アイコンを新調する。分かったな。
明治時代に発行された奈良県の観光案内を見てきた。
どれも100年以上前の書籍とは思えないほど良い状態で保管されている。
私は2週間前のプリントすらグチャグチャにしてしまうというのに、世の中には恐ろしい保存技術を持つ人がたくさんいるようだ。感動した。まったく感動した。
しかしこの展示物、よく見ると保存状態よりも気になる点がある。
鹿推しなのである。
表紙は“本の顔”と呼ばれるほど重要だ。ここで本の売上が決まるといっても過言ではない。著者が無名の場合は特にそうだ。
奈良県は歴史が深いし、世界遺産もたくさんある。観光客向けにガイドブックを制作するならば、やはりこうした歴史的建造物を表紙に据えてアピールするのが定石だろう。私ならそうする。
ところが。
その表紙をである。その大事な表紙を、鹿が我が物顔で陣取っているのである。彼らは奈良公園だけでは飽き足らず、鹿せんべいを求めてガイドブックの表紙にまで出稼ぎに来ていた。
特に疑問だったのは、外国人向けに発行された(であろう)『英和奈良問答(上画像右)』の表紙が、鹿以外の情報を排除していたことだ。なぜ。
人間、鹿に丸め込まれていないか。
「外国人観光客には鹿でいったほうがいい」という鹿の出まかせに踊らされていないか。仮にそうだとしたら、それは最早人間ではない。カモである。
人間と鹿、どちらが「鹿でいく」と話をまとめたのか。個人的にとても興味があるのだけど、今となっては真相は分からない。
もしかしたら当時は神社仏閣よりも鹿の方がアツくて、観光客にウケが良かったのかもしれない。
明治のトレンドは歴史より鹿。多分そう。
少し強引に自分を納得させ、その日は家路に着いた。
*
「表紙は本の顔だ」という話が出た。
SNSのアイコンも、印象を左右するという意味で本の表紙と似た役割を持っている。すべてはアイコンで決まるのだ。
そう、グロデスクなゾンビアイコンの人が、いくら「カウンセラーです!」とアピールしても「この人相談しやすそう!」とならないように。
そんなカウンセラーに相談したとして、カウンセリング中に噛まれた挙句、こちらもゾンビになるのが関の山だ。ゾンビになってまで悩みを解決したい人はいないだろう。
まあ、「試しにゾンビになってみたら、生前の悩みがなくなりました!」みたいなクチコミがあったら、私のようなもの好きが面白がって依頼するかもしれないけれど。
ただ、こんなクチコミがあったとしてもゾンビに志願する人は珍しいと思うので、カウンセラーとして活動するなら、笑顔で人の良さそうな写真をアイコンにするのが無難である。私もそっちをオススメする。
話を戻そう。アイコンの話だ。
私は趣味で絵を描くのだけど、今のアイコンはイラストレーターである荻野ミルタ氏に外注して描いてもらったものだ。
このアイコンは本当に気に入っている。
パステル画のような素朴で温かみのある筆致が素晴らしい。安価でありながら、注文後の対応は丁寧で迅速。納品まであっという間だった記憶がある。
受注件数の多さに裏打ちされた対応力も魅力なので、イラストの発注に慣れていない人も安心してお願いできると思う。オススメの出品者である。
彼女に制作を依頼できるページを確認したところ、残念ながら今は体調不良のため受注を停止していた。
ココナラには、簡単にサービス再開を確認できるフォロー機能があるので、再開を待たれる方は荻野氏をフォローしておくのをオススメする。
荻野氏の体調が1日も早く回復するのを願っています。
また話が逸れた。アイコンの話だ。
noteを始めたとき、アイコンの設定に悩んだことがあった。いつもは自分でパッと描いてしまうのだけど、ここ数年は趣味への関心がなくなり、どうしても自分で描こうと思えなかった。
デフォルトのまま放置するのは好みじゃない。かと言って自分の顔写真は設定したくない。風景写真を使う手もあるけれど、「人間をアイコンにしたい」という漠然とした希望があり、除外。
紆余曲折あって、他の人にアイコンを描いてもらう結論に落ち着いた。納品されたものが素晴らしい出来だったのは先に述べたとおりだ。
