<連載>大型本出版プロジェクト④「江戸時代の天才芸術家」
国宝を目指して
2023年7月某日
昼下がり。JR山手線・上野駅の公園改札口は行きかう人々でとてもにぎわっていました。かつてないほど猛暑が続いた今年の7月ですが、この日も頭上に巨大電気ストーブがあるかのごとく暴力的な陽射しを受けながら、私は東京国立博物館(東博)を目指して歩いていました。
お目当てはひとつの国宝です。恥ずかしながら私はこのとき、東博にはいつも国宝がずらりと並んでいるのだと思い込んでいて、この後に起きる悲劇は想像もしていませんでした。
美しい本館建物に入り、時間が無いので駆け足で目当ての国宝を探し回りますが、なかなか見つかりません。1階、2階、また1階とざっと歩いたところで、
―― あれ? もしかして、国宝っていつも展示されていないのかも。
と気が付いて、受付の女性におそるおそるたずねてみました。
「あのう、本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)って、普段展示されていないんですか‥‥‥」
すると、その方は少し憐れんだ表情を浮かべながら、
「そうなんです。申し訳ございません‥‥‥」
と本当に申し訳なさそうに教えてくれました。
そうだったのか! とちょっと呆然としながら、素晴らしい展示の数々をほぼ何も見ずに私は炎天下の世界へと舞い戻ったのでした。
と、赤っ恥をさらしてしまったのですが、
この日私が見たかったのは、国宝「舟橋蒔絵硯箱(ふなばしまきえすずりばこ)」。
作者は江戸時代の総合芸術家・本阿弥光悦です。
なぜ私はこの作品を見たかったのか。今回は本阿弥光悦のおはなしです。
豪商が編み出した江戸の豪華本
2021年3月某日
時間はまた巻き戻って、企画がいろいろと動き始めていた頃のことです。
大型本を出版するからには屋号があると良さそうだ、ということになり、
チームの3人で名前を考えることになりました。
ひとりにつき数十個の案を持ち寄り、あーでもない、こーでもない、と意見を出し合いますが、なかなか決まりません。
最終的に残った候補の一つに、拙案の「本阿弥工房」という名前がありました。
「本阿弥工房」の「本阿弥」の由来は、先ほどご紹介した本阿弥光悦です。本阿弥光悦の名前を使いたかったのには、理由があります。日本の出版・印刷の歴史を紐解くことになるのですが、紙幅の都合もありますので、少し簡潔にご紹介します。
慶長13年(1608年)、かの有名な国文学書『伊勢物語』が印刷物として京都で刊行されました。「嵯峨本(さがぼん)」と呼ばれる豪華本シリーズの先駆けとなった書籍です。
出版したのは、角倉素庵(すみのくら そあん)という京都の豪商で、
嵯峨本という名は京都の嵯峨野で印刷・出版活動が行われたことに由来します。
当時としては珍しく挿絵が入っており、
豪華絢爛な装丁も大きな特徴のひとつです。
『伊勢物語』は国文学書のため、平仮名活字が使われたという点でも大変珍しい印刷物でした。テキストはまるで筆で書かれたかのような見た目ですが、木活字(もくかつじ)を使用した印刷物なのです。
この嵯峨本出版の協力者のなかに、江戸時代初期に活躍した芸術家・本阿弥光悦がいたと言われています。光悦は、書・絵画・作陶・漆芸・刀剣といった幅広い領域で才能を発揮した総合芸術家です。日本の美術史にその名を刻む人物ですが、詳細は知らなくても名前だけは聞いたことがある、という方も多いかもしれません。
国宝「舟橋蒔絵硯箱」をはじめとして、俵屋宗達との共作「鶴下絵三十六歌仙和歌巻(つるしたえさんじゅうろっかせんわかかん)」や茶碗の数々、そして刀剣、‥‥‥とまさに「総合芸術家」の名にふさわしい功績を残しています。
嵯峨本の現物をご覧になられたい方は、飯田橋にある印刷博物館に展示されていますので、お時間があれば是非!
「大きい本の工房」誕生
唯一無二の豪華本を作り上げたいと、いう想いでスタートしたこの大型本企画、画家や学者などが結集して作られた嵯峨本にあやかって、そのメンバーの一人と言われている本阿弥光悦の名前を屋号に拝借することにしました。
「本阿弥工房」がちょっと堅苦しいので、「honami工房」という表記へ変更。一点一点手作りの製本で仕上げますので、人の手で「本を編む」をいう意味も込め、最終的に「大きい本の工房 hon ami」(ほんあみ)と名付けました。
ブランドデザインをお願いしたのは、アートディレクターの柴田ハルさん(株式会社GIGANTIC)です。和と洋のイメージが見事に合わさった、素晴らしいロゴをデザインしていただきました。
「大きい本の工房 hon ami」という看板を掲げて、作家さん、デザイナーさん、印刷・製本のプロフェッショナルの方々と一緒に、本の可能性を広げていく場をつくっていきたいと思います!
次回から、最高品質を目指すべく様々な人たちに会いに行きますので、ご期待ください!
(追伸)
そしてなんと、2024年1月16日~3月10日まで、東京国立博物館で特別展「本阿弥光悦の大宇宙」が開催されるそうです。念願の「舟橋蒔絵硯箱」も見ることができる!本阿弥光悦の作品が一堂に会する貴重な機会、ご興味のある方はお見逃しなく!