感受性も、仕事も、自分じゃない誰かがいて、自分じゃない誰かといて、はじめて成り立つもの
感受性とエバーグリーン
そんなものはとっくに失ってしまっているよ、
と諦めていたんじゃなかったっけ?
なのに、毎日まいにち傷ついて、いらいらして
負の感受性だけは、いたって敏感です
学生のころ、親戚のおじさんが言っていたのを思い出します
「最近の若い子はみんな同じに見える」と
今の僕は、それがよく理解できる
TVに映った隣あったアイドルグループ 誰が入れ替わっても、
わからない
毎日通うコンビニの店員が昨日辞めて、今日は違う子だったとしても、
わからない
きっと、気付かない
みんな、おなじかお
誰かと誰かの区別が、つかない
そりゃそうだ
だっておれ、ひとの顔見て話してないもん
* * * * *
僕は毎日、誰とコミュニケーションとって、誰と仕事をしているんだろう?
はたらくってなんだろう?
さすがに同僚の顔と名前は知っているし、
誰かと入れ替わったら、そりゃあびっくりするし、
ただ、人の顔を見て話をしていないことにやっと気付く自分にあきれたというか、情けないというか…
うそ、それは嘘。
人の顔を見ないで話をすることに、ほんとうは気付いていた
気付いていながら、気付いていないふり
人が怖いからなんて、言い訳みたいに自分に言いきかせて
ただ、自分が、かわいいだけの、ただの、わがまま
右も左もわからなくて、「すみません」が口癖みたいになったころ、
先輩の顔から、機嫌の良し悪しを読み取ろうとしていなかったか?
”お客様”という呼び方に恥ずかしさやこそばゆい感じがしなくなったころ、
僕はお客様の顔を、きちんと見ていなかったか?
業績も、働き心地も、きちんと目標立てて、今よりもっともっと会社を良くしたい
そんな今は、同僚の顔も見ていないのか?
感受性は、自分じゃない誰かがいて、はじめて成り立つもの
しごとも、自分じゃない誰かがいて、はじめて成り立つもの
家族だろうが、恋人だろうが、同僚だろうが、友達だろうが、ペットだろうが、観葉植物だろうが、ノートパソコンだろうが、石ころだろうが、
発信者がいて、受信者がいる
発信者が意図的に発信しなくても、受信者は、必ずいる
僕はちゃんと、いらいらしたり、する
僕は勝手に、いらいら、する
こうやって、ごくごく当たり前のことを、あらためて認識する
会話はキャッチボールだ、なんて使い古されたような隠喩だけれど、
あれは本当のことだから、今日まで使い古されたんだな、と思う
僕、と、あなた、だ
年を重ねて、いろんな感動に先読みが出来てしまって、計算が勝ってしまって、
それをとても残念に思いながら、見て見ぬふりをし続けてしまっていた自分に気付くことができた
誰のため、何のために働くのか
今日、人生で何度目かに捉えなおす この言葉
これから先、何度も振り返るだろう この言葉
その言葉に、付け加えたい
誰のため、何のために、どうやって働くのか
僕は、あなたと、どうやって働いていくだろう?
どう働きたいんだろう?
僕の行動としては、もう一度きちんと顔を見て話をしよう、ということ
とても当たり前の、
わざわざ言葉にするのも恥ずかしいことを、
ここに誓おう
”向き合う”ことと向き合う話は、また次の機会にしよう
初投稿で終わってしまわないために、自分に課題を課しておこうと思う
縁あって出会えた、noteという場を一期一会で終わらせないために
きっとこういう観念的な話になってしまうだろうけれど、お付き合いいただけると幸いです
きっかけをくれたこの#に、感謝しつつ
読んでくれたあなたにも、感謝しつつ
さようなら