noteを始めて半年あまり、このイラストをアイコンにしていたのだけど、最近は絵を描きたいと思うことが増えた。
なのでこれを機に新しいアイコンを描こうと思っている。というか、早速描いた。
上記は荻野氏のイラストを自分の絵柄に落とし込んで描いてみたものだ。
先ほどは「描いた」と簡単にいったけれど、作画のブランクは相当なものだった。手が言うことを聞かない。ショートカットキーの設定は忘却の彼方。1枚仕上げるのにひどく時間がかかった。
メインカラーがモスグリーンからボルドーに変わっているのは私の趣味である。カラーリングはともかくとして、表情や雰囲気は元画像に寄せて描いたつもりだが、いかがだろうか。
個人的には、そこそこ上手に描けたのではないかと思っている。
先ほどのイラストを、さらに自分好みにアレンジしてみる。
三白眼だが、ぎろりとした険のある目つきにならないようにした。何となく、デザートイーグルを躊躇なくぶっぱなしそうな雰囲気がある。
しかし、このイラストをアイコンにしていると、私が『バイオハザード』のエイダ・ウォンというキャラクターが大好きなことがバレそうだ。とりあえず今は黙っておこう。
2枚とも、どちらも久しぶりに描いた絵にしてはそこそこ納得のいく仕上がりになったと思う。だがアイコンとして使うことを考えると、どちらも少し描き込みすぎな印象だ。
アイコンサイズに縮小されてもイメージが伝わりやすいよう、もっとシンプルに描きたい。
*
「本田ちゃんって○○に似てるな!」
私の数少ない友人は、時々こういうことを言う。
何が似ているのか。どう似ているのか。当事者としてはとても気になるところだ。だからそんな台詞を耳にすると「どれどれ」と思わず確認してしまうのである。
普通はここで「え~そうかな?」「そうだよ、目元とかそっくり!」みたいな応酬が始まるのだが、この友人の場合はそういったやり取りが発生しない。
彼女の見せてくれる資料が人間だったことがないからだ。純度100%。不純物なしのオール人外である。
友人の「これや!」という決め台詞とともに繰り出される画像を確認するたび、私の感情は爆笑と困惑の狭間を彷徨うことになる。
どんなモノが送られてくるのか、一例をご紹介しよう。
(左からリトルグリーンメン、ごきげんぱんだ、たべっ子どうぶつのぞう)
いかがだろうか。「似ている」という添え書きと一緒にこの画像が送られてきたら、なんかこう、不思議な気持ちにならないだろうか。私は毎回爆笑してしまう。
そもそもこのキャラクター群は、2頭身なことと人間じゃないこと以外、どこにも共通点がないように思える。
よく見たら目の数すら統一されてないし。なんだ、私はタイミングによって目が2つだったり3つだったりするのか。鼻が長かったり消滅したりするのか。
ちょっとよく分からないので、本人に詳細を聞いてみた。
夜はぐっすり寝て、午前7時23分に聞いた。ごきげんぱんだも添えて。
まあ聞きはしたものの、連絡が唐突すぎて相手は困惑したかもしれない。数時間タイムラグがあったのち、「知らん」と一蹴される可能性は大いにあるだろう。
あわよくば、という思いはあったものの、明確な答えは期待せずに待っていた。
ら、一時間半後に返信がきた。思ったより反応が早い。
すごい。吹き出しの壁だ。とにかく伝えようという熱意がすごい。
ちなみに、文中の「ぽぬぅ」とは
これのことである。友人曰く激似。
私、本当にこんな顔してたか? ほんとに? まったく記憶にないのだけど、とにかく私は『ごきげんぱんだ』とよく似た表情をするらしい。
そういえば最近、私は近所に生えているタケノコに「たけのこご飯」のレシピをチラつかせて恫喝するのをライフワークにしていた。
(恫喝中のタケノコ)
あれは私の中に流れているパンダの血がそうさせていたのだろうか。なんだ急に怖いな。
私の正体がパンダであるかどうかは別の機会に検証するとして、キャラクターについては思いのほかたくさんの情報を得られた。
私は良い友人を持った。感謝しなくてはならない。LINE画面の掲載も許可してくれたし。
私はこの友人をルージュラ呼ばわりしているので、こんな風にお礼を伝えておいた。
