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【#肩書きのない時間〜17、18週目】

「#肩書きの無い時間 」とは、
「『#自分が 』やりたいコト、モノ」を手放す時間だなと思う。

『自分が』をひっぺがす時間。
「#reset 」ではあるけど、
「all reset」ではない。

だから、「変わらないモノ」も結構ある。
なんなら、「自分はやりたく無いモノ」は、
元気一杯で手元に残っている(笑)

しかし、
どうやらそれは
「#与えられたモノ 」らしい。

「わたしがやりたいから」ではなく、
「これをやりなさい」と、
半ば#問答無用 (笑)に与えられたコト、モノ。

今年最後の「イタリアン冷やしまめらー」美味しすぎて名残惜しい。
@KICK BACK CAFE

でもまぁ、そもそも、
「『自分が自分が』を一旦手放す」を
「私が主体的に選んだ」のが厳密なところ。
結局「自分がやりたくて」やってるんだな。

しかし、目的を持った主体的選択だからか、
当初、心配したような「苦痛」がほとんど無いのが驚き。
今まで、そんな在り方で、生きてみたことが無かった。

もちろん、葛藤や心の調子の上下動は無くならない。
しかし、その対処すら「取り組み課題」として新鮮に捉えられる。

常に、新たな試行錯誤と発見があり、
常に、小さく地味な私的事件が、「#ハッピーエンド 」で終わる。

気づいてみれば、常に「恵み」がどこかに必ず与えられていて、
不思議な「嬉しさ」と「安心感」がある。

『自分が自分が』を握っていた頃は、
欲しくても絶対に得られなかったのに、
手放し始めたら、与えられるなんて。

日常は、#地味な奇跡 の連続のような気がしてきている。

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