より良く生きるために。『自分を許すということ』
この「自分を許す」というのがよく意味が分からなかった。
他人を許せても、自分は許せない。
何故かって。
敢えて律しているものが解けて、自分ではなくなってしまう気がするから。
高みを目指すのも、ダイエットも…ある意味自分を律するからこそ出来ること。
何も無しにその道を歩める人が居ればお会いしたい。
「他人は写し鏡」
これもよく分かったような気がする。
「気がするだけ」かもしれないけれど…。
許せない人が多い=(イコール)、それだけの数を自分にも律している。
相手への腹立だしい思いは、自分が「そうなりたくない」「そうしたくない」「そうなってはいけない」からのもの。
…確かにそうだ。
ただ、その信念、物差しを人に当てはめてはいけない。人間の数だけ、それだけの解がある訳だから。
こちらの方こそ良くない事や宜しくない存在である可能性もある。
それぞれがそれぞれの世界を築けばいい。だからこそ、それぞれの世界に特有のルールが生まれる。
その国の良いところと、あまり好きでないところ。
お互い譲れるところと譲れないところ。
どれだけ多様性の器があるか。
少しでも良い人間になりたい。
これからも垢を落として、無垢な姿に一歩ずつ近づきたい。