中島由紀のヤナーチェク
現在のチェコ東部、
モラヴィア出身の作曲家、
レオシュ・ヤナーチェク。
彼が50歳を超えた頃、
ドイツに支配されていた
モラヴィアのブルノでは
祖国独立運動が高まり、
チェコ語大学を支持する
デモが行われていた。
デモを制圧しようとする
ドイツ主体の軍隊に
一人の労働者が殺された。
ヤナーチェクはそのチェコ人を悼み、
ピアノソナタ「街頭にて」を作曲。
「予感」「死」「葬送行進曲」の
3つの楽章で構成されていた。
ヤナーチェクは譜面に書いた言葉は
ベセダ会館の碑に今も刻まれている。
「ブルノの芸術会館の
上り段の白い大理石。
庶民の労働者、
フランチシェク・パヴリークが斃れ、
血に染まった。
大学設立の請願に
やって来ただけだったのに。
残忍な殺戮者たちの手にかかって
殺されてしまった。
/レオシュ・ヤナーチェク」
悲しみと怒りが一気に曲を書かせた。
しかしヤナーチェクは不満足で、
初演前に第3楽章を暖炉で燃やした。
ルドミラ・トゥチコヴァーによる
初演は2つの楽章だけで行われた。
ヤナーチェクは初演後に満足せず、
残りの譜面をモルダウ川に投げ捨てた。
それから18年後の1923年になって
失われた2つの楽章が出版されたのだ。
ピアニストが譜面の写しを持っていて
「1905年10月1日街角で」となって、
名曲は復活し今も脈々と弾かれている。
それは今も国と国、民族の争いによる
人が死ぬ悲劇が絶えないからである。
平和を願うピアニストの一人、
中島由紀はこの秋のリサイタルで
敢えてこの曲を選んで弾ききった。
悲しみと怒りと激情と安らぎを求めて。