全てをビジネス思考化する罠と,戦略を立てないと辿り着けない迷子.
昨晩の友人との会話が気にかかって, 想起しているとフレームワークの罠にかかっているからだと気がついた.
以前どこかで, 何かをやる事を決めたのなら同時に何をしないかを決めることがキモだと僕は思っていると話をした.
友人と会話していたのは, 自分探しの旅に出て迷子にある人が大多数いるけれど, 寺に籠って空白と自問の精神と時の部屋を意図的に作った方がいいんじゃないか?という談議.
でも僕は, この自己分析方法に違和感を感じたのだ. たしかにやりたいこと自由研究を大事なのだけれど, それと同じくらい, 合理的,論理的な部分を使わない, 着地させない発酵もあっていいのでは?と.
白黒つけたがる割には, どうしてそうなった的なC何度の着地をキメるのが日本の官僚というか叔父様方の得意技であり奥義だと認識しているの無理くりフレームワークに当て嵌めなくてもいいのではないだろうかと思うのだ. そうだ, このカオスさこそ発酵島国の特異点だ.
話を戻すと僕が言う, “何をしないかを決める”とはフレームワーク的なものではなくてただ“ less is more ”でありながら無駄も据え置くことで自然と形作られていくのを待つ姿勢にある.
「思考をクリアにする為の」とか「よりシンプルに」とかそんな目的と手段の連結は放っておいて, ただ“在る”に委ねる.
そこから決めればいい. やりたいこと迷子がいけないみたいな風潮も要らない.