この指摘は痛たたたとなった 自分が未成熟な男性だから、否定のしょうがない まあ未成熟な男性はこの世に存在してはいけないからな
ネットネイティブ世代には自分のような境遇の人が多いのではないか: 恐れることはない。普通の人が現実世界に配分する経験値を、自分はネット世界にも分配していたに過ぎない。ならば対処方法は、その経験を転用するだけだ。
返事じゃない言葉=自分の本当の欲求にもとづく言葉、と言い換えて差し支えないと思う。 生きる意味や2人(以上)でいることの意味について考えていたときに、オザケンのこの歌詞を思い出した。 相手の欲求に答えることで自分を免罪しよう、というのが第1位の欲求になってしまっている人がいる。 オザケン言うところの「返事」である。 色々な環境(経験)や遺伝的要因が関係して、そういう生き方が最も自分を幸せにするので、こうなってしまったのだろう。 でもこのような生き方は罠で、自分が生きる意味
思考停止していては本当に欲しかったものは手に入らないし、生きる意味とはその欲望でしかない
相手の幸せを純粋に考えるよりも自分を守る方が合理的な選択だったからそれを無意識で行っていたのか なるほどなぁ
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「僕は人間関係にトラウマを抱えていたのかもしれない、だから人と関わることにストッパーがかかってしまっていたんだ」。そう告白すると涙が自然とあふれてきた。しかしそれはかわいそうな自分に酔っている涙のように思われた。
例えば悪口を言われ続けたとして、人と接するのは悪口を言われることだと学習したら、人と接した瞬間に悪口をもう言われているんだよな。だから悪口を言ってなくてもその人において悪口を言ったことになっているし、実際にその人はその体で体験をしている。その記憶を元に思考しているだけ。
開発だとなるのにね 日本のデザイン軽視は酷いわね
日常を良くするためのサービスを開発しているのだが、そのサービスのモデル検証のためあるイベントに出展予定だった。友人が繋いでくれた。しかし出展条件が変わったので結局経営判断としてキャンセルした。今日友人のストーリーでそのイベントの幸せそうな様子が流れてきた。自分はより空想的なサービスのためにそのイベントの小さな幸せをより大きくすることをキャンセルしたのだと思った
社会の思想によって潰されていった人たちの弔いのために、彼らが間違っていなかったことを証明するために成功したい
うんざりですね