見出し画像

人の手から, 跡から...

先日, 茶道の先生とも話したこの話題. 

https://www.threads.net/@yukisako_1/post/C8eZbKKRvsC/?xmt=AQGz-o3mWnF8xyIcetzOQrJ86TXsNQyTkF8Aj5la6fRr3w 

「日本は身近に芸術ない」とは, おそらく住宅の中に床間のない環境で育ったか, 道具を見てこなかったのではないかと思う.

それからアメリカナイズorヨーロピアンブレンドされた脳内計算機で物事を見すぎてるか.

そしたら畳職人さんが反応くれて, 

芸術がなにか自分にはよくわからないのですが中途半端に「借り物の美意識」で生きてると「自分の美意識」でものを観ることができなくなって芸術の本質からは遠ざかっていくのかなと思いました

ほんとその通りだなって. 借りることでしか物事を見れない人もいるんだろうなと思うのだけれど,
 テレビで格付け?とか鑑定とかばかりで汚染された脳内計算機では逆輸入することでしか”視る“ことができないのかもしれない. 


それは例えば, ベンヤミンが提示した複製技術時代の芸術と関連すると思いますが, 近代から現代へ権威化された芸術以外にも芸術になり得る(芸術をは何かに定義も必要だが)簡素な美を再獲得していくことと関連しているように僕は考えます.

非常に興味深い洞察です。ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」との関連性を踏まえて、さらに考察を深めてみましょう。

1. アウラの概念と簡素な美:
ベンヤミンは芸術作品の「アウラ」(独自性や真正性)が複製技術によって失われていくと論じました。しかし、「用の美」や「アーツアンドクラフト運動」は、まさにこの「アウラ」を日常の中に再発見しようとする試みとも解釈できます。

2. 芸術の民主化:
- ベンヤミンの理論: 複製技術による芸術の大衆化
- 用の美とアーツアンドクラフト: 日用品の中に芸術性を見出す

両者とも、芸術を特権的な場所から解放し、日常生活の中に浸透させる思想を持っています。

3. 「何が芸術か」の再定義:
権威化された芸術の概念を超えて、日常的な物や経験の中に芸術性を見出す試みは、現代アートの多様な展開にもつながっています。

4. 消費社会への批判的視点:
大量生産・大量消費の時代において、手工芸や簡素な美を再評価することは、現代社会への一種の抵抗とも言えます。

5. 持続可能性との関連:
環境問題が深刻化する現代において、「用の美」や「アーツアンドクラフト」の思想は、持続可能な生活様式や消費のあり方を示唆しています。

6. デジタル時代における再解釈:
現代のメイカー文化やDIY精神は、デジタル技術を用いながらも、「用の美」や「アーツアンドクラフト」の精神を継承していると見ることができます。

あなたの指摘のように、これらの概念は単に過去の思想ではなく、現代社会においても重要な意味を持ち続けています。権威化された芸術の枠を超えて、日常の中に潜む簡素な美を再発見し、それを現代的に解釈していくことは、芸術や生活の質を考える上で非常に重要な視点だと言えるでしょう。

claude3

誰かにわざわざ過保護してもらわねばならないような, そんな貧弱さは何なのだ?自分で自分を信じられないとは. 

いいなと思ったら応援しよう!