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尊ばれないものは忘れ去られる。寧静致遠に歩んでいく。
昨日はエスノグラフィックな視点で書いた旅の記録。今日は個人的な体験を書き留めておこうと思う。
この演劇祭へのエントリー自体が挑戦だったのはいうまでもないけれど、このところは触れないでおく。前から少しずつGuitarist のかせいくんと進めてきたプロジェクト。僕も彼も成長を望んでいたし、まだまだできることや何かが生まれてきそうな“窺知”があったと思う。
腹の底から呻いていた何か。でも多分彼も僕もそれを求めてこの地に来たわけではない。それは確か。自分達の使役を全うする中に起こる葛藤。音楽がどんな風に響き渡って振動して合えるか。カセイくんと現場を見ながら、ジャンルもフィールドも異なるアウェーの中で戦う覚悟だけが湧いてきた。
毎晩、毎休憩、相談し考えて試す。このサイクルを繰り返しながら、ただあの時は必死に持てる手札で勝負することだけを考えてた。
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勝ち方よりも負け方を。不特定多数より数名と感動を共有し合う。音楽を奏でるために作られたわけではない空間で、音楽ができるという喜びを噛み締めて。自信、自分を信じるというより今を生き抜く。生かされている今を活かす。まだ出会ってない1秒先のイメージの向こう側へと。
直感から直感を紡いでロジカルに組み立てつつ、直感を妨げる要素を捨て続ける。可能性を感じ続けることができたのは自分の中に在るものを掘り続けたから、探し求めたからだと思う。
でもこうやってつらつらと書き連ねている心の変遷を省みるに、かせいくんの存在に改めて感謝を感じている。集中する為の環境を整えてくれたのはかせいくんの気遣いがあってのこと。これだけの対話と試行錯誤を逃げずに向き合って共に挑んでくれたのは彼だからこそだろう。この器の大きさ。和田山駅から見た山の存在に感じた圧倒的な悠然たる佇まいのような姿勢。沢山の学びをありがとう。
スタッフの方々にも感謝を申し上げたい。旅館の女将と大将にも。
昨日も書いたけれど、その地を想えば想うほど自分にも還ってきて自他共に共生を感じるこの文化の循環さ。
つまるところ、最高のパフォーマンスを考えているうちに地域に住まう人々のことを想うようになっていったこの過程こそ生への是認ではないか?祝福ではないか?忘れ去られてしまいがちな感動を共有し合えることではないか?
他をして自に同ぜしめてのちに、自をして他に同ぜしむる道理あるべし
瞬間的に消費されない語り継がれうる感動。尊ばれないものは忘れ去られる。寧静致遠に歩んでいく。
心を尽くして主を信頼し、自分の思いには頼らず常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば、主はあなたの道を導かれる。
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