【エッセイ】卵巣嚢胞になって手術したら自分の体が自分のものである実感を得た
2024年の7月、本店本屋の実験室プレオープンの1か月前、39年の人生ではじめて宿泊を伴う入院をし、手術をした。
病名は「右卵巣嚢胞」。
婦人科系ではポピュラーな病気で、通常3センチほどの卵巣が肥大して大体6センチあたりを超えたら手術での除去が必要だそうだ。(サイズが小さいと投薬治療も可能らしい)
ちなみに直接的な原因は不明。何かをしたらなる病気ではない。
幸いなことに自覚症状や異常はまったくなかった。
会社の定期健康診断で発覚してから手術まで1か月。入院は5日間。
かかった費用も込みで、自分と肉体に起きた変化を綴りたい。
なお1万字を超えているので、同病名で検索してかかった費用感だけ知りたい人は、目次から「支払い総額」に飛んでください。
発覚
会社の定期健康診断を6月に受けた。
今年ははじめて婦人科系オプションでマンモグラフィーを体験したのだが、まあ痛かった。痛すぎてちょっと笑ってたら「息止めてください」と冷静に注意された。
腹部エコー診療時に「左の卵巣に血が溜まってますね」と言われた。
生理が近かったこともあり、経血が逆流してるだけかもとその場で説明され(それはそれでそんなことあるの!?と驚いた)、生理終わったら近所の婦人科にかかってくださいね、と言われてその日は終わった。
常に肥満がついているものの、今までこの手の健康診断で何かに引っ掛かることがなかったので、まあそろそろそんな所見も出る年齢ですかねえ、ぐらいに思っていた。
一週間後、予約をして近所の婦人科にかかり、経膣エコーで詳細を見てもらったら「左卵巣に異常はないが右卵巣が肥大しているので手術してください。紹介状書きます」とあっさりと告げられた。
左に異常があるから病院に行ってくれと言われたら右がもっと異常事態だった。
不思議な話だが、会社が実施してくれる健康診断に大いに感謝である。
健診時にはすでに卵巣嚢胞は7センチを超えていたため、問答無用で手術の選択肢になった。
手術。入院。
まず最初に思ったのは、「いくらかかるの!?」だった。
ネットで調べてみても、具体的な金額は出てこないが、少なくとも数十万で済みそうではある。
ありがたいことに夏のボーナス直後だったので、手術諸々が終わるまでは一旦大きな買い物は控えようと、予定していたテレビの新調を白紙にした。
がんばれば自宅から徒歩圏内の総合病院の紹介状をもらって、帰宅する道中で上司にどのタイミングで報告するか少し悩んだ。
いくら紹介状があるとて当日行ってすぐ手術になるわけないしな、と思いとりあえず具体的な手術の日取りが決まるまでは言わないことにした。
アラフォー独身女が卵巣を除去するって、男性上司からしたら無駄に深刻に聞こえてしまう気がしたからだ。
丁寧すぎる説明が必要な病気らしかった
総合病院の担当医は男性だったが、判断も言葉も早い気持ちのいい人物だった。
治療法には臓器の完全除去と肥大部分だけ切除の二種類あるが、切除では再発の可能性があることや、卵巣(及び卵管)を片方完全に除去しても妊娠の確率に影響がないことも丁寧に何度も説明してくれた。
こちらとしては、出産の希望も予定もなく、なんなら不要とすら思っているぐらいなので、嬉々として完全除去の方向でお願いした。
おへそと下腹部に穴を3か所開けてそこから器具とカメラを入れる、腹腔鏡手術を行うと説明されて、おおこれがあの医療ドラマや医療マンガで見たやつ…!と感動すら覚えた。
それにしても、あまりにも何度も妊娠確率について説明するので、最後のほうはこちらも食い気味に「いいです。いらないんで取ってください」と言ってしまった。
病院からの帰り道、あまりにも丁寧に説明してくれる主治医の姿勢に、ああ、きっと他の女性にはもっとデリケートな問題なんだろうな、という可能性に思い至った。
私が、事ここに関してドライすぎるのだ。
たとえばパートナーがいて、子どもがほしくてでも恵まれていなくて、そんな状況でこの病気になったらどう思ったのかとも考えたが、遠い別銀河の話すぎて実感を伴う想像は何一つできなかった。