*
さて、友人もといルージュラに教えてもらった要素を整理してみよう。
■ごきげんぱんだ
・表情と雰囲気が似ている。
・「ぽぬぅ」と、エセ関西弁しゃべってる時の表情が激似。
・てか、ごきげんぱんだの表情はほとんど本田が再現している。
■リトルグリーンメン
・ギャップが激しいところが似ている。
・本田は無口だと思っていたが思いのほかお喋りだった。
・カメラが回ってない時にベラベラ喋るグリメンの姿が本田と被る。
■たべっ子どうぶつのぞう
・よく覚えていない(!)。
・ハの字眉にしたときのニヒルな笑い方が似ていた。
こうしてまとめてみると、色々な発見があって楽しい。
私は無口で表情が乏しい自覚があったのだけど、ルージュラは真逆の印象を抱いているようだ。私は自分が思うよりも情感豊かなのかもしれない。
さて、ルージュラから得た情報を参考に、マスコット的なキャラクターを作ってみよう。
鹿を『たべっ子どうぶつ』風に描いてみた。
私は奈良に住んでいる。奈良県といえば鹿だ。冒頭でご紹介したガイドブックのように、私も鹿でいこうと考えてデザインした。
第一印象と今の印象にギャップがあると言われたので、手始めに私のライフワークに参加してもらおう。
うーん……。
トボけた顔で銃刀法に引っかかりそうな刃物を振りかざす鹿。完全に「さわったらアカンやつ」である。
そもそも「ギャップ」というものは、あれば良いわけではない。
世の中には「良いギャップ」と「悪いギャップ」がある。あたかも人畜無害な顔をして、実はタケノコの恫喝が趣味でしたというのは、言うまでもなく「悪いギャップ」だ。
この画像にルージュラは大喜びしていたが、『たべっ子どうぶつ』側から苦情が来そうなのでアイコンへの採用は見送ることにした。
*
と、ここまで色々と考えてきたが、やはりアイコンは人型のイラストにしたい。
ルージュラから「色々聞いたクセに無視するな」という抗議のれいとうパンチが飛んできそうだが、もしそうなった場合は泣きながら土下座をする覚悟があるので問題はない。
あちこち寄り道して、結局降り出しに戻ってきた格好だ。しかし、色々と情報収集をした今だから描けるイラストがあるのではないか。
先ほど描いた鹿のようなシンプルさを、今度は人型のキャラクターに落とし込んで描いてみよう。
「本田は真夏でもパーカーを着ている。季節感がバグっている」というルージュラの証言を元に描いた。(パーカーはマジで着ている)
『たべっ子どうぶつ』には遠く及ばないが、序盤で描いた偽エイダ・ウォンらよりはスッキリさせたつもりだ。
まあ現実の私はこんなにスッキリした塩顔ではないし、鼻筋も通ってはいないのだけれど。それでも、この絵をアイコンにしてしまえばそれが私の顔になる。誰がなんと言おうと、これが私の似顔絵だ。
「似顔絵なら本人に似せて描くべきだ」という意見もあるだろうが、ここはインターネットだ。インターネットに虚構を求めて何が悪い。
こと似顔絵に関しては、堂々と嘘をつくストロングスタイルでいく。
いいか、分かったな。
*
今回はいつも以上に話題がとっちらかった記事になった。うまい着地のさせ方が分からないまま、気づけば4,000字以上も書いている。
実は新アイコンは数日前には完成しており、Twitterにも反映させていたのだけれど、noteでの上手いまとめ方が思いつかずにズルズルと放置してしまっていた。
4月からライフスタイルが少し変わったのもあって中々noteを更新できず、本当に申し訳ない限りです。
少しサボっていた間に長文を書く筋力が衰えてしまったのには驚きました。今回アイコンを描いたときも思ったのですが、絵でも文章でも、継続して手を動かさないと感覚を忘れてしまうものですね。
6月以降は何とか定期更新ができるように準備を整えていきたいのですが、今のところは未定です。
皆さんのnoteも中々読みにいけず、色んなところがグズグズで申し訳ないですが、今後もお付き合いいただけると幸いです。
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