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インド仏教

仏教はお釈迦様の教え

仏教(梵: बौद्धधर्म、巴: बुद्धो धम्म、英: Buddhism)
インドの王の子である釈迦(ゴータマ・シッダッタ、ガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)が出家して修行を積み開祖となった宗教。

仏教は、仏陀(仏、目覚めた人、梵: Buddha)の説いた教え。
仏教は釈迦仏、その教えである法(ダルマ)、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織される。

教義は苦の輪廻からの解脱を目指す。
原因と結果の理解に基づき、諸々の現象が縁起するとされる。

厳しい修行では解脱に至らなかった お釈迦様は梵天に何度も説得され
民に教えを説くことにした。

・ 不殺生戒(ふせっしょうかい)
・ 不偸盗戒(ふちゅうとうかい)
・ 不邪淫戒(ふじゃいんかい)
・ 不妄語戒(ふもうごかい)
・ 不飲酒戒(ふおんじゅかい)

南無阿弥陀仏
名号 のひとつで「六字名号」のこと。

「南無」はナモーの音写語で「礼拝、おじぎ、あいさつ」を意味するナマス(namas)の 連声 による変化形。 「礼拝」から転じて 帰依 (śaraṇagamana)を表明する意味に用いられ、「わたくしは 帰依 します」と解釈される 。

「阿弥陀」は、その二つの仏名である「アミターバ(無量の光明, amitābha)」と「アミターユス(無量の寿命, amitāyus)」に共通するアミタ(無量、 amita-)のみを音写したもの。

浄土宗や西山浄土宗、浄土真宗などにおいて、下記の漢訳経典を
浄土三部経という。

252年頃
『仏説無量寿経』2巻 曹魏康僧鎧訳 (略称『大経』)

430-442年?
『仏説観無量寿経』1巻 劉宋畺良耶舎訳 (略称『観経』)

402年頃
『仏説阿弥陀経』1巻 姚秦鳩摩羅什訳 (略称『小経』)

阿弥陀仏とその本願、またその仏国土(浄土)である「極楽」に関する教えなどが説かれている。

浄土真宗の宗祖とされる親鸞は、主著『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)の「総序」の結びに、『大無量寿経』・「真実の教」・「浄土真宗」と記している。

『阿弥陀経』の原題は『スカーヴァティー・ヴィユーハ』(梵: Sukhāvatī-vyūha)
サンスクリットでは同タイトルの『無量寿経』と区別して『小スカーヴァティー・ヴィユーハ』とも呼ぶ。
略称は、『大無量寿経』の『大経』に対して、『阿弥陀経』は『小経』と呼ばれる。

浄土三部経では「極楽の荘厳」「幸あるところの美しい風景」の意味

『阿弥陀経』は、弟子の質問に答える形の経ではなく釈迦自ら説く形式の経であるため、浄土真宗では「無問自説経」(ウダーナ、優陀那経)に分類される。


南無妙法蓮華経
仏陀の説かれたお経にない言葉です。

仏陀は一切経七千余巻というたくさんのお経を説かれたのですが、
南無妙法蓮華経は一回も説かれていません。

「南無妙法蓮華経」は日蓮の言葉です
南無妙法蓮華経にブッダの修行の功徳が備わっていて、唱えると即身成仏できると教えますが、これは日蓮の創作であり、仏陀はその様な教えをしていません。

南無妙法蓮華経は仏説ではない
仏陀の一切経七千余巻に説かれていないことは仏教といえない。

文底秘沈(もんていひちん)
「文底秘沈」とは、真の事(じ)の一念三千(末法の一切衆生が即身成仏の本懐を遂げるべき根本の大法)が、法華経本門寿量品の文底に秘し沈められていることを表わす語であり、『開目抄』の、「一念三千の法門は但(ただ)法華経の本門寿量品の文の底に(秘し)しづめたり。」(平成新編御書 五二六)との文に由来するとしていますが、仏教としては意味不明です。


