プチ変化
法事を行なった。とある研修会で「分かち合いの会」の模擬を観させていただいた。
本来、伺うつもりだったが…コロナ禍でもあり、オンライン視聴となった。
さて、それを見て、時間が許すケースでは、プチ分かち合いの会を法事の前に行なっている。故人はどのような方だったのか?を参列者全員で共有する。
ファシリテーター役は自分なので、冷静に行うが、今日は故人の晩年のあり方に感動して、目頭が熱くなった。
七日経で伺って来た家族関係のあり方や本日の話を見聞きすると、不思議と位牌や写真が魂の宿るものだと納得する。
法要に厚みを与えてくれたと個人的には思う。
コロナ禍で得るもの
コロナで失ったのは参列者の人数と会食の機会。それは確かにデメリットではある。しかし、考えようによっては深い関係の人しかいないとも言える。
だとすれば、気兼ねなく分かち合いの会のような故人を偲ぶ機会を法要前に設けることができるようになる。
コロナをデメリットと捉えるのか?それとも新たな挑戦のチャンスと捉えるのか?情報と技術と分析に基づく蛮勇が必要なんだと思う。
ミスチルの『終わりなき旅』は「閉ざされたドアの向こうに、新しい何が待っていて」といってるが、小さな変化を積み重ねながら質の向上を目指したいと感じた一瞬でした。