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米作りを辞めるは神勅に背くこと

七国史
1.古事記
2.日本書紀
3.続日本紀
4.日本後紀
5.続日本後紀
6.日本文徳天皇実録
7.日本三代実録

①古事記
わが国最初の歴史書
神代の創世神話から推古天皇(在位592―628)の時代までの歴史を記した書で、わが国現存最古の史書。『古事記』の編纂は、諸氏族に伝来する「帝記」(皇室の系譜や伝承)や「旧辞」(神話や説話、歌謡等)に誤りが多いことを憂慮した天武天皇(同673―686)が稗田阿礼(ひえだのあれ)に正しい記録を誦習させたのに始まります。天武天皇の死で事業は中断しましたが、その後、元明天皇(同707―715)の命で、稗田阿礼が誦習した内容を、太安万侶(おおのやすまろ)が筆録。和銅5年(712)にこれを進呈しました。

天地開闢に始まる神代の物語を記した上巻、神武天皇から応神天皇に至る中巻、仁徳天皇から推古天皇に至る下巻の3巻から成り、建国の由来と歴代の出来事や物語が記されています。

②日本書紀
わが国最初の正史
『日本書紀』は、元正天皇の養老4年(720)に完成したとされるわが国最初の勅撰国史(天皇の命で編修された国の歴史)。撰者(編者)は天武天皇の皇子の舎人親王(とねりしんのう)ですが、ほかに紀清人(きのきよひと)や三宅藤麻呂(みやけのふじまろ)らが編纂の実務を担当しました。

全30巻のうち、巻1・2は神話的性格の濃い「神代紀」。巻3の「神武紀」以下、巻30の「持統紀」までは、年月の順に歴代天皇の事蹟や歴史上の事件が漢文で記されています。

『日本書紀』が用いた資料は、『古事記』と較べはるかに多彩で「帝紀」「旧辞」のほか、朝廷の記録や個人の手記、中国の史書、さらに朝鮮半島に関しては、「百済記」等も用いられています。巻28以降(天武紀・持統紀)は朝廷の日々の記録に基づく記述も増え、記述の信憑性を高めています。

『日本書紀』によると、天照大御神はお生まれになった時、「光華明彩、六合の内に照り徹らせり」と称えられ、この上なく輝かしい存在として、また神々の世界を治める日の神としても伝えられています。
高天原にいらっしゃる大御神は皇孫 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)をこの国にお降しになる際に、

天壌無窮の神勅
豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(いちほあき)の瑞穂国は、是(こ)れ吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たる可(べ)き地(くに)なり。
宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)。
宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きわま)り無(な)かるべし。

この御祝福の言葉は「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅(しんちょく)」と呼ばれます。
この国は天地と共に永遠であるとの祝福のお言葉をお与えになりました。

宝鏡奉斎の神勅
吾(あ)が児(みこ)、此の宝鏡(かがみ)を視まさむこと、当(まさ)に猶吾(なおあれ)を視るがごとくすべし。興(とも)に床(みゆか)を同くし殿(みあらか)を同(ひとつ)にして、斎(いわい)の鏡と為(な)すべし。

また大御神は宝鏡を授けられ、「この鏡は私を見るがごとくにまつれ」と命じられました。

斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅
吾(あ)が高天原(たかまがはら)に所御(きこしめ)す斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)を以(もっ)て、亦吾(またあ)が児(みこ)に御(まか)せまつるべし。

さらに高天原でお育てになった稲穂を授けられ、米をつくる暮らしが、この国の繁栄と平和をもたらすとお教えになられました。

この3つの神勅を「三大神勅」という

③続日本紀
『日本書紀』に次いで編修された勅撰国史。桓武天皇の延暦13年(794)から16年(797)にかけて、3回に分け、全40巻が完成しました。撰者は藤原継縄(ふじわらのつぐただ)・菅野真道(すがののまみち)ほか。『日本書紀』のあとを受けて、文武天皇即位の年(697)から桓武天皇の延暦10年(791)12月まで、9代95年間の国の歴史が漢文で記されています。編年体の簡潔な記述のほか、恵美押勝(えみのおしかつ 藤原仲麻呂とも。764年に反乱を起こして処刑)や道鏡、鑑真などの伝記も記載されています。

④日本後紀
『続日本紀』の次に編修された勅撰国史。桓武天皇の延暦11年(792)正月から淳和天皇の天長10年(833)2月まで、4代42年間の国の歴史が編年体の漢文で記されています。撰者は藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)・藤原緒継(ふじわらのおつぐ)ほか。仁明天皇の承和7年(840)に完成しました。全40巻(現存10巻)。皇位をねらう道鏡に反抗した和気清麻呂(わけのきよまろ)の忠烈を讃えて詳細な伝記を載せたほか、政治に対する批判を述べているのも本書の特色です。

⑤続日本後紀
天長10年(833)2月から嘉祥3年(850)3月に至る、仁明天皇在位18年間の出来事を記した勅撰国史。仁明天皇を継いだ文徳天皇の命で斉衡2年(855)に編纂に着手。清和天皇の貞観11年(869)に全20巻が完成しました。撰者は藤原良房(ふじわらのよしふさ)・春澄善縄(はるずみのよしつな)ほか。仁明天皇一代記という性格にふさわしく、記述は詳細で、本文の記事を多くの注記で補うなど、きめ細かい配慮がなされています。物怪の記事が多いのも、本書の特色です。

⑥日本文徳天皇実録
『続日本後紀』のあとを受けて編修された全10巻の勅撰国史。略して『文徳天皇実録』『文徳実録』とも。撰者は藤原基経(ふじわらのもとつね)・都良香(みやこのよしか)ほか。嘉祥3年(850)3月から天安2年(858)8月まで、文徳天皇在位9年間のことが記されています。文徳天皇を継いだ清和天皇の命で編纂が始まり、陽成天皇の元慶3年(879)に完成しました。

編年体で漢文で記されているのは他の勅撰国史と同様ですが、人物の死亡記事のあとに必ずその伝記を付すなど、人間に対する細やかな情も感じられます。『六国史』(1970刊)を著した歴史学者の坂本太郎(1901―87)は、このような文章を書いた撰者を都良香であると推定し、「義理で国史を書いたのでないことはもとより、歴史を織りなす人間のいとなみや心の動きの意義を認め」た良香の学識の深さと人間性の豊かさを高く評価しています。

⑦日本三代実録
文徳天皇に続く清和・陽成・光孝3代の歴史を編年体で記した勅撰国史。全50巻。略して『三代実録』とも。天安2年(858)8月から仁和3年(887)8月までのことが記されています。光孝天皇を継いだ宇多天皇の命で編纂が始まり、醍醐天皇の延喜元年(901)8月に完成しました。撰者は源能有(みなもとのよしあり)・藤原時平(ふじわらのときひら)ほか。菅原道真(すがわらのみちざね)も編纂に加わりましたが、本書が完成した年の正月に、藤原時平らの謀略で太宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷されました。

29年余の歴史を50巻にまとめた本書の記事は、六国史の中でも最も詳しく、また干支だけでなく日子(ひにち)も併記するなど、史書としてより整った体裁を備えています。祥瑞(喜ばしい前兆)・災異(地震・火災等)をもらさず記載し、詔勅や上奏の文書を詳しく掲載しているのも、本書の特色とされています。

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