逆境と愛

強風が私を愛でる。

「主よ 風が強いよ」と言い、強風に逆らいながら、歩く。

強風から、私を愛しているよと声が聞こえてきたような気がした。

時より逆境が、悪に見える。
なぜ、私はまだこうなのか?
「芸術に集中できる時は、まだなのか。」
「まだかまだかと」と思いを巡らせてしまう。

強風と言う逆境に逆らって歩む事が、私を神の作品として磨きがあげられて、仕立てあげられる。
「そうだ。私は今神様に用いられる器として苦しい苦しい状況を通らされている。」ことを思い出し我に変える。
強風に逆らって歩めば、その強風さえも神からの祝福かも知りえない。

モネの睡蓮は、泥沼から這い上がって咲き誇る。
その睡蓮の花には、泥がつかず凛と咲き誇るのよ。
私の名前の由来も、2月の寒い冬と春が重なり合うころの木芽月に、雪が積もる地面から芽吹く蕗の薹であり、又は萌葱色。「春に萌え出る草の芽をあらわす。」のである。

一時の性愛などに、油断をしている場合ではないと自分に言い聞かせている。

これからは、進学やキャリア構築や人間形成や結婚に出産が待っている。
私は、失われた時間を取り戻し時間をかけてでも、学歴や発達障害や母と言う呪縛から解き放ち、超越を待ち望むばかり。

母よ。誕生日おめでとう。


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