林芙美子生誕120年
「旅人で詩人で傑作書きで」
林芙美子のことをこのように
井伏鱒二は手紙に書いた。
読者に親しまれただけでなく、
多くの文豪から愛された。
井伏鱒二、三島由紀夫、
川端康成、平林たい子など
枚挙にいとまがない。
心臓麻痺で47歳で逝去、
葬儀委員長は川端康成だった。
明治37年に下関で生まれたが、
父親が芙美子を認知しないため、
芙美子は母の叔父の戸籍に入る。
養父と母は日本各地を行商し、
芙美子は旅好きとなった。
好きになった軍人を追いかけて
東京に出てきたが裏切られ、
下足番や女工や女給など
様々な仕事をして食いつなぎ、
やがて詩人たちと知り合う。
女学校の頃から文学に目覚め、
詩を書き始めていた。
詩集を出した後に自伝的小説、
『放浪記』がベストセラーに。
旅と執筆に明け暮れる日々。
戦争中は従軍記者にもなり、
戦後は家を建てて落ち着く。
子供をもらい幸せに暮らし、
『晩菊』『浮雲』といった
名作を次々と書き上げた。
僅か47年の短い生涯、
しかし著作は多々あり、
小柄な体躯ながら
精力的に生ききった。
世紀を超えた人気作家だ。
*新宿区立新宿歴史博物館で「生涯120年記念 林芙美子展―旅人で詩人で傑作書きで」に伺い、この詩を書くことができました。