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路上で動けなくなったおじいさんを家に送っていった話

こんにちは!ほねさんです。何気なく、日常を送っていると忘れられない出来事がまれに起こると思いますが、今日はそんな話を綴っていきたいと思います。


<事件発生>

先日会社に出勤する前に路上で歩けなくなってしまって立ち往生している老夫婦を見かけました。車に乗って奥さんを駅に送る道の途中で、私達はその光景を見て強い違和感を覚えます。

「なんか変だね」

よく見ると歩行器(以下画像のような)に座っているおじいさんを奥さんが一生懸命に押しているんです。

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車椅子ならまだしも歩行器です。歩行器に座ったまま押すなんて、普通そんな使い方はしません。何かおかしい。奥さんと目を合わせてその場で車を止めて声をかけようかどうか相当に迷いましたが、奥さんを駅まで送り、娘を保育園に送らなければならず、一旦見合わせました。

奥さんを駅まで送った後、幸いにも老夫婦が歩いていた歩道は保育園に行く途中にあったので、様子を見ることにしました。先程見たときからわずかな距離しか進めていませんでした💦確信しました。おじいさんは歩行器で歩いていたのだろうけれど、歩けなくなってしまい、奥様が頑張ってご主人を押していたけれどどうにもならず、途方に暮れているのだと。

私は急いで娘を保育園に送ります。タオルやエプロンをかごに入れておむつを入れるビニールの袋をセットして体温や降園時間を記入して・・・。いつもの2倍速で行いました。

再び歩道で佇んでいる老夫婦を見かけます。最初に見かけたときからこの間約10分でしょうか。車を近くに止めて声をかけます。

「大丈夫ですか?」

奥様が驚いた顔をしています。事情を聞くとすぐ近くのパン屋さんに行きたかったようで、あと少しのところでおじいさんが歩けなくなってしまい、立ち往生してしまったというのです。ちなみにパン屋さんは午前8時からの営業で残念ながら閉まっていました・・・。

私が予想したとおりでした。ご主人は歩行器に座っており、太ももから下が思うように動かなくなったようでした。転倒して骨折したり出血していない。疲れてはいましたが、意識もハッキリしており、顔色も悪くなく、素人の目線ですが救急車を呼ぶ必要はないと判断しました。

午前7時30分。出社する前になんとか家に送ることができるだろうと考えました。徒歩でパン屋に行くくらいですから、家は近いと判断しました。奥様に家の場所を聞くと、後方に見えるマンションの6Fに住んでみえるとのこと。家に送っていくと申し出て、ご主人の手を引いて支えながら助手席に乗っていただきました。奥様には後部座席に、歩行器はトランクに乗せます。

その場から約3分の車の移動で老夫婦が住むマンションにつきます。一軒家ではありません!6Fですからエレベーターを使わなければなりません。幸いスロープも手すりもあったので、手すりと手引きにてなんとかエレベーターまでお連れし、6Fの部屋まで付き添いました。

靴を脱がせ、ダイニングテーブルにある椅子に座っていただき、私のミッションは完了しました!車の中でもエレベーターに乗っている時にもお二人に伝えました。

「外出するときは車椅子を使ってください」

家の外に車椅子はちゃんと置いてあったのです。たぶん行けると思ったのでしょう。ところが行けなかった。まだ本格的に暑くなる時間帯ではなかったにしても、あのまま誰かが声をかけなければずっと炎天下で強い日差しを浴びなければならなかったでしょう。


<奥様のお礼>

ここで困ったことが起きました。それは奥様のお礼です。奥様はしきりに名刺をくださいと言われました。でも私は名乗るつもりはありませんでした。とにかくご主人を部屋に連れていきましょう、と話題をかえていました。そして私が去ろうとしたときに、奥様が

「これは感謝の気持、受け取って欲しい」

と、なんと5,000円札の入った封筒を私の服の胸ポケットに詰め込んだのです!当然受け取ることはできません。私は謝り通します。

「申し訳ない、奥さん。これは受け取れないです!」

「いや受け取ってくれないと困るよ!」


お気持ちは本当に嬉しい。ご主人が動けなくなって途方にくれていたときに見ず知らずの私が声をかけて助けてくれた。家まで送ってくれた。嬉しかったでしょうし、助かったと思います。でも私としては自分のできることをしただけですし、当然のことをしたまでです。

