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Behind the Scenes of Honda F1 2021 -ピット裏から見る景色- Vol.05

皆さんこんにちは。前回に続き、HRD-UKでエンジニアとして勤務している私、津吉が今回もコラムを担当させていただきます。

―悔しい2位。でもタイトル争いに重要なポイント獲得

まず、先日のポルトガルGPは悔しいレースでしたね。Red Bullのマシンには速さがありましたし、それに応えるように2人のドライバーもいい走りを見せてくれていました。それでも、本当に少しの差、紙一重というところでメルセデスの強さが発揮されたレースでした。ただ、数か月前にここを走った時よりも大きく差を縮めていますし、タイトル争い的には2台ともしっかりとポイントを取れたので、そこは前向きに捉えています。そして、マクラーレン時代から携わっている立場からすると、2位で悔しいと感じていることについては、感慨深いものがあります。

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AlphaTauriについては、今回のレースは初日から最後まで苦しんでいた印象です。去年はこのサーキットで好調だっただけに残念な結果になりました。角田選手は、初めて走るサーキットでタイヤなどの扱いも難しかったことも影響してか、慎重なドライビングだったように見えました。今週末のスペインGPはF2などで経験のあるコースだと思うので、思いっきり攻めてほしいですね。

―「F1をやりたい!」だからHondaを目指しました

前回は、HRD-UKでの現在の業務や、ローカルメンバーと一緒に働くことなどに触れたので、ここからは私自身のここまでのキャリアについて振り返ってみようと思います。

まず、大学では機械工学や伝熱工学などを学んでいました。そしてそこかっらHondaに入社したのは、ずばりF1をやりたかったからです。ちょうど入社前の1999年に、第三期のF1に復帰するという話があったこともあり、なんとしてもF1に関わりたいと思いながら入社しました。

そういった想いとともに社会人生活を始めたものの、最初に配属されたのは和光工場。そこでエンジンを組み立てるための設備に関連する仕事につきました。入社時は、F1はできなくとも、研究開発部門でクルマ全体に関わるような開発に関わりたいと思っていた自分からすると、その希望とは大きく違ったものでした。

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↑現在、Hondaのエンジン工場は埼玉県の小川町に

ともあれ、生産ライン実習を経て、設備の保全の仕事から開始し、その後設備の導入などを担当するようになり、結果として合計6年間、その部署で勤務しました。配属希望にはかなわなかったものの、その6年間はとても充実していて、自分の仕事に毎日大きなやりがいを感じていた日々でした。そのように毎日モチベーション高く仕事をできたのは、当時の上司のおかげだったと思っています。

―さまざまな経験をさせてくれた上司

その時の上司は、私が新人だったにもかかわらず、とにかくいろいろなことをやらせてくれる人で、新たに導入する高額な設備の仕様決定や価格交渉のために、新人の私を一人で出張に向かわせたりということは普通でした。また、「競合他社や異業種で使われている生産設備に関する色々な技術を見てみたい」という想いが自分の中で非常に強かったので、それを上司に伝えたところ、他社との技術交流会を私が仕切ることになったりもしました。

会社の枠を超えたグループの立ち上げに際しては、競合他社や電機メーカーなどの総務部門に直接連絡をして主旨を理解してもらうところから始めるなど、さまざまな苦労もあったのですが、最終的には各社の工場見学や技術交流会などを実施したりということができました。そして、そこまでに至るプロセスと交流会の内容そのものを合わせて、自分自身にとってとても有意義な学びの場になりました。

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その上司はいつも本当に私が思うように仕事をさせてくれる人で、常に「失敗しても尻ぬぐいは俺がしてやるから、とにかくチャレンジしてこい」というスタンスでした。人に恵まれた部分もあるのですが、「これがHondaの仕事のやり方か」と強く印象に残りましたし、今の自分のマネジメントとしてのベースはそのころの経験にあると感じています。

―希望と異なる配属が、今の自分の糧に

当時理系で入社した同期の9割は研究開発の仕事に携わっており、自分のように工場に配属されたメンバーはレアでした。ただ、その分他の人ができない仕事を経験し、得ることのできない知識を獲得できましたし、今考えるとエンジニアとしての幅を大きく広げられた時期だったと思っています。

入社時の希望と配属の場所が異なることは日本企業ではよくあることですが、いま仕事をしているイギリスなど、海外目線ではかなり珍しいケースです。こういったキャリア形成には賛否ありますし、実際にポジ・ネガの両面があるとも思います。

ただ、「与えられた機会を最大限活用し、そこでしか得られないことを学ぶ」ことは間違いなくどのような環境でもできるはずなので、もしも今、当時の自分と似たような状況にいる方がこれを読んでいたら、少しでも励みになればいいなと感じています。自分はどんな時でも前向きなスタンスで仕事をしていますし、実際にこの頃の経験は、私の中で大きな糧になっています。