仏教発祥の地は、今はヒンドゥー教の全盛期
ヒンドゥー教には身分制度があり、戦いがある。

インドのヴァルナ制度
アーリヤ人と先住民を分けた身分制度。

高貴な身分に生まれたお釈迦様
ヴァルナ制度が、悟りを開いたお釈迦様によって否定される。
お釈迦様の布教活動は80歳まで続いたという。

仏滅後、弟子たちにより仏教はますます栄えたが・・・
100年後、保守派と改革派が対立することとなる。


インドで仏教が衰退した3つの原因
仏教発祥の地でありながら、インドには殆どと言っていいほど仏僧や信者がいなくなる事態となった。戒めとして

・僧侶の学問偏重 = 出家者たちが民衆が離れていった(金持ちの支援に依存し、学問に集中した)
・他宗教との融合 = 独自性が喪失した(バラモン教に吸収される)
・殺さない教え = 敵(イスラーム教)が侵略して来ても戦えない

薩摩が侵略してきても無血開城した江戸城や
中国が侵略してきても戦えない日本の姿に似ていますね。

大乗仏教 ガンダーラ
紀元前後、(現在の国名では)パキスタン北部、アフガニスタンで大乗仏教がうまれる。ガンダーラは、インドの西方である。(昔はインドの一部)

大乗仏教の特徴
・一般信者の救済
・平和と差別のない世界
・仏教に新しい考えや実践が加わる

如来や菩薩を信じて名を唱えることで、輪廻転生の苦しみから解脱できると考えられるようになる。

紀元前3世紀、南端部を省いてインドを統一したマウリヤ朝のアショーカ王は、数十万人もの犠牲を出した戦いに罪の深さを身を持って痛感し、仏教に帰依された。
アショーカ王は、公正な法(ダルマ)による統治を行った。

3世紀ころ、シルクロードの支配がササン朝ペルシアに移り、ササン朝の国教がゾロアスター教である事から、ガンダーラ地域の仏教徒に圧力がかかった為、仏教徒の多くは東へ移住した。

ゾロアスター教(拝火教)とは、ザラスシュトラが30歳頃に啓示を受け「すべてを創造しすべての善の源である唯一神のアフラ・マズダ(善神)が存在する」と説いた世界最古の宗教。

グプタ朝はバラモン教を支持していた。
アーリヤ人は、仏教徒がガンダーラから移住してくるまでシュードラ(先住民)に儀式を行っていなかったが、人口が少ない上位三ヴァルナに加えて、圧倒的多数をバラモン教に組み込むために、階級底辺のシュードラにも儀式を行うようになった。

バラモン教は、ベーダ経典を奉じて、祭祀を重んじ、生天(しょうてん)を期する汎神論的多神教。

シュードラたちが信仰するヴィシュヌ神・シヴァ神をバラモン教の神の化身として位置づけた。
バラモン教とシュードラの信仰が融合してヒンドゥー教が成立した。

インドの宗教は、現在はヒンドゥー教が8割
仏教発祥国でありながら、仏教徒は1割にも満たない。
日本におけるキリスト教の信者数と似ていますね。

ヒンドゥー教とは、インドを起源とする世界最古の宗教
日本神道の様に、教祖は存在せず、多様な神々を崇拝し、仏教にはない輪廻転生や業(カルマ)といった哲学的な概念を重視します。
信者がほぼインドに限られている。

インドでは富裕層や貴族が仏教を支援していたため、仏僧は一般信者を見捨てた。金持ち依存が身を滅ぼす。

7世紀から13世紀のインドは多くの小国に分裂したため、経済も破綻して仏教の支援者がいなくなってしまい、さらには、一般信者を獲得していなかった仏教は衰退していった。

不殺生戒でも仏教が滅ぶ
イスラーム教の侵略に遭い、「戦わない教え」により王に降伏を進言したが、王は聞き入れなかったため、仏僧たちが勝手にイスラーム教徒に降伏の意思を伝えて、日本の幕末のように戦わずして無血開城してしまった。

