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錆びた帯剣、儂はどうしてしまったのだ

マラリアの治療のためにうるわしの島、高山国に渡ったあしかび国の兵士、喜平は、治療をおえ、高山国よりラボーレ島に戻ろうとした。
が、その途中、乗った輸送船がAMERIGO(アメリゴ)国の潜水艦に沈められた。
うしお巡る太洋、ひろつ流れ海を漂うなかで、喜平は九死に一生を得、なんとかラボーレ島に戻ることができた。
「懐かしい」
椰子やしの浜に降り立った喜平は、我が家に帰ってきたごとく島に安堵した。

ラボーレ島のある蛇神の護りし島々は、「常夏とこなつ」といわれる。
一年を通し真夏のごとく高い気温が続き、雨が多い。それゆえ森は多くの生き物を育む。
喜平が、ラボーレ島に帰り着いたとき、AMERIGO(アメリゴ)国をはじめとするhyutopos(ヒュトポス)連合軍は、いまやあしかび国とのいくさに勝利を収めつつあった。
戦は、うしお巡る太洋、ひろつ流れ海全域にわたっていたが、ことラボーレ島周辺に目をやれば、ラボーレ島の西に「蛇神大島」、東に「ガ島」があり、戦が始まって2年でそのいずれもがhyutoposの連合軍の手に落ちている。いまや海の上も、空であってもAMERIGO国が制しつつあった。
ラボーレ島のあしかび国の隊では、いつhyutopos連合軍が上陸してくるか、そのことで戦々恐々としていた。

ラボーレ島に無事戻った曹長の野木喜平は、報告のため隊長の下を訪れた。そこで、治療の機会を与えられた礼を述べ、今後は恩返しのため隊に復帰せんと思いを伝えた。

「野木曹長、よく戻ってきてくれた。待っていたぞ。ただ、兵は揃ったが、生きるために欠かせない糧食りょうしょくが足らん」
隊長は、うかぬ顔だ。

喜平の火砲隊は、ほんの少し前、戦に初めて参戦する「初年兵」を迎えていた。戦力が増したことは確かだが、養う口も増えた。
喜平の乗る船が沈められたように、ひろつ流れ海はAMERIGO国の潜水艦がうじゃうじゃいる。兵も物資も運ぶ手立ては、ほぼ絶たれた。初年兵もよくぞ渡ってきたものである。
「いまやあしかび国からものを運ぶなど考えられません」
喜平は、ついつい大声となった。
「うむ、そこでだ。我々は島で自活生活を送ることとした」
「自活でありますか?」
「そうだ。我々、火砲隊は、敵の上陸に備え新たに砲台を備えた陣地を構築する。その陣地構築は、自ら食い物をまかないながらやる」
「なるほど、食い扶持をまかないながら陣地構築ですか?」
「うむ、田んぼがないので米は作れぬが、その代わり畑で、陸稲おかぼを育てる。もちろん甘藷かんしょや野菜だって作る。それに海に魚もおるし、海水から塩だって作れるぞ。森に入れば野生の豚もいるんだ。なんとか島で生き延びる手立てを探らねばならぬのだ」
「ただ、いくら常夏の島といえ、作物を育てるのに肥料は欠かせません。馬や兵の糞尿ふんにょうで肥料は作れますね。
そうか、馬は畑を耕すのにも使えるな? 自活用に馬を用いることは可能でしょうか?」
「さすががな。無論そうしてくれ。農民として培ってきた野木曹長の手腕をおおいに発揮してほしい、どうか?」
「はっ! 分かりました」

隊長に二つ返事で応じた喜平だったが、ふと我に帰った時、夜な夜な悪夢にうなされた。喜平の悪夢とは……。

喜平の乗ったいかだに我も我もといくつもの手が伸び、喜平はその手を払いのける。払いのけられた兵は、恨めしげに海底に沈んでゆく。
そんな喜平の姿を見つめているのが、幼なじみの金治であった。玉砕の命令が下り真っ先に飛び出し、身体中に弾を浴びた金治。その顔はいつしかあの「レンズの男」に変わる。闇に男の眼鏡のレンズが不気味に光り、微笑んでいるのだ。
「くそ、死に神め。おのれひとり生き残ってしまった。なぜわしを死なせなかった」
悪夢からふと目覚めると汗をびっしょりかいていた。そしてなかなか起き上がれない。
わしはどうしてしまったのだ」

