パリピ孔明という不調和の解消

アニメのクォリティが高いので漫画も読み始めた。

以前から「教養系の知識」と「現代文化」を結びつけるのは強いなと思っていた。何なら、この組み合わせは「コンテンツの鉱脈」と言ってもいいのではないか。そう考える理由は不調和を簡単に生み出せるからである。本作はタイトルからしてそれに成功している。

不調和理論というものがある。これはジョークがなぜ面白いかを説明するものだ。ジョークはまず人に違和感を与える。普通に考えたらおかしい、なぜそれが成立しているのか、というように。そのような不調和をまず与えた後に、辻褄合わせとして解を与える。この不調和が解消された時に、人は面白さを感じるのだという。

この観点から『パリピ孔明』を見てみる。まずタイトルの時点で不調和が生じる。一般的に「パリピ」と「孔明」は一文に並ぶことはない。文化どころか時代が違う。内容も、序盤は不調和を感じずにはいられない。タイトル通り孔明が現代日本のクラブに現れて、クラブ・ミュージックに感銘を受ける。全盛期みたいな姿で唐突に現れるのもおかしいし、軍師の象徴みたいな人物をよりによってクラブと合わせるのもおかしい。なぜこんなことを、と。

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