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Behind the Scenes of Honda F1 2021 -ピット裏から見る景色- Vol.13

みなさん、こんにちは。Scuderia AlphaTauri Hondaで角田選手のパワーユニット(PU)を担当しているエンジニアの壬生塚(みぶつか)です。日本は暑い日が続いているのではないかと思いますが、お元気でお過ごしでしょうか。きっとお盆休みの時期ですね。私がいるイギリスの8月は気温が20度を切る日も多く、日本に比べると随分涼しいですが、F1も2週間のサマーシャットダウン中です。つかの間の休息期間となり、メンバーは来るべき後半戦に向けてパワーを蓄えているところだと思います。

さて、前回は現行のF1プロジェクトに携わる前の、Super Formulaでのトラックサイド・エンジニアとしての話を主に書いてきました。今回はいまのF1プロジェクトに携わって以降の話をしようと思います。

―佳境を迎えていたF1プロジェクトへの加入

僕が現行のF1プロジェクトに加わるように言われたのは、2014年10月のことです。2015年シーズンからの参戦に向けて、すでにプロジェクトは開始していた状態で、すぐ後に迫るアブダビテストでの初走行に向けて、佳境を迎えているというところでした。

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もちろん、F1をやりたくて入社した自分としては、第三期に続き今回もメンバーになることができてうれしい部分はありました。ただ、最初に「Super FormulaからF1に移ってほしい」と言われたときは、いくらか複雑な気分もありました。Super Formulaでドライバーたちと一緒に仕事をする中で、この人たちのためにやり切りたいという思いが強かったですし、なによりシーズンもまだ途中でした。自分の中で新しいモチベーションを見つけて仕事ができていたタイミングだったので、後ろ髪を引かれる気持ちも強かったです。

ともあれ、再びHonda F1の一員として仕事をすることになりました。僕がこのとき最初に配属されたのは、トラックサイド・エンジニアではなく、第三期や量産車部門でも経験していたベンチテストでの開発領域です。先にも書いた通り、F1プロジェクトはシーズンへの復帰を目前にして待ったなしというタイミングでしたが、実際にはテストベンチでは悪戦苦闘の連続でした。F1復帰の発表後、非常に短い時間で開発に取り組んできましたが、現レギュレーション下のPUには第三期には経験していないターボエンジン、さらにはMGU-HやMGU-Kという種類が異なる2つのモーターが着いています。複雑な機構と制御が必要とされるパワーユニット(PU)開発は、誰にとっても新しいチャレンジで、本当に難しいものでした。

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―苦難が続く中、地道にトライ&エラーを繰り返す

皆さんもご存じかもしれませんが、2015年にHondaがF1復帰を果たした後も、特に2017年あたりまではリタイアの数も多く、完走さえ難しいレースが続いていました。そして、僕がいたHRD-Sakuraのテストベンチでも同じように、苦労の連続という状況でした。

他メーカーが参戦までに数年をかけてPUを開発してきたのに対して、僕たちは近代F1の知見もない中で、大幅に短い時間で開発しなければいけない状況でした。そして、エンジニア目線で言えば、こういった復帰後の数年間の苦しい時間は必要なもので、避けては通れなかったもののようにも感じています。当時は色々と批判を浴びましたし、なによりレースは結果がすべてだということは、自分たちも身に染みて理解しています。それでも、あれだけ短い時間できちんとPUの形をとって2015年の参戦に間に合わせ、開幕戦で1台完走を果たしたことは、結果ではなく技術的観点で見た場合にはすごいことだったと思っています。

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2015年のF1復帰以降、一つ一つ問題を解決してPUが少しずつ良くなっていることはテストベンチでも実感していましたが、一方で、ライバルに対していいレースをするという意味では、大きなブレイクスルーみたいなものがない限りは厳しいだろうとも感じていました。基本的にサーキットで苦戦している時期は、テストベンチでもずっと同じような苦しみを抱いていたと記憶しています。2017年の途中くらいに、Sakuraの開発チームがICEの性能向上のための本当に小さな手掛かりみたいなものを見つけていましたが、それを実際にレースで使えるレベルのものにして、PUとして形になったのは2018年のスペック3と呼ばれるものでしたので、やはり長い時間が必要でした。

