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他人を許すには、多くの世界を知ること

以前、拙noteにて書いたものですが。

いま私は家事代行を生業に、色んなご家庭を回っています。そこでは
「各家庭に家庭ごとのルールがあること」
「そのルールが必ずしも一緒ではないこと」
を学びました。
しかもそのルールに従ってこちらが仕事をしなければならない。提案はするけれど、最終的に正しいのはお客様の方です。

別に「お客様は神様だ、だから従わざるを得ない」と言いたいわけではありません。
従うべきルールは各家庭で違う、さらに言うなら「各個人で持っている常識やバックボーンが全て違う」ということ。
この感覚が当たり前になってくるとどうなるかと言うと、他人にめちゃくちゃ優しくなれる(気がする)のです。

…というようなことを先ほどのノートに書いたのですが。
私の仕事は地元密着型で、正直エリアもとても狭いです。個人でやっている仕事ですので大手に勤めていた時よりも訪問件数も少ないものです。今ではルーティンでせいぜい20軒くらいのものでしょうか。そんな私でも毎日まるで違う世界に飛び込んでいるような新しい刺激や発見があります。

家というのは本当に面白いもので。
入室した瞬間、たとえ同じ造りの部屋でもまるで違う世界がそこに広がっています。
さながら毎日が世界旅行みたいなもの。部屋のテイストも家族構成も築年数もゴミの量も何もかも違う。各現場ごとに自分の感覚をアップデートしないといけない。

広い世界を知るというのは、なにも世界中を駆け巡る必要もないのだなと、自分の仕事をしながら思うのです。
日本は狭い。感覚が古い。こんなところじゃダメだ、だから海外に飛び出そう! …というのももちろん理解できますし、私自身もたまにそう思うことがあるのですが。

世界とは、意外と身近な色んな所にあるのだなと、仕事をしながら思った本日。
その一つ一つの小さな世界をきちんと受け止めることができたなら海外に飛び出す必要はないのかも。

むしろ日本の中にあるその小さな一つ一つの世界をきちんと受け止めることができない人は。
きっと海外に行っても思うような結果は望めないのかもしれないな〜、などと思うのです。

それはさておき、やっぱり海外旅行には行きたいなー!


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