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ベクトルを自分に向けることの難しさ。

はいたい。リハビリnote3日目の本日です。
今日も読んでくださってありがとうございます。
あれ、まさかの…続いております。

いやー。わかります。たかだか3日連続更新ができているだけ。
ただそれだけのことなのですが
ほら、小さなことの積み重ねって、自分を肯定してくれるじゃないですか。
(あれ?わたしだけかな?そんなことないよね。目が泳ぐ)

ということで。

今日のテーマはお題にも書きましたが
「ベクトルを自分に向けることの難しさ」について
自分の頭の中を覗いてみようと思います。

お時間のある方がいらっしゃいましたら
もしよかったらお付き合いくださいませ〜



生まれ育った環境が、人格形成に影響を与えることはいろいろな場所で見聞きするのですが

いざ自分自身のことになると、頭や心を掘り下げて覗きにいく人は少ないのかもしれません。

人格形成と言ってみても
家族や職場等から影響を受けたものもあれば、
無自覚に刷り込まれてしまっている、自己暗示めいたものもあったりして

「自分自身について」
なんて、なんだか難しく感じてしまって
なかなか向き合う機会の少ないものだと思います。

かくいうわたしも少し前までは
あまり自分自身について考えてきませんでした。

だからと言って毎日がウルトラハイパーハッピーか
というとそんなこともなくて
原因不明の焦燥感に襲われていた時期も多かったように思います。

今となっては
それは「わたしがHSPだからなんだ〜」ということで答え合わせができているのですが

このことに気がつくまでは、本っ当になかなかに、生き辛い毎日を過ごしていました。

これまでは、

どうして生き辛いんだろう
どうして寂しさを感じるんだろう
(わたしにとって)幸せってなんだろう
(わたしにとって)豊かさとはなんだろう
(わたしにとって)孤独ってなんだろう
なりたいわたしってなんだろう

のような疑問がよく湧いてきても、
結局「人からどう見られるか」ばかりを優先して
「わたしにとって」というすごく大切なことを随分おざなりにしていました。

けれど、いつまでも解決しないモヤモヤを抱えて生き続けるのは
自分のエネルギーと、頭と心キャパシティをモリモリを使ってしまい
毎日のパフォーマンスが下がってしまうことも自覚していました。
(これらは見えないから厄介なんですよね〜)

ある時、意識のベクトルを自分に向けることを課題にして、
このモヤモヤと向き合ってみようと腹を括ってからは
自分なりの揺るぎない芯が生まれたように感じています。

例えば、
「どうして生き辛いんだろう」と感じたなら

・まず今の自分が好きかどうかを問うてみる。→解が否だったのなら
 └好きになるために何が必要で、何が不要かを考えて書き出してみる。

・あるいは、環境or自分を変えられないかを問う。
 └環境って?働き方?関わる人?費やす時間の多いもの?住む場所?

・そもそも今の自分のことが好きじゃないと思ってしまうなら、まずそれは
 └外見のこと?内面?それとも思考?あるいは肩書?どんな状態になったら好きになる?

みたいな感じで
まるで因数分解をするように、
ひとつひとつ、自分だけの解を探して思考の海に潜りました。

こんなことを繰り返していると
「なるほど、自分はこういう風に考える人間なんだな」と
自分を理解できているように感じますし、
理解できてきている自分のことが、結構好きになれたりもします。

何より、良くない状態のときに「ん?なんでだろう?」と立ち止まって

「あ、意識が他人に向いちゃってるじゃん」とか
「最近自分の身体のこと労れてないからか」とか
「何に幸せをチャージしてもらっているか、リスト更新しようかな」なんて

具体的なアプローチを試みることができるようになりました。

以前はそんなことは全っっっくできなかったんですよね〜。

いつも人の顔色を伺って、その場が心地よい空間で居ることに全集中をして

どこか居心地の悪そうな人がいたら良く観察をして声をかけてみたり
窓を開けたり、飲み物を頼んだり、冗談を言ったり、空調を整えたり

それはそれはもう、意識のベクトルが他人に向きまくりな人間だったんですね。

これは他人に興味があるというよりは、
その場の空気感が淀むことがただ耐えられないだけであって、
とにかく他人の不機嫌な様子を見たくない。という
恐怖心からくるものでした。

けれど、自分を知って、自分を大事にしようと思えてからは
見違えるように生きやすくなったような気がします。

それは、決して他人に関心を示さない訳ではなくて
第一に自分を知ることで、自分の大切にしたいことを優先できるようになるという変化だと感じています。

気乗りしない飲み会はうまいこと理由をつけて断っていいし
不機嫌な人からは逃げたほうがいい。
利用されるだけだなーと感じる人からは距離を取って
その分、愛を使いたい人にしっかりとエネルギーを注ぐ。

意識のベクトルを自分に向けて
どんな自分が好きで、どんな風に時間を過ごしていると心地よいのか。
丁寧に、大切に問いを設けて、これだ、と解を掬い取ることは

結果として自分が大切にしたい人への愛を
しっかり注げることに繋がると思うのです。

自分を大切にすることは、愛する人への愛にも繋がる。
そう思えてからは更に心が軽くなりました。


それと、自分を知っていることは(一定の年齢を迎えると)
もう「ある種のマナー」のようにも感じてきているんですが、これについては長くなるのでまたいつかの機会に書いてみたいと思います。

はい、そんなこんなで今日も今日のうちに更新できました。う、嬉しい。。。

スキ!♡をいただけるのがすごく嬉しいです!
(わあ〜い!読んでくださっている方がいる〜〜〜。だばだば。ありがとうございます!)

いつもまがりみちばかりの読みづらい文章ですが、
書き残すことが
いつかのわたしや、いつかの誰かの助けになると信じて

今日もこうやって書き残せたことが嬉しいです。

読んでくださって本当にありがとうございます。

引き続き、お題はいつでも求めておりますので(ちゃっかり)
もしも読みたいテーマなどがございましたら教えていただけるとすごく嬉しいです(小躍り)

今日も、こんな辺鄙なところへ辿り着いてくださって
最後まで読んで下ってありがとうございました。

あなたのよるが穏やかでありますように。
安心して目覚められますように。

会いに来てくれてありがとう。

それではきっと、また明日。








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