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数検3級を受けてきました

■勉強は「楽しいからやるもの」ということを体現したい

日頃から子供には「勉強をする目的は『楽しいから』だよ」と言いたい、と思っている子持ちのヲタク主婦です。
この方針はなかなかいいと自負していたのですが、子供も小学校を卒業し、ついに「数学分からん」「数学嫌い」と言い始めました。

そんな子供に、親としてどんな言葉をかければいいだろう。
色々な病んでいたのですが、正直あまり言葉で通じるものではない気がするんですね。
こういう時に理屈っぽいことを言うと却って逆効果になりかねないし。

そして、考えつきました。
オタク界隈ではよくあるのですが、自分の好きな作品はあえて言葉で布教したりせず、ただただ好きという気持ちをひたすら叫び続けるのです。

ということはつまり、
「親である私が、楽しく数学に取り組んでいるところを見せればいい」のではないだろうか!?

そんなわけで始まった私の数検ライフです。

■今だからこそ理解が深まるのでは?

学習や学問には、そこそこの知識の基礎が必要です。
ぶっちゃけ私、「分数」を完璧に理解できたのって中学に上がってからだと思うんですよね。
更に言うなら、「哲学」なんてアラフォーの今になってようやく少しだけ興味が出てきたレベル。学生のうちにそんなもの出されてきても、嫌悪感と拒否感しかなかった。

大人になって色んな知識を吸収した今だからこそ興味を持てる学問がある。
てことは、数学もいまからやり直してみると、すっごく楽しめたり、すっごく理解が深まるってことがあるんじゃないだろうか。

■日本の公教育では数学嫌いしか生まない

日本の横並び教育だと、例えば小学2年で掛け算を習います。
掛け算ができなかった子も、強制的に3年生に進級してしまいます。
「小学2年で掛け算を理解した」という前提に3年生の授業が進められてしまうため、この辺からたくさんの「算数嫌い」の子を産みだし始めます。

小学2年で理解できなかったまま、小3の学習が始まると、その子は「落ちこぼれ」になってしまいます。しかし「何が分からないか」を詳しく検証しないまま、日々が過ぎていく。子供は必死に追いつこうとするばかりで立ち止まることは許されないので、そのまま「算数嫌い」から「数学なんかクソ喰らえ」状態になって一生を終えてしまう。
嫌いなものを、一度立ち止まって振り返り、きちんと整理し直すには、この「嫌い」という感情が邪魔をします。
嫌いなものをわざわざ見つめ直したりしないんですよね、人間って。

だから、嫌いにならないように、楽しく理解できるまで、立ち止まったっていいじゃない。
…と思うけど、それを義務教育では許してくれないんですよねえ。

■飛び級と留年制度を義務教育にも認めてほしい…

教育大国で知られるフィンランドですが、なんとここには「留年制度」があります。そしてそれは一般的なことで、「落ちこぼれ」という位置づけではない、そうです。
こどもが単元を理解できるまで気長に学習できる。きちんと理解してから進級する。そうするとどうなるか? その後の伸びが確実になるんです。
日本でもようやく一部の大学などで飛び級が認められるようになったそうですが、これと一緒に日本でも義務教育に留年制度を設けるべきじゃないかなと私は思っちゃうんですよね…。
当然ながらその背景には「子供の教育の完全無償化」が必要です!ぜひとも完全無料化をお願いしたい!みんな、選挙行こうぜ!

■私が数検を受けることで、子供にとってはアウトプットの機会になった

そんなこんなで私が数検の勉強をしていると、子供が寄ってきて「いまどの辺やってるの~?」とか聞いてきてくれました。
「ここが分からない」と尋ねると、数学嫌いな我が子が「ここはこうやるんだよ!」と嬉しそうに教えてくれます。
数学嫌い&数学苦手だから友達に教えることはできないけれど、親相手ならなんとなく「こんな風に計算するんだよ!」と自信あり気に教えてくれるのです。

この、「誰かに教える」というのは学習で最も大事なプロセスです。
インプットよりも重要で効果的な学習スタイル。それを家の中で実践できるとあって、私も嬉しいしきっと子供の学習定着にも一役買ってるはず。

親としても、「数学の成績が落ちてるでしょ!もっと勉強しなさい!」って怒鳴りつけるよりも効果的に子供の学習をサポートしてあげられるって思います。

そして私も、子供が「この問題が分からない」と訊いてきた場合にこれまた的確な指導もできますしね!

3級に受かっていたら、次は準2級を受検する予定。
子供と一緒に頑張ろうと思いますー!


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