初回は、再度の経膣エコーと、MRIの撮影をした。MRIは院内は混雑しているから提携している別のMRIを撮ってくれる病院に行ってくれと言われて、雨の中移動した。
ちなみにこの時撮ったMRIの費用はおよそ8000円だった。
保険適応でこれである。
診療費6000円と合わせて、いきなり手痛い出費となった。
この時、手術の日程も決まった。
8月10日から蘇我で行われるロッキンオンジャパンのチケットを購入済みだったので、どうしてもこの日までに飛び跳ねても大丈夫な状態にしたいと正直に相談したら、逆算して7月10日を手術日にして7月9日から5日間入院のスケジュールになった。
診療日からはおよそ半月後。
笑わずに真面目にスケジュールを考えてくれた主治医には感謝しかない。
お気持ちよりは実費が知りたい
帰宅して、noteで同じ病状の人の投稿をいくつか検索した。
入院に伴う荷物の準備と治療費の総額がぼんやりとでいいから知りたかったのだが、noteという場所の特性か、病気になってしまったご自身の心境について綴られているものが多かった。
こんなにネットは広大で、noteには書き手がこんなにいるのに、ほしい情報は結局得られなかった。
ここで改めて、そうか…こういう病気になった時に人はショックを受けるのだな、とラーニングしたロボットの気分になった。
と同時に、きっと同じく具体的な金額とか治療の日数とか知りたい人もいるだろうな、と思って、今回全部が終わったらかかった費用をすべてnoteにまとめようと決意した。
日記をつけられないズボラな人間ではあるが、この日から通院や入院にまつわる買い物や何かが起きたら日記をつけ始めた。
人生で初めての長期入院なので、noteで入院持ち物リストを上げている人を大いに参考にさせてもらった。
翌日から、リストを見ながら通勤の片手間に細々したものを買い揃えた。
準備期間と社会制度
初診から一週間後にあった、手術にあたっての事前歯科治療は手術費に込みということでその場での支払いは発生しなかった。
手術中に酸素を送るための挿管具で稀に歯がぐらつくことがあるらしいと聞いて、少しビビる。
手術ってこんなに大変なんだなあ、と、この歳になって色々と初体験できることが楽しくなってきた。
会社では入院にあたり何か必要な手続きがあるのかと就業規則を確認して、一定期間の入院がある場合は慶弔見舞金があることを知ったので、早々に人事に申請をした。
合わせて上司に手術になったことと、入院に必要な日取りを知らせた。
リモートワーク推奨の会社で基本的に上司は出社しないので、SlackのDMで報告した。
その後の個別面談では想像通りの反応だったが、かなり気を使わせてしまった。
元々男性社員が多い部署で、この数年で部署の女性が半分ぐらいに増えたものの若い女性が多く、私は唯一のミドルエイジだ。
上司も言葉として何をかけるのか迷うと思ったので、こちらから積極的に何も深刻ではないことを何度も伝え、若い女性社員たちには面倒がらずに健康診断に行って婦人科検診のオプションをつけろ、保険に入れ、と啓蒙した。
傷病休暇も取れそうだったが、溜まりに溜まっている有給と代休を消化することにした。
業務的にも繁忙期からは外れていて、通話打ち合わせさえなければほとんどどうにかなりそうだったので、スケジュールの調整だけして入院まではいつも通り仕事をした。
保険組合の制度も確認して、高額医療補助制度の使い方を調べた。
退院後でもよさそうだったが、事前申請すれば窓口での実費負担が減らせるのはありがたかったので、その日のうちに申請書を提出したら一週間と待たずに小さな紙が送られてきた。
仕事が早くて助かる。
加入している都民共済の契約内容も確認して、入院と手術費用の保険がおりそうだったので支払い関係の心配はおおよそ解決した。
20代の頃、かつての上司に「掛け捨ての安い保険でいいから若いうちから入っておくといいよ」と勧められ、たまたまそのタイミングでポストに投函されていた都民共済に入り続けて十数年。
