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富士山への想い

実のところ岳南に住んでるからと行って常に富士山に想いを馳せるかというとそうでもない。 むしろ、日常では無関心に近いのではないか。 

幼少の頃を思い返して気づいたのだが、両親に茶園に連れて行かれる時の憧憬は富士山ではなく、眼下に広がる駿河湾、太平洋なのだ。 海の向こうに見える伊豆半島と御前崎。その間には水平線が空との境に線を引いている。これが私の憧憬なのだ。 

岳南に住んでると富士山は当たり前に存在するものになる。子供にとっての両親のように、疑いもなくそこに居てくれる御山、それが富士山で、たまたま私達の裏山が日本一の美山なのだ。 子供が両親に目線を送る時は、心に動きがあった時だ。嬉しい事、悲しい事、不安な事、やるせない事。 そんな時に子供が親に頼る様に、私達は何が事が起きると裏山を仰ぐ。普段は海を見ているくせに、困ると見上げるのが富士山なのだ。 

開国の祖・木花咲耶姫を祀る富士山は女神の山だ。優美な裾野に白妙の衣を纒う姿に、揺れる心は静まり、仄かにともし火が灯る。 母親にあやされる赤児の様で気恥ずかしいが、これこそ私が持つ富士山への想いだと思う。 いつもそこにある。当たり前の有難さを感じながら茶園に立っている。


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