歌麿の美人画

藤沢周平の時代小説が好きで
これまでいろいろ読んできた。
恵まれない藩士や脱藩浪人、
切なく哀しい侍の描写がいい。
男を描くのが上手い人だと思ってきた。

藤沢周平の風貌がそう思わせるのか。
痩せていて力なく笑う笑顔に味がある。
侘びと寂びの独特の文章は
そんな体だから滲み出ているのかなと、
しかしそれは大きな間違いだった。

江戸の名浮世絵師、歌麿を描いた
『喜多川歌麿女絵草紙』を読んだ。
六つの話に六人の女性が登場する。
どれもが歌麿の絵のモデルであり、
美しく儚げで色っぽく艶めかしい。

藤沢周平という人は女を描くのも
実に上手な小説家だったのだ。
水茶屋や居見世の女たちがモデルで
年齢は二十代のその頃での年増。
体の丸みや腰つきが妖艶である。

盗み癖のおこんには病持ちの夫がおり、
浮気性に思えるおくらにも事情があり、
やくざものを亭主に持つお糸は怨まれ、
夫に先立たれたお品は博打男に瞞され、
おさとは妻持ちの旗本と心中する。

歌麿は美人画一筋の好色と言われた男。
しかし藤沢の小説の歌麿は歳を経て
枯れた哀愁漂う男として描かれている。
艶めかしい女たちを前に己を抑制し、
浮世絵師としての矜持を重んじている。

江戸を一世風靡した歌麿はこんなふうにいう。
「いくら美人でも透けて見える女はよくない。
わけのわからない女が謎めいていていいのだ。
一枚一枚着物を剥いでよくやく裸が見える。
そんな女が描いてよい絵になるものなのだ」
藤沢周平は女をよく知っていたのかもしれない。