やはりこういう時のための「保険」なのだな、と思った。
私の体は誰のものか
いろいろと準備している間に除去する臓器のことを考えていたが、やはり何度考えても自分には不要としか思えなかった。
仮に子宮丸ごとなくなることを想像しても、楽になる、としか思えなかった。
昔から女性性をなくしたいと思うことが多かった。
捨てたいとも違う、なくしたさ。
性自認が男性であるわけではないけれど、おそらくパートナーの性はなんでもよくて、なんなら恋愛も性愛も正直なところいまだによくわからない。
エンタメの中にある恋愛は好きだし、ラブロマンスも好きだけど、自分ごととしての実感はいつまで経っても持てない。
でもこれって誰もがよくわかってないんだろうな、と思いながら、マンガや小説、エッセイに出てくる誰かの感情を必死にトレースしていた気がする。
それと同時に、実家にいた頃、父親に何度も言われた「親からもらった体」という表現のことを思い出した。
Jリーグが発足した当時、サッカー選手の派手なファッションが話題になっていた。
茶髪にピアス、ロン毛。
どれもとても衝撃的だったが、父はそれを「不良」「だらしない」と断じていた。
小学5年生の時、はじめて同じクラスになった海外ルーツの同級生の耳にはピアスがハマっていた。
子どもでも開けていいんだ!と更なる衝撃を覚えた。
自分もやってみたいとそれとなく近所のジャスコを父と歩きながら口に出したら、「親からもらった体に穴を開けるとは何事だ」と一刀両断された。
髪を染めることも当然許されなかった。
せめてもの反抗精神のようなもので、高校3年間は一度も美容院を使わず、自分で漉き鋏を使って極限まで髪を短くしていた。
学校指定のセーラー服とは、恐ろしくミスマッチだったがそんなことどうでもいいと思っていた。
25歳で縁あって東京での仕事が見つかり上京して、しばらく経ってから、こんなに長期間親に遭わないなら髪ぐらい染めてもいいのでは?と思って緩やかに髪を染めはじめた。
それでも実家に帰る年末年始にはなんとなく髪色が戻る程度には調整していた。
数年前に仕事のストレスがピークに達した時に、全頭ブリーチをして髪を真っ赤に染めた。
その姿で一度実家に帰ったが、年老いた父は昔の勢いがすっかり削げていて何も言わなかった。
結婚もしない、出産もしない、電話もしなけりゃ実家にもあまり帰ってこない、そんな娘のコントロールを諦めたのかもしれない。
何も言われなくなったのをいいことに、私の髪は今、2か月ごとに変貌するカラフルなトレードマークになっている。
手術にあたって、緊急連絡先と直筆の同意書(?)が必要と言われて、真っ先に母の名前を書いて事情説明の電話をした。
この年になってなお、一人では手術が受けられないことに愕然とした。
確かに万が一死亡したり何か起きたら連絡は必要だとは思うが、じゃあ私が家族と断絶していたり、独身高齢者だったらどうすればいいのだろうと思った。
母には手術する旨が伝わったが、父には絶対に言わないようにお願いした。
不摂生や何かが原因でなった病気ではないが、それを説明したところで何か言われるのは目に見えていたので面倒を避けたかった。
その一方で、親にもらった体に穴をあけるだけでなく臓器を除去する我が身について改めて考えた。
私の体、どう考えても私にしか責任がないし、私のものじゃん。
あたり前のことだけれど、このあたり前を”実感を伴って”手に入れるのに39年かかった。
でも、元気なうちに実感を得られてよかったとも思う。
この時、今年は肉体改造の年にしようと決め、診察ついでに主治医にミレーナ装着の相談をし、冬になったらピアスを開ける決意をした。
夏にピアスをあけると手入れが大変だと聞いたから、ズボラな自分は冬にしたほうがいいなと思ったし、実際友人らにもそうすすめられた。
先の楽しみがあるのはとても気持ちがよかった。
入院〜手術〜術後
7月2日、術前検査で肝臓の数値がちょっと悪かったので要再検査になった。
さらに生理が近そうだったのでこれは手術延期か?と思い聞いてみたら、生理中でも手術はできるらしい。マジで?
