『本を守ろうとする猫の話』を読んだら本好きを名乗ってはいけないと思ってしまった
本で破産する覚悟はできていませんが、本が好きです。
こんにちは、永遠の図書委員ユルワです。
最近読書の幅を広げるべく、本に関する情報を集めては、その中から面白そうな本を片っ端から読む日々が続いている。
今は余り仕事関係の本は読みたくなくて、小説やエッセイを選ぶことが多く、それもやはり、秋の空気がそうさせるのかな。
そんな読書の秋の今日この頃、
今更感あるかもしれませんが、世界的にもロングセラーになっている『本を守ろうとする猫の話』を読んだ。
ま、こんな筋書き。
詳しい内容はぜひ読んでいただけたら幸いなり。
乱暴なまとめ方をしてしまうと、本を、読書を愛する人ならば、共感しながら読めるファンタジーといったところだろうか。
台湾を皮切りにヨーロッパなど世界35カ国で翻訳されているのも理由がわかる気がしている。この小説のテーマと内容自体が、ユニバーサルなのだ。
さらに映像世界とも相性が良い気がするので、アニメとか実写映画にもできそう。舞台は日本でなくても、世界のどの国・地域似設定するのも難しくない気がする。
小説の中には名言も多い
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人間にとって読書という行為が何を意味するのか―
なかなかどうして哲学的な問いを主題にしているので、自ずと読みながら自問自答することになる。
個人的に思ったのが
「私は読書が好きなのであって、
本そのものへの思い入れはさほど強くないんだな」
ということ。
毎回冒頭で「本で破産する覚悟はできていませんが、本が好きです。」等立っているのに、何を言ってるんだとツッコまれてしまいそうですが、本当のことだからしかたない(笑)
もちろん本を乱暴に扱うことはしないものの、書物コレクターではないし、必ずしも「電子書籍反対派」ではない。自分の読書目的やジャンルで紙か電子か選び分けている。
本が並ぶ書店、古書店、図書館、ブックカフェに入るとアドレナリンが放出されることに変わりはないものの、よほど気に入った・何度も読む・勉強&辞書代わりなどの理由が無ければ、読後、古本屋に売ってしまうタイプだ。
だからこの小説の主人公のような、本自体も宝のように扱っていない負い目を少しばかり感じてしまった。・・・だからといって自分のスタイルを変える気は毛頭無いんだけれどね。
それでも昔の私、10~20代くらいの頃なら、主人公林太郎達に共感しきれたかもしれない。当時は電子書籍すら存在せず本はもっぱら紙の書籍だったので、今よりもはるかに蔵書は多かった。背の高い本棚2つあっても余るほどだった。
10代の終わりに引越しをしたときに、段ボール何箱分もの本が手違いで引越し業者に処分されてしまったときには、号泣してしまったほど、本への思い入れも強かった。
今となっては本棚も断捨離してしまったし、なるたけ本の所有数は必要最小限(そうはいってもそれなりの数はある)にしている。人間って年を取ると変わるものだなと思ったりする。
そういう意味で、この小説『本を守ろうとする猫の話』は人生で若いときと年齢を重ねたときと、人生に2回以上のタイミングで読んでみると面白いのかもしれない。