障害者の親としての悔しい思いは、こうやって断ち切る
障害者の親をしていると
「誰も分かってくれない」
「なぜ、うちの子だけ」
「悔しい、酷い」
…そして
「虚しい」
そんな風に思うことが幾度もあります。
もちろん、助けて貰うこともあるから、感謝することも多い。
だけど
助けて貰う度に、お礼をいい続ける暮らしにも飽き飽きする。
また
公共の場では、怒られるときだって多々ある。
そんなときは、大概…助けてほしいのはこっちなのだ。
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そうしたときに「自分(達、家族)のせい」なのか「他人のせい」といった2者択一ではなく「誰のせいでもない」と逃げ道を作って諦めることも大切。
「誰のせいでもない」というよりは…
「環境が整っていないせい」
「社会の理会がないせい」
「時代が追い付いていないせい」
「風習のせい」
と、目に見えないもののせいにしておけば生きるのが少し楽になります。
それを意識しておかないと、望まぬ結果にたどり着いてしまうことを幾度も経験しました。
究極の自己嫌悪とか他者否定とか…。
一番したくないよね。
自分を傷つけないためにも他人を責めないためにも、見えないもののせいにする癖は、障害児のお母さん達にはとても大切な視点なのではと思う。
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自分にも理解出来ないことがあるように、他人にも理解出来ないことはある。
自分に譲れないものがあるように、他人にも譲れないものはある。
たとえ誰からも責められるようなことでも、どうしようもないことはある。自分の気持ちに素直に従った結果、誰かを傷つけることもある。
そのことで、自分や他人を責め過ぎて最悪の結果を招くケースもある。
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「誰のせいでもないから、仕方ない」
そんな風に思うことで
その後の感情のコントロールが良い方向に向かうこともあるのではないでしょうか。
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必ずどちらかが正しくて、どちらかが間違っているという答え探しをする必要はありません。
「どちらも正しい」という回答もあるはずです。