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今さら聞けない『福岡市民の祭り「博多どんたく港まつり」』
博多、の周縁部で育った私。
「博多どんたく」って何ですか、と問われれば、
「習い事とかしている人たちが、博多とか天神とかのあちこちのステージで日ごろの成果を見せる大発表会です。」
とちょっとドヤ顔で説明してた。
内心、これでは説明になってないよなーとは思っていました。
だから、今後のために、調べたことをメモしておく。
「博多どんたく」は、治承3年(1179年)に始まったと筑前国続風土記(貝原益軒著)に記されている「松ばやし」をその起源とする凡そ840年余の伝統行事である。
さらっと読み流してしまいそうだけど、一応「松ばやし」が何なのかも調べとく。
松は常緑の植物でその音が福を「待つ」に通じるからでしょうか,神の依代よりしろとされるなど昔から初春の象徴として尊ばれてきました。
かつてその松を用いて年頭に人々を祝福する芸能がありました。どんな芸能を指し示すかは時代や演じる人達によって変化しましたが,「松囃子まつばやし」といいます。
博多松囃子は、室町時代に京都周辺で流行した「松囃子」という芸能が博多へ伝わり、地域に根付いて現在も継承されている、全国的にみても大変貴重な事例です。
いっつも緑色で、その名称も洒落になってる「松」を使った新春のお祝いが室町時代に京都で流行ってて、それが博多に伝わって、「博多松囃子」になった、ということらしい。ここまではOK。
明治5年、新政府より下りてこられた県知事によって松囃子・山笠共中止させられたが、その後、明治12年に再開され「博多どんたく」と呼ばれるようになった。オランダ語のZondag(ゾンターク、休日の意)がその語源と言われている。
急なオランダ語だけど、まぁ、この辺もOK。キャッチ―な名前を探してて、苦肉の策で出したオランダ語が、なんとなく語感的にしっくり来て、誰かの英断で決まっちゃったんだろう。OKです。
昭和37年、「どんたく」は、市民総参加の『福岡市民の祭り「博多どんたく港まつり」』となり、現在に至る。
オランダ語の登場は、イメージが遠すぎて、「ま、いっか」ってなるんだけど、この「港まつり」が謎なんよねー。確かに博多も天神も海が近いんだけど、あんまり港感ないし、博多港がメインステージなわけでもないし。
でもねー。確かにあちこち書いてある。「博多どんたく港まつり」
ここにきてWikipediaからの引用
1949年(昭和24年)からは前年に制定された憲法記念日に合わせて5月3日と翌4日を開催日とし、名称を「松囃子どんたく港祭り」とした。
「博多どんたく港まつり」になる前段として、「松囃子どんたく港祭り」というのがあったらしい。それが戦後間もない1949年。
博多港は、昭和20年(1945年)の終戦直後、引揚港としての指定を受け、約1年5ヶ月にわたり中国東北部や朝鮮半島などから、一般邦人・旧軍人など約139万人の人々が博多港に引き揚げてきました。
ということだから、1949年頃は、「港」への思い入れが大きいのかもしれない。
名前の謎だけで、ちょっと長くなっちゃったな。で、松囃子の話に戻る。どんたくは、松囃子が起源となっているとのことだけど、今となっては、「博多どんたく」の中に組み込まれる形となっているらしい。
現在5月3日・4日の〝博多どんたく〟の中で行なわれている〝松囃子・まつばやし〟は、本来は小正月(旧正月15日)の行事で、新しい年に祝福をもたらす歳神を迎える民俗行事の芸能化したものである。
これまでの引用記事のリンク先を全部読んでまとめると、
・室町時代に京都で正月をお祝いする松囃子が流行る。
・1179年頃、博多にもその文化が入ってくる。
・博多松囃子が派手化して、1872年に知事から禁止される。
・これは禁止されてるやつと違いますよーといって、違う祭をしだす。これが「どんたく」
・戦争が終わって、松囃子ができるようになる。
ということのようだ。
だから、博多どんたくとは、
「習い事とかしている人たちが、博多とか天神とかのあちこちのステージで日ごろの成果を見せる大発表会です。」
で、ほぼ間違ってないのだけど、その起源であり、今もどんたくの中で生きている博多松囃子は忘れてはならないなぁと思った。
だから、今年は博多松囃子をメインに観に行こうかなぁ、なんて思ってる。
「写真提供:福岡市」