環境
お盆となり、初の新盆以外は伺わない。墓経や寺での迎え火だけでしかお会いしない形になった。
ワクチンを打てていない。万が一を考えて中止した。先輩僧侶からは、そこまで考えなくとも…といわれはした。素直に悩んだし、このブログでもかいたが、彼岸で伺うまでは悩むとは思う。
さて、コロナもさることながら、台風や気温の上昇が凄い。もし棚経をしていたら8日から回るわけだが、少なくとも8日は台風で回れず。雨天で昨日もスピードは落ち、今頃どうなっていただろうと考える。
下記の写真は善徳寺での迎え火を待つ間の写真。(善徳寺では、本堂に迎え火を取りに檀家さんが来られる。)
供養の形を変化させたいわけではないが…変わっていってしまうかもしれない。形態の変化に囚われるのでなく、精神やあり方を大切にすべきであろう。
ZOOMやオンラインを否定しがちな僧侶がいる。新たな技術を基本否定してしまう。それは自分がついていけない。煩わしい。否定するになっていないだろうか?
まず目的があり、それに合わせて手段がある。手段に合わせて目的があるのではない。
布教を目的にするなら、その手段としてオンラインがあってもよい。ただし、持続する意志が必要なのは言うまでもない。新しい技術を用いるときこそ問われるのは、目的であり、我々の意志なのではないだろうか?
時代に取り残されていないか…それもまた諸行無常ではあるが…布教を考えるならそれでよしとも言えないと思う。