従事できる道を探したいのだ.
保育だけの話ではないが, 人的資本も雇用条件も何もかも足りない議論ずっと続けてきた. そして, 「知恵を絞ろう」作戦も実行した筈だ. 先人の方々が苦労と挑戦を重ねて延命治療的方法でここまでやってきたのだろうと現場でよく思う.
デジタルネイティブな我々以降の世代. 僕たちにできることは, 共に働く仲間達をいかに重量を軽くするか. それはデータ分析, 解析, 実装やアフォーダンス, 専門性の援助. かも知れない.
支援員をアップデートし, 子どもたちの可能性を加速させる.
実装すべきはエクスキャリバーより, 魔法の杖だ.
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?