この時、事前検査に使ったMRIの写真が納められたCD-Rをもらった。
使い道がなさすぎるCD-Rなうえに自宅に読み取りドライブもないのだが、なんとなく捨てられなくて今でも取ってある。
7月4日、肝臓の数値確認のための再検査。結果、手術には影響がないので問題なかった。
病院から最寄り駅まで徒歩15分ほどの道のりに、美味しそうな飲食店や喫茶店がいくつもあって、退院後の楽しみがまた増えた。
7月8日(月)、入院前日。
手術が10日にあること以外はほぼなんのスケジュールも教えられなかったので、なるべく仕事が残らないように、残っても即対応しなくてもなんとかなる状態にだけはしておこうと思っていたのだが、結局仕事が終わったのは午前3時だった。
7月9日(火)、入院当日。
午前9時に病院に行かなくてはならなかったので早めに寝ようと思っていたのに、全然予定通りにいかず何も支度しないまま7時半に起床。
慌ててパッキングをしながら配車アプリでタクシー手配をしようとするがまったく捕まらず、アプリをいくつか渡り歩いて30分格闘の結果なんとか手配ができて5分遅れて病院についた。
産婦人科での入院なので、病棟に行くと歩いているのは妊婦さんばかりだったが、同室の人はおそらく年下か同世代くらいの妊婦さんではなさそうな人で、他の部屋には高齢者もいた。
たまに遠くから赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる環境は新鮮で楽しかったけれど、これは病気に対して深刻な気分になっている人には酷な環境だろうなとも思った。
病室に入ってから、居心地をよくするために持ってきた荷物をひろげまくった。
テーブルタップでコンセントを増やし、スマホとノートPCの位置を決めた。
5日間、自分の生活エリアがこのベッドの上だけかと思うと少しだけ気が滅入ったが、窓際だったことは幸いだった。
窓から見えるのは病院の裏口とマンションだけだったが、太陽光が入ってくるのがありがたかった。
そうそうに散らかしたベッドに麻酔科医がきて、明日の手術の説明をしてくれた。
麻酔は術後20分程度で目が覚める設定らしい。怖すごい。
病院食はおいしくないなんてもう過去のイメージなんだろうなと思うくらい、ごはんもおいしかった。
夕方、お腹の産毛をチェックされた。手術前に剃る必要があるらしい。
知らないことの多さに、貴重な体験ができていることがおもしろくなってきた。
夜はいつも通りラジオを聴きながら寝た。
7月10日(水)、目が覚めたらまだ4時50分だったが、外はうっすらと明るかった。
そのまま二度寝して6時に起床。
本来ならこのあと朝食の時間だけれど、手術当日なので食事なし。
血圧を測られたり、浣腸をされたりと忙しい。
点滴の準備をされるが、もともと血管が細くていつもおなじところからしか採血できないぐらいなので、1時間ぐらい看護師さんが入れ替わり立ち替わりきてなんとか刺し位置が決まる。たぶん4回ぐらい刺し直されている。
右手の甲にフィルムシートを貼られ、そこにマジックで大きく丸を描かれた。
手術の際に左右間違いがないようにらしい。
12時少し前に主治医が来て、自分で点滴を引きながら歩いて手術室へ向かう。
現段階ではどこにも異常がないからあたり前ではあるのだが、自ら歩いて手術室に向かうのはなんだか奇妙でおもしろかった。
手術室に入る前に名前を確認され、その先で手術台にあがっても名前と病名を確認された。
とにかく間違いがないようにと素晴らしい努力ではあるのだが、どんどん人が集まってくるのと同じことを反芻するおもしろさと、手術台のあまりの細さに笑いが込み上げてきてずっとうっすら笑っている変な人だった。
