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書けない日々

前回のnote更新から半月がたった。
書けない日々が続いてきた。毎日書いていた時もあったが、2日に一つ書くペースや一週間に一回書くペースにしたり、新聞記事をネタにしたりしながら書くを行ってきた。
最近は、アメーバブログで書いていたころの本のネタにしたりしていたが…。
さて、とあるオンラインのイベントで最近の近況を話す機会があった。3年間のコロナ禍ではじめたものがnoteだったがさすがに疲れたのかもしれないなーと話をした。

そんな中でも、本は読むし、オンラインのデスカフェや読書会は行っている。
寺はリトミックやヨガも開催し、昨今は茂原妙光寺でリアルデスカフェやビブリオバトルも行った。

これらは協力を仰ぎながら続けたい。一方で、なんとかnoteも書く気力が生まれないかと感じていたが…

気になる積読と新刊本を読んでいた。

本書は数年前に購入して積読してあったものです。中道態の世界などの哲学書もよんでいたが、難解な部分もあり、しっかり理解できているのか?どう役に立てるかなどと考えると自分の能力不足を感じたりします。

その点本書は、哲学の専門家には受けは悪いし、一貫性がないように捉えられるかもしれませんが、事柄を抽象化し、役にたつ部分を導きだしてくれていて、自分のような哲学初心者にも面白い内容です。

哲学で用いる言葉の意味、その哲学の発生理由、現代へのメッセージ的な段階を踏んでの著者なりの結論が書かれています。

抽象化と問題点が述べれている点で勉強になります。

一方で読みやい上、勉強になったのは

本書は、僕がこの頃聞いているCOTEN RADIOの深井さんの作品です。軽い読み物的に読める本ですが、教養の役割を明確化してくれています。

さらに、彼の仏教理解は、私もテンプルモーニングラジオで述べた考え方に近いので納得すること然りです

彼はたしかに仏教の開祖です。ただ同時に、規格外の哲学者でもあったと僕は思っています。(183頁)
教養によって特定の価値観や考え方から自由になるのが「メタ認知」なら、特定の「私」から自由になるという究極のメタ認知が「悟り」です。(191〜192頁)

私が話したのはこちら

ちなみにラジオで話したポストレリジョン的な仏教を学びたい方には、

『宗教の本性: 誰が「私」を救うのか (NHK出版新書 656)

がおすすめです。



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