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#8 左右逆転から見えた、生き方の変え方
今回は、左右逆転生活について過去に書いた記事の続編です。
day1からひと月以上経ってますが(笑)
経過を報告しますと、
初日でもすでに、作業効率の生産性は右手(利き手)の75〜80%くらいだったので、
ど新人さんよりは全然速かった気がします(当たり前)
その後、2週間ほど、8時間勤務の日が概ね累積10日程度経ったくらいから、
「違和感」が「あって当然」の感覚になってきました。
「違和感がなくなる」と言うのではなく「それがあることに慣れる」感じ。
整体の先生に、その後も2週間おきに報告していましたが、
新たなことが習慣化されるのに、40時間ほど必要だという研究結果があるそうです。
諸説あるそうで、断定できるものではないのですがね。
ですが、考えてみると、8時間勤務で5日間で40時間ですよね。
2週間後に気づいた時には80時間経ってたことになりますから、
確かに、「この感じが普通なんだ」と言うふうに変わってくるのは、
その説と、一致します。
最初の関門に、気づかなかった(笑)
先生には「40時間を短いと思えるか、長いと思えるかが、最初の関門」と言われました。
私はどう思ったか?
「短い」と思いました(笑)
だって、1日24時間、2日で48時間ですよね。
2日より短いじゃん!と(笑)
ありがたいことに、この関門に全く気づかなかったんですよ、私(笑)
「えー、長いわ〜」と思ってしまって、
一歩踏み出すことさえできない人も、多いのだと聞いて、
初めて「関門だった!」と納得した次第。
実際のところ、累積での計算でしたから、
2日と言うわけには、もちろんいきませんでした。
しかし、生活の中で一番時間を費やすところを変えると、
その分の時間を強制的に使えるから、癖や習慣の改善には効果的だという
先生の説明には、最初から、至極納得できたと言うのもありました。
仕事は、強制的にその時間をそこに費やしますからね。
そこで、自分の姿勢の癖が改善できたら、一石二鳥ですよ。
仕事の作業効率が下がるのは、仕方なかったですが、
そこはやってみて、あまりにも下がるようであれば、
やり方を変えてみる必要はあったと思います。
その様子見も兼ねて始めてみましたが、
案外そうでもなかったので、そのまま続けることもできました。
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身体を変えることと、生き方を変えることの共通点
右利きの私が、20年ほどコールセンターの勤務をしていて、
その多くがパソコンを使用する仕事で、
20年近く右手でマウスを使っていて、それで慣れていたのに
この度左手に持ち替えるという、それは結構大きな変化でした。
何を変えたか、というと、「選択を変えた」んですよね。
HRAVENESEのマレさんも、何かでお話しされてたんですが
(いつのなんの話題か思い出せないけど)
「自分を変えるのは大変だけど、選択を変えるのはできる」
って仰ってました。
今回は、マレさんの言葉が念頭にあったわけではないのですが、
振り返ってみると、私は「選択を変えた」んだ、と気づきました。
(超些細なことに、引き合いに出してすみません)
最初は、整体の先生の提案が
「パソコンの画面の配置を左右逆にしてみましょう」で、
実際にやってみたら、違和感がすごすぎて、
「だったら、マウスもヘッドセットも全部逆だったら、逆に新鮮なんじゃないか?」と、持ち前の極端さで突っ走った結果ではあったんですが、
「違和感があるから、やらない」
という選択ではなく、
「違和感を『嫌な感じ』にフォーカスしなければ、やれるよな」
という、あくまで「やる」ことを、私は選択したんだなと。
「選択を変えることを選択」した結果、
思ってもみなかった面白さ、
やってみなければ絶対に感じられない面白さに
たくさん出会うことができました。
そして、マウスも、左右で使えるようになってきたので、
今後も便利になること間違いなし。
実際に、左手でマウスを使っている先輩は、
「便利だよ、両方で使えるから」って言ってましたしね。
これって、生き方を変える時も、全く同じことが言えると感じました。
やってみなければ、わからない。
やってみたことしか、わからない。
やらなくてもわかるなら、知識を持ってる人が絶対的に有利です。
しかし、知識をたくさん持っている人が、
人生に満足しているか、満たされているか、というと、
決してそうでは人もたくさん見受けられる。
人により、何が人生の満足で、どういう生き方を志し、願い、求めるのか。
その「基準」も様々で、それこそ価値観の根幹をなすものだから、
一概に言えることではありませんが、
「今のままは嫌だ!変わりたい!変えたい!」
そう思い、願い、求めるなら。
まずは「選択を変える」ことが最初の一歩なんだろうなと、
改めて感じました。
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「違う感覚」が同居するのが自分、という気づき
私とて、何でもかんでもすんなり変えてきたわけではありません。
葛藤も迷いもあったし、歩みは亀の如しだったと思います。
けれど、最終的には「やってみないとわからない」と思って、
何かしらにチャレンジすることがあったなあと思います。
大きなチャレンジはあまりなくて、
小さなチャレンジから、ジワジワと恐る恐るやってみる、
そんなタイプです(笑)
一度でも「やってみないとわからない」を体感すると、
違和感があるからチャレンジしないという選択肢は、
勿体無いのだということがわかりました。
そして、「違和感」をなくそうとするのも、ちょっと違うんだ、というのが、
今回の気づきです。
右手で慣れている感覚しか知らなかったので、
左手の感覚は、右手とは違うので最初は「違和感」でした。
その「右手と違う感覚」は今でもあり、全く消えません(笑)。
しかし、この感覚で「普通」になってきました。
そして、この感覚を持ったまま、作業効率が上がり、速度が上がり、
サクサク仕事ができるようになったんです!!
右と左の感覚が、全く同じになることはないんだ!
これは、私にとっては、超びっくりな思いもよらない気づきでした。
二つの違う感覚が同居するのが、本来の自分。
今までは右手しか使ってなかったから、左手の感覚を「知らなかった」だけだったんだと、新鮮に気づいたんです。
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違和感を言い訳にする時点で、心底求めてない
違和感を理由に、やらないことを選択している時は、
変化を心底本気で求めているわけではないんだろうと思います。
そして、「違和感」を悪者にしている限り
「違和感がないことが正しい」と思い続けている限り
「選択を変える」ことそのものが難しいだろうな、とも思いました。
「違和感」を嫌悪するのは、人間としての生理現象なので、
それは悪者ではありません。
慣れないことへの警戒感や、
慣れてるところから離れないようにする働きが
人間には備わっているとも聞きます(ホメオスタシス)
でも、やってみなければ、
「右手と左手はそもそも感覚が別なんだ」ということに
「出会うことさえなかった」わけです。
「この違和感は悪者ではなかった」と知ることもなかったわけです。
左手を使うことがなければ、
右手だけの感覚しか知らなかっただけで、
別の感覚を「感じることがなかった」だけ。
やったことないことが、最初から「しっくり」くるわけもありません。
そういうことも稀にはあるけど、そうではないことの方が多いと思います。
新しいからこそ、違和感もある(笑)
違和感を警戒するのは、大切な本能ではありますが、
本当に変化を求めるなら。
違和感を感じながらでも、選択を変える必要はあるんだなと。
やっていく中で、一つ一つ「違和感」と向き合い、
一つ一つ吟味していけばいいだけのこと。
警戒するべきは警戒した方がいいし、
警戒しなくていいものは、少しずつ仲良くしていけばいい。
何にせよ、「選択を変える」。
そこからしか、始まらないのだなと、改めて学んだ出来事でした。