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好きな詩を久しぶりに。『生きる』谷川俊太郎

詩が好きだ。
詩はいろいろな気づきを教えてくれて
言葉と世界の美しさを見せてくれる。

昔は本が読めなかった。
じっと座って意識を文章だけに集中して、前のページの人物はええと?
ヒロインの叔父にあたるひとが犯人で?
誰だこのカタカナの人。

みたいな感じで。それはそれはもう「で?結末は!?」を何度心で叫んだか。笑

今思えば、単に辛抱強さがなかったんだと思う。

その点、詩はあっという間に読める。
(難解なものもあるけれど)

読み切る。ということでいえば数分もあればきっと読み切れるし、
そんな考え方が、そんな感じ方が…あったのか!
という気付きが すん。と入るのも辛抱強さのかけらもないわたしにぴったりだったんだと思う。

短歌も大好きだ。

短歌は詩とは違って制約が増える分、エッセンスをどう残すか。
みたいな向き合い方や練り方(言い方が正しいかはわからないけれど)が違う面白みに感じられて、気に入った歌人さんを最近よく追いかけている。

話しは逸れるが大学生の頃、わたしは二年次の前期まで教職コースをとっていた。
専攻は国語。

夏休みを利用した合宿で、詩の朗読の項目があったのだけれど

何故かその年、たまたまわたしがその朗読者に選ばれた。

朗読する詩は大好きな谷川俊太郎の『生きる』

この頃確かわたしは教職コースを続けることに悩んでいて、催し物の全てに疑問を抱いていた。笑

「夏休み前、中学三年生を前に帰りのHRで話す、担任としての3分間スピーチ」
とか、きっと意味があったのだろうけれど

「それ想像力でどうにかなるスピーチ!?てかこの練習やる意味がわからない…」
と良く頭の中が混乱していたなあ。


大学生って面白い。
精神的にまだ大人にになりきれないような
子どもではなくなったと感じてしまうような。

ぐんぐん吸収するスポンジの心と身体を持っていて
そして社会は学生の頃に見ていたイメージとは違って
結構危ないことにも気づきはじめていて。

こわかったけれど
自由度を増して広がりを持った目で見る世界は面白かったし
それこそ見え方の解像度が上がった貴重な時間だったと思う。


随分と遠くへいってしまった。笑

さて話を合宿に戻そう。

そんなこんなで、いろんな催しに疑問を感じながら迎えた朗読の時間。

たったひとりで、教職コースをとっている全員に向けての朗読。

聞き取りやすいように、丁寧に、余白を残しつつ、でも、少しひっかかりを持つような。

なんだかそんなことを考えながら読んでいた気がするなあ。

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昔は、一番最後の「人は愛するということ あなたの手のぬくみ いのちということ」
の部分が一番好きだったのだけれど

今はこの部分が一番好きだなあ。

すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

大人になって、純粋な気持ちをただ持っていただけのわたしは随分と薄まってしまって
疑うことを覚えたり、そうなってしまった自分を悔いてしまったりもしたけれど

それからもっと歳をとって、それでも世界は美しいことを思い知って。

絶望の後に見えた光のように
泣きながら歩く生き方を選び取っていることに気づく。

(世界はやっぱり今日も美しいね。)

あなたの見る世界もきっと美しいものだと思うから

やさしいあなたが傷ついてしまうことを少し心配するけれど

「悪」は「かくされて」いて
あなたはそれをみつけて
受け入れるでもなく、声を上げるでもなく、ただ、「注意深くこばむ」
ということ。

生きるということはそういうことだよ。と

そんな気持ちを少し忍ばせながら、兵隊のような目をした同士に向けて
読んだような記憶が確かにあるなあ。

自分を大事にするって、しんどいけれど
自分を大事にするって、つまり生きることだと思うんだよな。


詩のことについて書くと、いつも意識がいろんなところに飛躍して
いつもに増して支離滅裂感のつよい文章になってしまいました。

そんなこんなな今日のnote。
今日も更新できてよかったーーーーーー。

新年度がはじまるね。
あなたを、いきてね。

今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。

会いに来てくれてありがとう。

それではきっと、また明日。

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