寺院にイスラーム教のモスクが建てられた。
仏僧もイスラーム教に改宗していった。

イスラーム教の征服に続いて、ヒンドゥー教にも圧倒され焦った仏教の高僧は、豊作祈願や呪術的儀式まで取り込んで、仏教らしさを失ってしまった。
仏教の良いところはヒンドゥー教に吸収されてしまう結果となり、仏教が消滅の危機となった。

ヒンドゥー教は世襲制をとった
信者たちはバラモンを中心に団結した。
イスラーム教徒による寺院破壊や略奪があっても、信者に助けられ再建した。

仏僧は出家主義で、家族を持たない為、世襲制は無理でした
仏僧は修行に集中し、信者と関わる事をしなかったため、助けてもらえなくなった。加えて貴族や承認といった富裕層も消えてしまった後には、一般信者からのお布施も得られず、イスラーム教徒による仏教寺院(ヴィクラマシラー寺院が有名)の破壊や略奪で仏僧には生活苦が訪れた。

1891年に不可触民の家に産まれたビームラーオ・アンベードカル博士
秀才であったことから支援され、コロンビア大学とロンドン大学で博士号を取得できた。
イギリスで上級法廷弁護士となる。
不可触民から異例の昇格を果たす。

差別に対する抗議行動
信仰するヒンドゥー教の『マヌ法典』を不可触民差別の元凶として大衆の前で焼き捨てた。

1947年、インドがイギリスから独立する。
アンベードカル博士はインドの初代法務大臣に就任し、不可触民法を違憲とする憲法を策定した。

ヒンドゥー教では差別は無くならないと悟って、平等と平和を説く仏教へ改修する。
1956年、仏陀の生誕2500年祭で50万人の不可触民が集まり改宗式を執り行った。その2ヶ月後にアンベードカル博士は亡くなる。

その後を受け継いだのが日本人僧侶の佐々井秀嶺師でした。
インドから中国を経由して日本に伝わった仏教が、今は日本の僧侶がインドに復活させようとしている。
仏教の平等という考え方が浸透し始め、現在は、数千万人とも言われる仏教徒がインドにもいる。

カースト制度
浄・穢観を中心としたヒンドゥー教の宗教的規範に基づいているが、動物界・植物界・鉱物界にもすべて序列がある。 それを人間界に適用して、ヒンドゥー教徒内の社会的序列を定めたのがカースト制である。

憲法上で廃止されたのは1950年。
現在、インド憲法はカースト制度を否定していますが、それでもなお人々の生活には深く根付いている。

ヴァルナ制度時代から続く「バラモン」(司祭者)、「クシャトリヤ」(王族)、「バイシャ」(庶民)、「シュードラ」(隷民)の4つを基礎に、2,000以上も細かく分類されたカーストが残っていると言われています。

不可触民
カースト制度の4つの階級にも属さない最も底辺に位置づけられた民
隷族民からも見下される存在でした。

教義としてカースト制を否定するシク教においても、慣習として存在するマザビ・シクなど被差別民は「ダリト」(ダリット)を自称することがある。「壊されし者たち」あるいは「抑圧されし人々」という意味である。

不可触民はヒンドゥー教徒でありながら、同じ寺院での礼拝を拒否され、食事や飲み水でも避けられ、社会的・政治的に差別されただけでなく、教育や就職でも著しく不利であったから、経済的にも貧困であり、それがさらに差別の要因ともなって、彼らは不可触民=触れてはならない人々としてインド社会に定着していった。

その影や声さえもヒンドゥー教徒には不浄であった。
カースト民がいるところでは、不可触民は沈黙し姿を隠さねばならなかった。
井戸水も使えず、ちゃんとした家も建てられず、その生活は家畜以下であった。

浄穢(じょうえ)思想とは?
仏語では、清浄な悟りと不浄な煩悩とは対立するものと思われるが、真如の上では差別がなく同一であること。

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