Behind the Scenes of Honda F1 2021 -ピット裏から見る景色- Vol.06
皆さん改めましてこんにちは。英国にあるHonda F1の拠点であるHRD-UKで勤務している津吉です。今回で3回目の担当になりますが、最後までお付き合い願えますと幸いです。
―またも”悔しい”2位。ライバルの強さを改めて実感
さて、先日のスペインGPも、ポルトガルGPに続いて「2位だけどとても悔しい」というレースになってしまいましたね。フェルスタッペン選手のスタートは今回も素晴らしく、レースの大半をリードできていたのですが、ハミルトン選手の速さと、メルセデスのタイヤ戦略の妙により逆転を許してしまいました。本当にメルセデスの背中はすぐそこに見えていると思っていますが、近づいてみると改めて、彼らのチームとしてのすごさ、完璧さというものを思い知らされたレースでした。伊達に6年連続でチャンピオンを獲っているわけではないですね。
当然、まだまだ私たちにもチャンスはありますし、これからもチャンピオンを獲るために挑み続けていきますが、本当に挑みがいのあるタフな相手だなと改めて感じました。来週には伝統のモナコGP。Hondaとしては第二期の黄金時代にセナ選手とHondaとで素晴らしい記録を残した地ですので、ラストイヤーとなる私たちも、マックス選手と一緒に記憶と記録に残るレースにしなければいけません。
―F1プロジェクトでも未知の領域に挑戦
さて、前回はこれまでのキャリアについて語ってきましたが、最終回となる今回は、現行のF1プロジェクトについて話をしていきます。
私が今回のプロジェクトに参加したのは、2016年の2月から。その頃はHondaがF1に復帰して2年目、マクラーレンとのパートナーシップを組んでいた時代です。ご存知の方も多いと思いますが、当時は数多くのパワーユニット(PU)の信頼性問題に悩まされていました。そして、その際に私が配属されたのはMGU-H(排気熱回生システム)という信頼性問題のど真ん中にあったコンポーネントの開発領域でした。量産車部門から異動した直後から、当時のHonda F1の課題の中心に飛び込んだ形です。
MGU-K(運動エネルギー回生システム)と合わせ、電気領域にあたるMGU-Hは、タービンとコンプレッサーに挟まれる形で、1分間に10万回以上も回転しています。電気領域ということもそうですが、そんな高速回転体に今まで携わったことがなかったので、ここでもまた未経験領域に足を踏み入れたことになります。私のキャリアはそんなことばかりですね(笑)。
―プロジェクトは苦境に立たされ、厳しい日々が
特に、2017年はMGU-Hの信頼性問題多発によりレース結果が振るわない中、パートナーであるマクラーレンとの関係性にも緊張感が漂う状況で、HondaのF1での苦戦は、しばしば日本ではモータースポーツニュースの枠を超えて報道されるようになっていました。
私は常に、自分の仕事に対して後ろ向きに取り組むことはしませんし、仕事が嫌だと思ったことは一度もありません。ただ、会社にとって非常に大きなプロジェクトが抱える問題の中心に自分がいて、プロジェクトも岐路に立たされていました。「これを解決しない限りはプロジェクトそのものが先に進めない、スタックしかねない」というプレッシャーの下で仕事をすることが辛くなかったというのは、嘘になります。先が見えない中で、本当に厳しい日々だったというのが正直なところです。
2017年型Hondaパワーユニット「RA617H」
私たちが当時抱えていた問題は、MGU-Hの中にあるシャフト(軸)を支える”軸受け”の耐久性というものでした。MGU-Hのシャフトは、上に書いたように1分間あたり10万回転超という超高速で駆動しているのですが、それが走行中に、エンジンなどから来る振動により壊れてしまうトラブルが頻繁に起こっていました。通常の量産車エンジンなどでは、このように長いシャフトが10万回転以上のスピードで駆動するといった箇所が存在しないため、当時のHonda F1にいたトップエンジニアたちの知見を持ち寄っても、なかなか解決できない難題であり、具体的な解決方法を見つけることに苦戦していました。
―救ってくれたのはHondaの仲間。航空機エンジンの知見を活用
いまでは割と知られている話ですが、その難題をブレイクスルーするのに使われたのがHondaJetのエンジン開発チームの知見です。問題解決の端緒となったのは、Honda F1プロジェクトの母体である本田技術研究所に相談を持ち掛けたところからになります。二輪・四輪・汎用製品・ロボティクス・航空機など、数多の開発チームが多様な領域に取り組む研究所内で、MGU-Hのシャフトと同じように超高速回転する部品・技術があるかを確認したところ、上がってきたのがHondaJetの航空機エンジンに使われている部品でした。
航空機エンジンは自動車のエンジンとは異なる構造・フィロソフィーの下で作られているのですが、その知見を持つ彼らと一緒にF1のPUが求める要件を細かく話しながら、改良型のMGU-Hの仕様を決めていきました。同じ会社にいながら異なる領域・経験を持つ人たちと仕事をすることはとても刺激にあふれた経験でしたし、我々が課題としている領域に対し、豊富な知見を有する彼らはとても心強い存在でした。Hondaに限らず、エンジニアは自分の仕事に誇りを感じる生き物です。もちろん、当時の私たちも自分たちがそこまで積み上げてきたものに対するプライドはありました。しかし、そんなことよりも「抱えている大きな問題をできるだけ早く解決することが最優先だ」という認識を全員が持っていました。
