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きっと、いつかのわたしに向かって。

何度か書いているのですが、わたしはHSP気質で
細かなことが気になってしまいます。

今でこそフォトグラファーを生業としてご飯を食べていけていますが、
撮影対象が人物だからということもあって
わたし自身のこの特性を生かして、お役に立つことができている気がしています。

最近、ふと、このnoteを書いていて

「あれ、わたし。ちょっと上から目線というか、なんか偉そうに聞こえないだろうか…押し付けがましくないだろうか…」と思うことが増えてきたんですね。

口話の場合、言葉尻を柔らかくしたり、言い切らないようにすると
威圧感なく伝えることが出来る気がするのですが

文章でそれをやってしまうと「何が言いたいのかわからない」状態になってしまうので

意識して使う言葉を選ぶようにしています。


わたしはもともと

相手に伝える、という行為には、
ものすごーーーく「想像力」が必要だと感じています。


伝えたつもりが伝わらなかった。ということは日常茶飯事ですし、
どちらか一方が悪い。ということも判断は難しいと思うのです。

でも、伝えたい、伝えてほしい、伝わってほしい、という

他者とのコミュニケーションを諦めないひとがとても好きなので
(わたしもそうありたい)

わたし自信が伝える側にあるときは、いろいろなことを想像できる自分でいたいと思っているんです。


気心の知れた関係であっても、伝える相手がいつもどおりの状況だなんて限らないし
親しい仲であればあるほど、その関係性にあぐらをかいてはいけないと思うんですね。

細やかな配慮をされたら、わたしだったら「ああ。大切に思ってもらえているなあ。嬉しいなあ」
と、感じることができます。

逆に、何かを端折られたり、届け方をおざなりにされたら
わたし自身に対しても、大切に思ってくれていないような気持ちになってしまいます。


敏感な気質というのは、ときに厄介で「こんなんいらんわーー!!」

となってしまうこともありますが

敏感故に気がつける細やかな配慮もきっとあって、
それがいつか誰かを救うこともある気がしているんです。

それは、明日の誰かかもしれないし、5年後の自分かもしれない。

多分わたしは、自分がかけられたかった言葉たちを
時を超えて過去や未来の自分自身に、かけているのかもしれません。



そうして、いつかの自分が、過去の自分を救ってくれるように

いま、偶然にもすれ違ったり、足を止めてくれた画面越しのあなたを

優しく包んだり、背中を温めたりできたらいいなあともちょっぴり考えていたりもするんです。
(ちょっとおこがましいかもしれないね。)



大丈夫だよって、言ってほしかった。

そばにいるよって、思わせてほしかった。

見守っているからねって、支えてほしかった。



ほしかったときに、それを感じ取る力は昔のわたしには残念なことになかったのだけれど


昔のわたしのように、あがいて、もがいているいつかの誰かのために

今日も世界は美しいことを、丁寧にここで紡いでいたいのです。

今日も、会いに来てくれてありがとうございます。

やさしい世界って、しずかで確かな意志のもとに紡がれる気がするなあ。

あなたの明日も、あたたかな空気に包まれていますように。

それではきっと、また明日。

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