継続的な課題だったMGU-Hの信頼性についても改善を重ねていましたが、本当に解決できたと言えるのは、よく知られているようにHondaJetのエンジン開発陣の力を借りて作ったものがレースに出てきた2018年からになります。そして、一旦信頼性が安定しだすと、ベンチテストでも多くの時間をパフォーマンス系のテストに費やせるようになりました、そのあたりからようやく、着実な前進を感じることができるようになりました。

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こういったレベルに行きつくまで、成功したもの以外にも数多くのアイデアや構想があり、トライを重ねていましたが、うまくいったものばかりではありませんし、むしろ失敗の数の方が多かったはずです。

「大きなブレイクスルーが必要」と上に書きましたが、そういったものは魔法のランプや宝くじの当たりのように突然出てくるわけではありません。数多くの思考とトライと失敗を重ね、そこから答えのようなものがかすかに見えてきて、そこからまた多くのトライと失敗を繰り返した末に手にできるという、とても地道で長いプロセスが必要です。特にF1のように、誰もなし得ていない世界トップレベルの技術開発というものは、概してそういうものですし、僕たちのライバルチームも、程度の差こそあれ同じようなプロセスと時間をかけているはずで、決して自分たちだけが長い時間を要したとは思っていません。

―英国への駐在がスタート。よりレース現場に近づく

僕自身には、2017年3月に英国のHRD-UKへの駐在という辞令がおります。駐在開始後の担当業務は、Sakuraでの内容と同じくベンチテストの仕事でした。違いとしては、Sakuraでは将来的に投入するPUの開発をしていたのに対し、HRD-UKでは、レースで使用される仕様のPUをギアボックスと繋ぎ、実際のレースでのセッティングやスタート時のローンチ(ギアをつないで車輪を動かし始める動作)テストなど、よりレースに近い状況での開発をする仕事でした。

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HRD-UKのベンチは、開発のフェーズで言うと、かなり後ろの工程になります。ギアボックスはチームが作っているものなので、必然的にチームのメンバーとの仕事になり、2017年にはマクラーレン、その後はRed Bullテクノロジーと日々仕事をしていくことになりました。マクラーレンとの仕事については、当時のレースでの成績は上がらなかったものの、ベンチでの彼らとの雰囲気は悪くなかったですし、少しずつですがよくなる兆候も見え始めていたので、みんな前向きではありました。ただ、駐在後半年ほどで、2017年いっぱいでMcLarenとのパートナーシップ解消と、Toro Rosso(現在のScuderia AlphaTauri)とのパートナーシップ締結が発表されました。

その時には、「これが僕たちにはラストチャンスなんだ。ここでやらないと、HondaのF1が終わってしまう」という強い危機感と決意のようなものを感じていたことをよく覚えています。

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―Toro Rossoがいなければ今の躍進はなかった

Toro Rossoと仕事を始めた当初は、これまでのビッグチームであるMcLarenとの違いに戸惑うことも正直ありました。彼ら自身も「ワークスチーム」という立場が初めてだったので、戸惑いはあったと思いますし、互いに新たなチャレンジではあったと思います。

ただ、一旦やり方を掴んでくると、イタリア人らしく雰囲気はおおらかで、型にはまらない柔軟性がありました。その部分は業務エリアの制限や縦割りが少ないHonda F1に似ているとも感じました。僕たちが自信を失っているときに、彼らのような底抜けに明るいチームと一緒に仕事ができて、少しずつですが一緒に前進を果たせたという意味で、本当になくてはならないタイミングで素晴らしいパートナーシップを組むことができたと思っています。彼らとでなければ、今のHondaの躍進はなかったはずです。

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パートナーシップの締結が遅かったため、数か月という短い期間で準備を整えて、2018年のチャンピオンシップに突入します。それにもかかわらず、第2戦のバーレーンGPでいきなり4位になり、それまでのマクラーレンとの最高成績を上回る結果を得ることになります。その時は「本当によくここまで来たな」と感慨深いものがありました。テクノロジーという要素が絡むF1では、サッカーなどとは違い、実力的に大きく劣るチームが勝ってしまうというような大きな番狂わせは起こり得ません。このときの4位という結果は、当時の僕たちの実力値より上ではありましたし、多少の幸運が絡んでもいましたが、それでも、準備ができていないとあのポジションにいることはできません。開幕に向けて、短い時間の中でやれることはやり切ったと感じていたので、驚きよりは、「ようやく、やってきたことが実になった」という想いの方が強かったです。

