Wikipediaを、信ずる事が出来ぬ、というのです
最近『走れメロス』を読み返したことは既に書いた。
読んでいて「シラクスの市はシラクサのことだな。アルキメデスがいたところ」と思ったわけだが、それ以上のことを調べようとはしなかった。
数日経過してふと思う。アルキメデスが死んだところでシラクサはローマに支配されたわけで、そうなると当分の間シラクサには王はいない。では邪智暴虐の王がいたのはいつなのか、と。気になるので簡単に調べてみた。
『走れメロス』は古代ギリシャのピタゴラス派の団結力を示す逸話として伝えられている『ダモンとピュティアス』が元ネタである。邪智暴虐の王こと暴君ディオニスにも実在するモデルがいる。Wikipediaによれば、これはシラクサの僭主ディオニュシオス2世であるらしい。
このディオニュシオス2世は、プルタルコスやネポスの『英雄伝』に悪役として登場している。そこでプルタルコスの「ディオン」を読み返す。ディオンはシラクサをディオニュシオス2世とその父ディオニュシオス1世との関わりが深い。彼の生涯を読めば、メロスの時代のシラクサの状況が分かるというわけだ。
読んでみて思う。「父親である1世の方が人を信じていないな」と。ディオニュシオス1世は「思慮ある者なら僭主に従うよりもみずから僭主になろうとするものだと知っているからだ」と述べ、常に味方への警戒を怠らなかったとある。そんな1世の逸話を紹介しよう。
ここから先は
1,607字
この記事のみ
¥
100
人に対し何かをしてあげるという事は、全て「見返り」を期待しての行為だ。noteのサポートは文章を読むための「見返り」である。