またマンションの入り口の前に車を止めていましたが、ここは駐車禁止のところだったのです。出社時間のこともあり、私としても時間がありません。押し問答が少し続きましたが、謝り通し、封筒を玄関前の棚の上に置かせていただき、半ば逃げるように去ってしまいました。


<振り返り>

今振り返ってみています。自分の判断や行動は果たしてどうだったのか、自問自答を繰り返しています。そして自己検証しました。

①奥さんと娘を送った後に声をかけたのは結果的には正しかった。もし救急車を呼ばなければならない場面(転倒、出血、奥様が助けを求めているなど)だったらすぐさま車を止めて声をかける必要があっただろう。

②当然お金を受け取らなかったのは正しかった。ご主人に年齢を聞いたら昭和8年生まれの87歳だという。80代の老夫婦、この世代の方のお礼の表現として、お金を渡すことは一般的。ただ奥様の「感謝したい、お礼がしたい」という気持ちに十分に応えることができなかったのは心残り。

③名刺を渡さなかったのも正しかったと考える。私達は行きずりの関係。私達の住んでいるマンションと老夫婦が住んでいるマンションはかなり近く、何かしらの関係を持つのはよろしくないと判断した。名刺には会社の電話番号など書いてあるが、あまり考えたくないけれど、万が一でもトラブルの元になっても困ると考えた。

④あまり時間がなかったので言えなかったけれど、具合が悪かったり様子がおかしかったらご主人や奥様に受診をすすめてもよかったかもしれない。

以上自己検証でした。皆さんが私と同じ立場でこのような場面に遭遇したら、皆様ならどう判断し行動されたでしょうか?ぜひ聞かせてほしいものです。


<超少子高齢社会の日本を憂う>

実は似たようなことで路上で老人に声をかけたり助けたりしたのはこれで5回目です。そのうちの1回は認知症のおばあさんで、声をかけても支離滅裂であり、出血もしていて手に負えないと判断し、近くにガソリンスタンドがあったのでスタッフさんにお願いして救急車を呼んでいただいたことがあります。

日本は現在、ご存知のように凄まじい勢いで高齢社会に突入していますね。この出来事と、かつて読んだある本に書いてあった内容が強烈にリンクしているなと感じたものです。それは以下の本です。

日本の将来の人口動態統計を元に書かれた、リアルな日本社会の未来を描いた本になります。この「未来の年表2」は超少子高齢化社会の真っ只中にいて今後も加速していく日本において、自分の日常生活で何が起こるのか?ということについてフォーカスした本です。例えば

80代が街を闊歩するようになり、デパートでは耳が遠かったり軽度の認知症のために店員の説明がわからず、ただでさえコスト削減の一環で人数の少ない店員の疲弊度が増す。

など、超少子高齢化社会によって引き起こされる弊害が、日常生活レベルで様々な場面において顕在化するといいます。

この本のシリーズによれば、2042年は日本社会が最も高齢者比率が高くなると言われています。(65歳以上が38%!!)今回私が遭遇したケースも、きっとこれから珍しくなくなるかなと思っています。なかなかに強烈なインパクトのある本で、日本に住んでいる以上は、直視しせざるを得ず、避けて通れない未来の姿ですから、気になる方はぜひ読んでほしいです。


<助け合いの精神を持つ>

私達が最初に老夫婦を見た時間から私が車を降りて声をかけるまでの時間は約10分間でした。その間、通行人も車を運転している人も誰も声をかけなかったといいます。社会とのつながりの希薄さ、他者への関心の薄さ、助け合いの精神の欠如なのか。ちょっとした日本社会のダークサイド(大げさですが)にも思いを馳せました。

ただ私達が見かけなくても、きっと誰かが声をかけて助けてくれていたと思います!たまに流れる「若い人が困っている高齢者を助けて警察に表彰された」なんてニュースも見ますし!

間違いなく増えるであろうこうしたケースに出くわした時に、いかに助け合いの精神を発揮して、高齢者と若者が共生していくのか、世代の断裂なんて言っている場合ではないと強く思ったものです。

80代のこの老夫婦は戦後日本社会の発展に大きく寄与した世代です。この世代の遺してくれた遺産によって私達の世代は何不自由なく暮らせています。彼らが年を取り、残りの余生を豊かに生きていくためにも、微力ながらこれからもサポートしていきたいと考えています。

何よりも「困ったいる人がいたら助ける」精神を大切にしていきたいものですね!

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