看護師さんは、お腹の消毒でくすぐったがっていると勘違いしてくれたので助かった。
麻酔入れますね〜、の言葉の数秒後に脳がぼんやりしてきたと思ったら、次の瞬間にはもう手術が終わってちょうどナースステーション横にある特別室に移されたところだった。
おそらく15時ごろだったように思う。
術後に除去したものがみたいと主治医に事前に相談していたので、その場でホルマリン漬けの卵巣を見せてもらった。
しかし極度に視力が悪く、メガネがない状態だったのでほぼ何も見えなかった。
酸素吸入の管を入れられていたせいで声が掠れてまともに応答もできず、ぼんやりとピンク色らしい何かを眺めて終わってしまった。
あの瞬間ほど己の視力の悪さを呪ったことはない。
翌日の昼までは術後に何かあったらいけないのでこの特別室で過ごすらしく、まったく動けない状態で両足には血液循環用のマッサージャーのようなものが付けられていた。
挿管の影響で喉の調子がおかしくて、咳き込んだらそのまま痰がからんで呼吸ができなくなって慌ててナースコールを押した。
背中を起こしてもらってなんとか呼吸できるようになり、主治医の許可をもらって少しだけベッドの傾斜をつけてもらえたら、随分と呼吸が楽になった。
腕には点滴、歩くのはNG、寝返りも打てない。
やることがなさすぎてとにかく時間が長い。
おまけに、ずっと1日目の生理痛みたいな蹲りたくなるような痛みが続いている。
本来は二人部屋なのだろうが、都合私しかいなかったので許可をもらってイヤホンなしでスマホから音を出す許可をもらった(イヤホンを自分の病室に忘れてきてしまった)。
配信されたばかりの「奇奇怪怪」を聞いたらおもしろすぎて、笑うとお腹が痛すぎたので泣く泣く聞くのをやめて音楽だけ流して寝ようと努力したが、結局朝まで2時間おきに何度も目が覚めてしまっていた。
7月11日(木)正午、病室に移るためにドレーンと点滴以外の管が抜かれ、自分の足で10mほど離れた病室まで移動した。
人によっては、ここで立ち上げれなかったり歩けなかったりするらしいが、痛みはあるものの点滴の棒を支えに自力歩行は可能だった。
寝っぱなしもよくないので歩き回ってくださいと言われ、今度はイヤホン使ってラジオを聴きながら面会室や廊下をうろうろし続けた。
面会室にいくと、掲示板にさまざまなお知らせに混じって当月の献立票が貼られていた。
1日寝て過ごした昨日の昼食が冷やし中華で、夜にはうなぎご飯が出ていたことを知り、わりとデカ目の声で「マジかー」とつぶやいてしまった。
ここからしばらく主食がお粥にされていたのは、地味にきつかった。
医者に止められなければ、入院時には塩を持参することもおすすめしたい。
食事についても、術後すぐに食べられない人も多いらしいが、私はまったく問題なく常に完食していた。
以降の術後経過はすこぶる順調で、順調すぎて看護師さんや主治医からとにかく無茶はするなと口酸っぱく言われた。
スポーツ的な体力はまったく皆無だが、今まで大病もしたことがなく、コロナともインフルエンザとも毎年無縁の生命力だけは自慢できると思った。
歩くのはしんどかったが車椅子が必要なほどでもなく、それよりもトイレがとてもしんどかった。
しゃがんでそこから立ち上がる動作が負担がかかって痛すぎる。
入院中はとにかく暇で、ずっとベッドの上にあぐらをかいてTVerとYoutubeを見て、たまに会社のSlackを覗いたりメールチェックなどをしていた。
本は、きっと読む時間がないだろうと思って2冊だけ持っていった。
西加奈子さん『くもをさがす』と、アンソロジー『私の身体を生きる』。
どちらの本も入院が決まる前から購入していたもので、『くもをさがす』に至ってはすでに読了していた。