結果的には、HondaJetチームの知見が大きな助けとなり、信頼性の問題を根本から解決することができました。彼らは解決に向けた具体的なプロセスと技術を持っており、一緒に仕事をすることで私自身もエンジニアとしての知見をさらに広めることができた案件でした。そして、Hondaという会社が持つ知的資源・人的資源の豊富さや、底力のようなものを実感しました。この会社が本気になれば、こんなにすごいことができるんだと感じた瞬間でもあります。
―上昇気流の中での撤退。なんとしても頂点に
その後、2018年にToro Rosso(現在のAlphaTauri)とのパートナーシップを開始、2019年からはRed Bullも加わって2つのチームと一歩ずつ前進してきました。ここまで両チームと表彰台と勝利を挙げていますし、今年はさらに競争力のあるPUを提供することができていると思います。
今回の撤退については、ここまで上昇気流に乗っていたこともあって、自分としては大きなショックを受けました。私は第三期の撤退も経験していますが、こういったことは何度経験しても慣れるものではありません。元々、HondaでF1を戦うことが自分の夢でしたし、今の仕事が途中で終わってしまうという残念さもあります。しかしながら、会社の判断を尊重し、自分の中で状況を受け入れて先を見据え、残された1年をしっかりと戦い抜いていこうと思っております。
また、こちらの欧州出身のメンバーでも、私と同様にHondaが大好きでプロジェクトで携わっている人が多いので、いまは彼らとどうしてもチャンピオンになりたいという想いがあります。
―最終年のPUには、これまでの知見をフル活用
一方で、この最終年に向けて私たちが投入した新型のPUは、胸を張って「いいエンジンだ」と言える自信があります。コンパクトな上にパワーが出ていますし、開発期間が非常に短い中で、トップ争いができるレベルまでに仕上げてきてくれています。我々HRD-UKもそうなのですが、HRD-Sakuraの仲間たちが本当にいい仕事をしてくれました。
栃木県にある日本での開発拠点 HRD-Sakura
当初は開発期間の短さから、投入に懸念を示す声もあったと聞いていますし、かなり難しいチャレンジだったはずですが、計画通りに性能と信頼性を向上させた上で、開幕に間に合わせて投入できたことは本当にすごいと思います。信頼性の確認に関する開発方法もここまでで積み上げてきたものがありますので、そういった知見をフルに活かすことができた結果だと思います。
私はここまで自分たちが成し遂げてきたことに対して誇りを持っていますが、一方で、1位を取らなければ全部一緒だとも感じています。それに、自分たちが勝つことによって、少しでも皆さんと一緒に喜ぶことができたらとも思っています。確実に前進はしていますが、このままで終わってしまってはいけないという想いです。これまでも「必ずチャンピオンを獲る」という想いで仕事をしていましたが、今年はその思いがより一層強いです。
―レースで勝つことで、成し遂げられるものがある
先日のゴルフの松山英樹選手のマスターズ優勝を見ていてもより一層強く感じたことですが、自分たちの舞台であるF1を通じて、コロナ禍の影響もあって少し元気がない日本に、明るいニュースを届けて、みんなを元気にしたいなと言う想いもあります。Hondaのお客さんやファンの皆さん、Honda社員、特にお客さんと日々接している販売店の皆さん、そういった人たちと一緒に喜びを分かち合いたい、みんなに笑ってもらう手助けをできたらとても嬉しいと感じます。そしてやはり、メーカーに勤務しているエンジニアとしては、日本の製造業の技術力、底力といったものを、チャンピオンを獲ることによって世界に証明したいとも思っています。
今でもよく覚えているのですが、2019年にフェルスタッペン選手がオーストリアでHondaのF1復帰後初勝利を挙げた際に、我々にとって新たに見えてきたものがたくさんありました。自分たちはここからトップを目指して戦いに挑むんだということを強く自覚しましたし、そのためには本当にすべての仕事を完璧に行わなくてはいけないということもよくわかりました。新しい世界が開けた感覚です。
こういったことは、それまでも言葉として理解はしていましたが、身をもって体験するのはまた大きく異なる意味を持っています。メンバーのモチベーションもさらに高まりましたし、表彰台の真ん中に立つことで見えてくるものの大きさを実感しました。
これと同じように、私たちが今年チャンピオンを獲ることができたら、そこで新たに見えてくることがたくさんあるはずです。エンジニアとして私や仲間たちのさらなる成長につながるものもあるでしょうし、そうなりたいと強く思っています。
また、Hondaという会社としても「世界一」になることで、今まで自分たちが持っていたもの、新たに成し遂げたことに対して、これまでしてこなかったようなものの見方をするようになるかもしれません。そして、それが今後直面する新たなチャレンジに向かって一歩一歩切り開いていくための原動力や自信となることと信じています。
そのようなことを考えても、このラストイヤーに我々がチャンピオンになることは本当に大事ですし、自分たちは大きな責任を負っていると自負しています。まだまだ先は長いですが、頂点を目指して最後まで全力で戦っていきます。