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結果としてこのレースが2018年での最高成績になりましたが、この年は、プロジェクトとしても転機が訪れた年でした。2017年まではベンチで本当に色々な試行錯誤が続いており、そこに新たに開発のトップに立った浅木(泰昭)さんなどの力も加わって、いくつかの技術的なブレイクスルーが出てきました。2018年には、それらのブレイクスルーを果たしたICE(エンジン)やMGU-Hの技術がレースで使われるようになり、PUとしてもワンステップ上がっていきました。一見、2018年にいきなりPUがよくなったように見えますが、それまで積み上げたものが実際のレースで出せるようになったという方が正確な理解だと思います。そこにはHondaJetのエンジンの経験などもありあますし、F1プロジェクトだけでなく、Honda全体として地道に蓄積してきたものの結果が出たと言えます。

PUとしては、ようやくすべてが形になってきたと言え、テストベンチでは、それらをさらにブラッシュアップしていくプロセスに入っていきました。信頼性の安定により、自分たちが本当にやりたいと思っていた内容にトライすることができるようになっていたと思います。それまではトラックサイドからの提案や意見の打ち上げというものが多かったのですが、この頃になると、逆に開発サイドからPUの使い方などを提案できる姿になってきましたし、その意味では、ハードウェアのみではなく、HondaのPU開発の仕方自体にも進歩があった年でもあります。

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―人生初の海外生活。英語の習得方法は?

ちなみに、僕にとって2017年からの英国駐在は、人生で初めての海外での生活・仕事になりました。英語にはもともと興味があり、海外の人と話したいと思っていましたし、それまでもそれなりに勉強はしていました。ただ、駐在して分かったのは、それを仕事で使うとなるとまた別だなということでした。当然ながら仕事なのでまじめな話をしなければいけないわけですし、そこできちんと通じないとプロジェクト自体に支障をきたしてしまいます。ですので、駐在後も英語については日々勉強していきました。

話している中で、表現の仕方や言い回しなどがわかってくることも多いのですが、面白いことに参考になるのは意外とネイティブではなく、日本人の先輩や、英語が母語ではない外国人が使っているような表現だったりもします。その辺りのことができてくると、自分で「こういうときってどう言うんだろう」という場面で困ることがなくなってきます。文法を覚えるというよりも、本当に言い方そのものを真似ていくような感覚です。

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元々英語でしゃべりたいという想いはあったので、そこに「壁」のようなものを感じていたわけではないのですが、それでも、2017年にマクラーレンと仕事をしている際は、相手がイギリス人だったので、ちゃんとした英語を話さなければいけないという意識が常にあり、その部分で英語を話しにくいと思っていたところがありました。ただ、2018年にToro Rossoにチームが変わり、仕事の相手がイタリア人になると、その点にも変化が訪れます。彼らは僕たちと同様に英語が母語ではないにもかかわらず、ガンガンおかしな英語で僕たちに話しかけてくるんです。それを見ていると、「自分も変に堅苦しく考えずに、もっと英語を積極的にしゃべろう」という具合にモチベーションも上がり、色々と英語で積極的に喋るようになりました。

僕は今の仕事でなら英語で不自由はしませんし、海外でも十分に仕事はしていけると思っていますが、実はそのきっかけはイタリア人の英語にありました(笑)。日本人はとかく英語の文法や発音にこだわりがちなところもありますが、そもそも英語が母語ではない外国人もそこまできちんとした文法で話しているわけではないですし、そう言ったところよりも、恥じらわずにどんどんコミュニケーションをとっていくことの方が大事だと今は思っています。

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僕の担当は、次回で最終回!最後は、F1のサーキット現場で働くエンジニアの仕事など、現在の状況をお伝えしたいなと思います。

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