「比較」に苦しんだ僕は図書室へ逃げ込んだ
こんにちは。佐藤僚太です。
みなさんは自分と誰かを「比較」して苦しんだことはありますか?
「比較」は意味ないってわかっていても、「比較」はどうしてもしてしまうものだと思います。特に自分と近い人になればなるほど、比べてしまうように感じます。例えば、同じ年齢、同じ出身、同じ学校、同じ部活、同じ趣味など。
最近「誰かとの比較」というものが、強く描かれている小説を読みました。
神に愛されていた 木爾チレン (著)
僕はこの小説を読んで「比較」というものに一番囚われていた高校3年の時を思い出しました。今回はその時の話をしたいと思います。
大学受験、僕が争っていたのは受験生ではなくクラスメイトだった。
無音の教室
僕の通っていた高校では、卒業後の進路はほとんどが大学進学でした。3年になり受験生となると、一気に教室の雰囲気が変わりました。
朝教室へ登校すると、みんな机に向かって問題集を解いていました。話をしているクラスメイトは誰もいませんでした。ホラー映画で誰かから隠れているかのような、物音ひとつたてられないような緊張感がありました。僕も無言で教室に入り、自分の席で問題集を解くという毎日でした。
この頃はまだ良かったです。
クラス平均点という呪い
僕が苦しみ始めたのは、中間テストが始まってからでした。原因となった言葉が「クラス平均点」でした。どんなに僕が必死になって勉強しても、クラスの平均点を上回ることはありませんでした。テストが返却される度に、大きく溜息をつきたくなりました。自分でクラスメイトとの「比較」を続け「劣等感」だけが積みあがっていきました。
当時はまだSNSが主流にはなっておらず、自分のいる教室が全てのように感じていました。テストの点数でしか自分を測れなかった僕は、テストが返却される度に自分がどんどん価値のないものに変わっていくように感じていました。
今なら、「クラス平均点」は意味を持っていないことがわかります。みんな同じ大学が志望校ではないし、その結果で行ける大学が決まるわけではない。「平均点」というのは、たまたま同じ学校で同じクラスの「平均点」であって、受験生の平均点ではない。
しかし、当時の僕はクラスの中の順位しか見えていませんでした。
「平均点以下」の自分が本当に嫌で嫌でたまらなかったです。
教室から図書室へ
夏休みが明け数週間が経った頃、僕は教室に行けなくなっていました。朝のホームルームで吐き気に襲われ早退して以降、もう教室へ行くの限界だと感じました。
学校にはいかないといけない。受験にも影響がある。でも教室に行くのは無理。自分ではどうすることも出来ず、何をどう解決したら良いのか全くわかりませんでした。
それから3日ほど保健室へ登校しました。
体調が悪くてあまり集中出来ていませんでしたが、勉強の合間に小説を読んで過ごしていました。それを見た養護の先生が
「読書が好きなら図書室へ行ってみれば?」
という提案をしてくれました。本は買って読んでいたので、高校の図書室を利用したことはありませんでした。
ちなみに、僕は中学校3年になるまでは全く本を読みませんでした。本を読むようになったきっかけはこの記事に書いてあります。
図書室での記憶
図書室には誰もいませんでした。(授業中なので当然といえば、当然ですが……)
荷物を置いたあと、近くにあった本棚を眺めてました。けっこう新刊が入るんだなと思ったのを覚えています。しばらくすると、司書の先生が図書室に入ってきました。その時、また不安に襲われました。今の時間に図書室にいるのはまずい。教室に戻らないといけない。何か言われるのを覚悟しました。
「小説読むの?」
僕には予想外の質問でした。てっきり、授業中に図書室にいることについて指摘されると思っていました。当時僕は、道尾秀介さんの作品にハマっていたのでそのことについて話をしたのを覚えています。勉強に疲れたら休憩でここにある本を読みなよと言ってもらえました。
授業中に図書室にいることに関して何も言われませんでした。
図書室登校とその後
その日以降、僕は図書室に登校するようになりました。
「比較」に囚われて何もかもが嫌になっていた僕が、ちょっとだけ穏やかな気持ちで居れる場所になりました。居場所がある。ここにいても大丈夫なんだ。それだけでちょっと気持ちが楽になったのを覚えています。
司書の先生とはそんなに多く話をしたわけではありません。しかし、高校生活の中で一番記憶に残っている先生とのやりとりです。何も言わず、ただ見守ってくれた先生には本当に感謝しています。
結果的に僕は教室に戻ることはできませんでした。卒業式も欠席しました。最後にいた場所は誰もいない図書室でした。しかし、「図書室」という場所があったことは僕の救いになりました。
図書室はただ本があるだけの場所ではありませんでした。図書室にいる間は「比較」というものから離れられていた気がします。また、そこでは小説の世界に没頭することができました。
もしも「比較」で苦しくなったら
生きている限り、「比較」をしてしまうことはしょうがないと思います。僕も他人と比較ばかりしてた時があります。今でこそ「比較」をしてしまうことは少なくなりましたが、どうしても「比較」してしまう日もあります。そういう時、僕は「離れる」ということを意識しています。そんな時は、
ちょっとその場から離れてみませんか?
小説の世界に逃げ込んでみませんか?
僕の経験した出来事が少しでも参考になれば嬉しいです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
佐藤僚太