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許すことについての考察。

ここのところ、noteで生い立ちを書かせて頂いてるのですが
そのなかでわたしは
あえてネガティブなことについても書いてきました。

今日書く出来事は昔のブログでもガッツリ書いたことがあったので、避けようかな…とも思ったのですが

あれからだいぶ期間も空いていますし、最近関われた人もいるので、
良い記録だと思って、改めて書いてみようかと思います。

毎度ながらお時間のある方、よかったらお付き合いくださいませ〜



根っからの明るい性格の見えるかもしれないわたしですが、実は元々…
根っから明るいです(明るいんかい)

根っから明るいんですが、思考深堀りタイプだからか
陰の部分ももちろんあります。

でも、昔のわたしはいろいろなことがあって、明るい、良い面だけを見せようと努めていました。

それは見る人が見たら八方美人に見えていたかもしれないし
優等生ぶっているようにも見えたと思います。

どう在りたいか、よりも、
どう見られるか、どう在るべきか。

そんなことばかり意識して生きてきた時期がありました。


(さて、そろそろ本題に入っていきます。)


今となってはあまり思い出すことも減ったのですが
わたしは何度かいじめに遭っていた時期があります。

それは「わたしがやらかしてしまったからしゃーない」パターンもあれば

「一緒に遊ぼう」という誘いを断った理由で
休み時間中男子たちからの殴る蹴るを受けるボコボコ系もありました。


中でも今日書きたいのは
わたしが高校3年生の頃に1年間受けていたいじめに関してです。

うーん。
自分で書いていてあれをいじめだったとまとめていいものか悩むのですが
あれかな。1年続いた嫌がらせかな。

当時同じ部活で同じクラスだった子がひとりだけいたんですが
その子が謎の距離感を取ってくる子だったんですね。

みんなの前では「なりかとわたしは仲良し♫」
な感じを見せるんですが
二人っきりになった途端、一言も話さず、笑わず。
会話を試みようものなら睨みつけ完全拒否というように
態度が急変してしまうのです。

なんじゃこりゃ。と思って他の子と仲良くしたり、他のグループの輪に入ろうとすると
「寂しい〜」と絡んでくるのです。
でも、また誰も居なくなると同じように態度を急変させる。

(な、なんだこれ…!君は何がしたいんだ!わからん…!)

という感じで、授業や部活動以外の活動のすべて
この子の威圧的態度に覆われまくった1年間でした。

(すごいなあ。当時は本当に本当に悩んでいて、解決策が見つけられなくて困っていたのに、今となっては具体的なことも思い出せないくらい時間が解決してくれている…感動。)


さて、話を戻します。

時は経って、高校を卒業し、大学も卒業して(この辺りはまた生い立ち編で書きますね)社会人として働いていたある日、

わたしに一通の長い長いLINEが届きます。

差出人は当時嫌がらせを続けていた女の子で
メッセージの内容は当時の自身がしたことに対する謝罪、
自分がしたことに対しての許しがほしい。というものでした。


びっくりしました。

あれから何年も経って、わたしはわたしで楽しい人生を歩んでいて
多分そのときはもうあの苦痛への意識は薄れていたと思います。

一気にぶわああと思い出してきて、すぐに「メッセージありがとう、びっくりしたよ。元気にしてる? わざわざ送らせてしまってごめんね。あのときのことなら」

と打ちかけていました。

打ちかけていて、頭では「気にしなくていいよ。それよりもこんなことを送らせちゃってごめんね。送ってきてくれてありがとう」と打たなきゃいけない。送らなきゃいけない。

わかっていたのに

何時間経っても、何日が経っても、一ヶ月が経っても、



返信を送れない自分がいました。

驚きました。

いつものわたしなら、わたしの理想とするわたしなら。
きっとそんな風にすぐに、彼女を許せたのに。

わたし、全然「気にしないでいいよ」なんて思えなかったんですね。

ずっとずっと、哀しかった。ずっとずっと、悔しかった。

なんでこんな思いをしなきゃいけないんだって、1年間、その1年が終わった後もずっと心は苦しかったんです。


メッセージの内容は、
「あのときのわたしはなりかに嫉妬をしていて、
持っていないものをすべて持っているなりかが羨ましくて、
妬ましかったんだと思う。」
と書かれてありました。


そうか、そうか。そうだったんだね。

頭ではわかっているのに

心の中の、高校生だった頃のわたしは、どうしてもどうしても素直に心から「大丈夫だよ、気にしなくていいよ」と言うことができなかったんです。


この事実はわたしを酷く混乱させましたし、
彼女にそのメッセージを送れない自分を責めました。

わたしはなんて心が狭い人間なんだ。
どうしてこんな一通のメッセージが送れないんだ。

ずっと、自分を恥ずかしいと思っていました。


でも、ふと、本当にふと、あるとき

わたしは
「許したくないわたし自身を、このまま許してあげたいんじゃないか」

と思い直すことができたんです。


我が事ながら目からウロコでした。

そうか。わたしはあのときのことを、許したくないんだ。
あの1年間の苦痛を、気まぐれに送られたメッセージ1つで
なかったことにしたくないんだ。

そうやって自分の本心に気がつけたとき、これまで張り詰めていた
「こうあらねばならない自分像」から開放されたような気がして
わんわん泣きました。

いいよなりか。許さなくていい。

自分に初めてそうやって、「許せない自分を許す」許可を与えられたんですね。


きっと、できることならば

彼女を許して、彼女もこの苦悩から解放させた方がいいのだと思います。


でも、それは同時にわたしを無視することになってしまう。
そういう生き方はもうしたくないのです。

許すことはきっと、手放すことで
それができて初めて呪縛から開放されるものだと思っていたのですが

無理に理想に当て込めるよりも、
不格好なそのままの自分こそを、許してあげようと思えたんです。


この思考に辿り着くまでは
なんだかすごく遠回りをしてしまったような気がするのですが

許せない自分を「これでいいんだよ。」と
抱きしめて、大事にしてあげようと決めました。


大人になると、自分の気持を押し殺すことが美徳に感じてしまいます。

でも、それはきっと違う。
おとなになっても、否大人になったからこそ、自分の素直な心の声に
耳を傾けられることが大事なんじゃないかなと思います。


我慢したことは、いつか誰かのせい。になってしまう。

自分で感じ取って、選び取ったひとつひとつを
丁寧に抱きしめて、愛して生きていきたいです。


毎度ながらまとまりのない内容になってしまいましたが、どこかで改めて書いておきたい出来事だったので、ここに残せてよかったなあと思います。

最後まで読んでくださってありがとうございました。


あなたの過去も、いまのあなたが抱きしめられたら
それはきっと時間を超えて、当時のあなたが抱きしめ返してくれるよ。

愛せる自分を、つくっていこう。

それではきっと、また明日。


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