―熱意で切り開いた、F1への道

さて、そのような6年間を経て、2006年にいよいよ念願だったF1に携わる機会が自分にも回ってきます。Hondaには「チャレンジ公募」という社内制度があり、そこでF1プロジェクトのエンジニアの仕事が募集に上がってきたのです。その時のことはいまでもよく覚えていますが、一世一代の大勝負だと思いながら面接に臨みました。

本当は募集要項の年齢制限やTOEICの規定をやや満たしていない部分があったのですが、ここまでの自分の実績とF1にかける思いを熱く語り、F1プロジェクトのメンバーの一員になることができました。当時勤務していた狭山工場の上司や、それ以前の上司も「お前のやりたいことをやれ!」と非常に強くプッシュしてくれていましたし、本当に感謝しています。その頃には家族もできて子供も小さかったのですが、プロジェクトに参加するために栃木へみんなで転勤するなど、家族からの支えも大きかったです。

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―第三期ではエンジンの性能テストを担当

2006年のF1プロジェクト加入後の配属先はエンジンの性能テストグループで、業務内容は日本のファクトリーのテストベンチでの性能試験や、レースで使用するエンジンの最終確認でした。F1のレースはもちろんサーキットで行われますが、技術屋の観点では事前の準備や検討が非常に大きな重要性を占めています。突き詰めると「サーキットでは準備された内容に従って走るだけ」の状態になっていなくてはなりません。しかし、2週間ごとにレースが来るF1では、そのための時間と工数は非常に限られています。

そのため、当時の私たちの仕事では、開発サイドとレースチーム双方から依頼されるテスト項目を整理し、緊急度の高いものから優先順位をつけて実施していくことが非常に重要でした。テストを繰り返すと同時にレースで結果も出さないかなければいけない世界なので、各組織には高い仕事の質とスピードが常に要求されていました。そして、それらを向上するためには一人の力では限界があるので、互いに助け合いながら、きちんとチームとして機能していく必要がありました。

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優先順位付けやチームワークなどは、ほぼすべての仕事に共通することなのではと思いますが、F1は2週間ごとのレースの中で自分たちの仕事の成果が順位になって表れる世界ですので、本当に目の回るようなスピード感で仕事が回っていきます。私にとっては新しい場所でしたし、夢の仕事でもあったので、本当に必死で、無我夢中に働きました。

―市販車ではハイブリッド領域の研究開発を担当

その後、2008年の第三期F1撤退後には、量産車の研究開発グループに配属されました。「ハイブリッド車のノイズ・バイブレーションの改善」という分野の担当で、インサイトやシビック、フリード、レジェンド、NSXなどの開発に携わりました。具体的には自動車に使われているハイブリッドのモーターから出る音や振動について研究・改善を行う仕事で、自分にとってはこれまた畑違いの未経験分野になりました。

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ただ、もともと人がやらないことに自分から飛び込んでいくのが好きな性格なので、この時も目の前の課題に懸命に取り組みました。仕事の領域的にはクルマの開発が終盤に差し掛かり、最後の最後に出てきた事象に対して改善を行うための部門です。すでにその時点では設計上で変更できないことが多いので、その中で変更が可能な部分を見つけて改善しなくてはいけない難しさがありました。

自分はいい意味でこの領域の素人だったので、その強みを生かして、既存の仕事のやり方・概念にとらわれない形で仕事をしてやろうと思って臨みました。本来であればエンジン・トランスミッション・モーターなどの「パワープラント屋」さんで完結する仕事なのですが、私のチームは、そこからさらに外の領域に出て、車体側の開発メンバーも巻き込みながら改善に取り組みました。ハイブリッドシステム自体が比較的新しい分野でしたので、色々と新しいことに取り組むことができたという側面もあったと思います。

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2008年に第三期のF1プロジェクトが終了した際には、多くのエンジニアがハイブリッドエンジンの開発領域に配属されました。第三期F1でハイブリッドに関わらなかった私のようなメンバーも多かったので、それぞれが新たな領域でのチャレンジになったはずです。そしてそのようなメンバーが、今回の2015年から再参戦するためのF1プロジェクトに再度呼び戻され、現在のSakuraやHRD-UK、またはトラックサイドで大きな力になっています。長いスパンで見れば、HondaのF1で技術を磨いた技術者たちがその知見を量産領域で活用し、またその後に現代のF1での力になっていると言えるのではないでしょうか。

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さて、ここまで自分のキャリアについて語ってきましたが、最終回となる次回は、現在のF1プロジェクトに関わって以降の話や、撤退も含めた自分の想いについて書かせてもらえればなと思っています。

今週末にはまたすぐにスペインGPがやってきて多忙な日々が続きますが、引き続きよろしくお願いいたします。

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