それでも持っていったのは、あの本に書かれていたほど深刻ではないけれど、実際に自分が手術した後で本にあったような自分の体が自分のものである実感が得られるか知りたかったからだ。
もともと西さんのエッセイは、自分の体を取り戻すことについて考えさせてくれた本だったので、このタイミングで読み返せてよかった。
アンソロジーのほうも、全部が少しずつ私の話で、私じゃない人の話で、やっぱり自分の身体について考え直すきっかけになったのでここで読めてよかった。
病院内でだけ使えるプリペイドカードを使えば冷蔵庫とテレビが使えるようだったけれど、テレビはTVerでまかない飲料は自販機と院内のコンビニを利用したので真夏でも冷蔵庫は必要なかった。
大失敗したのはパジャマのチョイスだ。
お気に入りのアーティストグッズであるセパレートタイプのスウェットを持っていって楽しく過ごそうと思っていたのだが、術後はドレーンがついていたり、トイレでの脱ぎ着がとにかく痛くて大変で、これは絶対にワンピースタイプが楽だっただろうと思った。
次回への反省にしたいし、これを読んでいる入院前の人にはぜひワンピースタイプのパジャマを用意してもらいたい。
7月12日(金)、6時起床。
前日は久しぶりに22時ごろ就寝し、たくさん寝た結果ほぼ動作時以外の痛みはなくなった。
……と思ったらここで生理がきてしまった。
生理痛のほうが、術後の痛みよりも強くてなんだこれ!?人体のバグすぎる!と何度目かの恨み節。
体温を測りにきた看護師さんにお願いして、カロナールを処方してもらう。
微熱気味だが、おそらくは予定通り退院してよさそうと言われて、そうか予定通りに退院できないこともあるのか、と自分の想像力が欠如していたことを知る。
退院にまつわる書類を確認していたら、退院予定日が土日の場合は会計窓口が閉まっているので前日までに退院手続きをしておく必要がある記載を見つけて、慌てて一階の窓口で手続きをする。
そのついでに、会社に診断書の提出が必要な旨を相談すると、所定の書類で申請しておけば後日経過観察の際に作成した書類を渡せると言われた。
入院前に準備していた会社の書類を窓口に渡して、一覧表から選んで必要な形式をしていするのだが、診断書の値段がピンキリで驚いた。
1000円程度のものから、7000円まで。
会社所定のフォームへの記入は、きっちり7000円(+税)だった。
ここでも予想外の出費となったし、診断書作成にはお金がかかるのか……と目から鱗だった。
院内の歯科にかかって、歯のぐらつきがないかを確認してもらう。
無事で安心。
ドレーンの管も抜かれて、ひとりでシャワーを浴びれることになった。
ドライシャンプーとボディーシートで数日乗り切っていたが、やはりシャワーを浴びれることはとても気持ちがよかったしリフレッシュできた。
7月13日(土)、6時起床。
平熱に戻ったものの謎の高血圧。
体はめちゃくちゃ元気なのだが、なんらかの異常がなければおかしい数値と言われてしまう。
ベッドに完全に寝転んだ状態で計り直してもらったら、いつも通りの血圧に戻ったのでなんだったのかはわからないが、無事に退院できることになった。
最後に問診して異常がないことを確認して、その場でミレーナの装着について相談したらあっさりと保険適応もされるだろうことと、次の予定を入れてもらえた。
過去に別の有名なレディースクリニックで相談をした際は、経産婦じゃないとあんまり意味ないですよ、とやんわりと断られてしまっていたため、あまりにもあっさり事が進んで少々拍子抜けしてしまった。
婦人科系の病気はどうしても女医さんを頼りたくなってしまうけれど、こちらの意図を汲んでくれることに性別は関係ないな、と反省した。
数日の間に散らかしに散らかしたベッド周りを片付けて、12時には病院を後にした。
5日ぶりに出た屋外は夏らしく、とても暑くて空が青かった。
退院祝いに、近所の回転すし屋で昼食をとった。
あっさりしすぎなぐらい急速に戻ってくる日常になんとなく残念な気持ちになりながら、帰宅して持ち帰ったもろもろを洗濯した。
自分の体が自分のものである実感
これを書いている2024年12月21日、人生で初めてピアスを開けた。
近所の皮膚科を予約して、やたらと陽気な院長先生が軽快に開けてくれた。
開けた瞬間よりもその後じわじわと鈍い痛みが続いて、それも30分経ったら違和感はなくなった。
2か月後にはファーストピアスが外せるそうなので、今から次に何をつけるのか楽しみにしている。
手術が決まってから、もう今更体に何かすることに臆することもなくなり、今年は肉体改造の年にしようと思って、8月に無事にミレーナも装着した。
ミレーナを入れてすぐの出血が1か月ほど続いたあと、ほぼ3か月生理は来ていない。
腹痛もなく、とても快適だ。
あんなにもどうしようもなくてせいぜいできる抵抗は鎮痛剤を飲むことぐらいと思っていたことが、こんなにも簡単に解決した。
自分の体のことは痛みを受けることも逃すことも自分で決めていいし、その決断を誰かがジャッジすることは不当だし不躾だ。
もし、これを読んでいるあなたに子どもがいたり、あるいは子どもと関わる場所にいるのなら、どうか言葉には気をつけてほしい。
「親にもらった体」という言葉は、意外と重く長くのしかかります。
支払い総額
地元婦人科病院診療:3,000円
総合病院初回診療:6,000円
事前MRI撮影:8,000円
手術+入院(大部屋・5日間):10万 ※窓口高額医療補助使用
入院中の飲料など:3,000円
会社提出用診断書:7,700円
入院用に購入した小物など
・テーブルタップ(これは本当に大いに役立った)
・サボリーノフェイスパック(洗顔の省略。これも最高に便利だった)
・オールインワンジェル(これもとても重宝した)
・ドライシャンプー(手術後お風呂に入れなかったのでこれもあったほうがいい)
・ボディシート(上記に同じ)
・ティッシュ+除菌用ウェットティッシュ(病院によるかもだけど私が入院したところはなかったので持っていった)
・バスタオル、フェイスタオル(入浴用。フェイスタオルは3枚持っていった)
・シャンプー、リンス(入浴時に使う用)
・小さめのヘアコーム
・病院指定のT字帯(ふんどし的なもの。術後使う)
・病院指定の腹帯(院内指定のコンビニで購入。使用しなかったので返品できた)
総額13,000円ぐらい
通院のタクシー利用(5回):10,000円
総計:およそ15万円
保険料で全てカバーできました。
持ち込み品には、買いそびれていたけど他の人たちが入院荷物に入れていたペットボトル用ストローは絶対にあったほうがいい。
おまけ:保険には入ったほうがいい
今回、本当に社会保険制度と民間保険、会社の福利厚生に助けられた。
不測の事態が起きても、まずは社会と会社が何をしてくれるのか調べるのは大事だと実感した。
前述のとおり私は都民共済に加入しているのだが、手術補償と入院補償でほぼ全額が賄えたし、なんならちょっとお釣りも出ている。
おまけに、手術明細の書かれた領収書を送ったら、たしか2日後には登録口座に保険金が振り込まれていた。
あまりにも仕事が早い。
死亡保険の額はそこまで高くないが、逆にいうと独身で残す相手もいないのならこれで十分すぎるぐらい十分だと思う。
毎年夏頃には還付金も多少出るので、保険かけたいけどどれにしたらいいんだか…と悩んでいる人はぜひご一考ください。