陣地構築は喜平の思いをよそに、どんどん進んだ。
陣地は、海を望む高台に砲台を備え、台地の下に敵の爆撃から身を護るごうと、兵が行き来するトンネルを掘る。火砲は、これまでの「山砲さんぽう」から、据え置き型の威力の大きな「榴弾砲りゅうだんほう」という火砲になった。
榴弾砲は、山砲と違い持ち運びできないが、破壊力の強い弾を、孤を描くように遠くまで飛ばせる。ただ、遠くに飛ばす分、狙いを定める観測所が必要で、それを台地に設ける。
陣地構築の班とは別に、火砲隊に自活のための農業班が作られた。日々生きる兵のための食い扶持を作る。喜平に、その兵らを指導し、ともに働く役目が与えられた。
もともと農民であった喜平にとって、それはむしろお手の物、「自家薬籠中やくろうちゅう」のはずだ。が、今の喜平は気力が伴わぬ、身体が思うように動かぬ。
「辛い」
喜平の胸のうちには、吐き出すことができぬ思いが積もっていった。

自活のための農園づくりは、森をひらくことからはじまった。作業は、たいがい朝早くか夕方に行われる。
なぜなら、昼日中ひるひなかは、気温が上がりとてもではないが身体を動かせぬ。また、空から敵に襲われる危険がある。実際、3日に1日は敵の飛行機がやってきて、「ばばばば……」と機関銃を放っていった。
敵がこないか空を気にしながら、斧を使い木を倒す。伐った木を運び、土を耕すために馬が役に立った。

伐り拓いた場所に植える苗は、兵舎近くで種から育てる。
兵舎……。
そう兵舎は、陣地構築に合わせ、森のなかの目立たぬ場所に建てた。森で暮らす民たちの高床の家をまね、倒した木を粗く製材し、屋根や壁に椰子やしの葉を使った。
兵舎の外のかわや近くに、糞尿ふんにょうを溜める「肥だめ」を作る。
糞尿は、厠からみ出し、兵たちが食べ残したものを混ぜ、肥だめに入れる。何しろ、気温が一年を通して高いラボーレ島だから肥料は1週間もすればできあがりだ。
兵士のなかには喜平と同じく農民あがりのものも大勢いた。また、大工だったり、工場で働いていたものもいる。
自活生活といったって、なにも難しいことはない。皆が力を合わせればできるはずだ。
しかし「ひとり足をひっぱっている」
皆が生き生きと動くなかで、全体を指導する立場の喜平の胸には、生き残ってしまったという悔いがどんどんたまっていくのだ。

ある日のことだった。
陽が昇り、あたりがぼんやり明るくなり、いよいよ作業がはじまるというころ。喜平は、一本の錆びた斧を目にした。それは、二等兵の川村隆治の持ち物だった。

川村は、明るく、よくいえばだれとでもすぐに打ち解ける。が、反面、それは身分をわきまえぬお調子ものと映る。
喜平は、以前から川村の前向きなところを買っていたし、それを利用し、兵全体を動かしてきた。が、この日、斧の錆を見た瞬間、大声でどなった。
川村! こっちへ来い」
「はい! なんでありますか?」
「貴様の斧を見ろ。なんだこの錆は」
「あっ、すいません。昨晩、洗ったままにしたために錆が出てしまい……」
川村のことばが終わらぬうちに、喜平の「ビンタ」が飛んだ。
「言い訳するな!」
川村は、身体ごとぶっとんだ。そして、すぐに立ち上がり、
「申し訳ありませんでした。以後、気をつけます」
大きな声で叫んだ。川村は口から血を流し、目をしばたいている。
「あの『仏の野木曹長』が……」
目はそう語っていた。
「ビンタ」は、古兵から初年兵への挨拶あいさつ代わりとして、あしかび国の軍隊では日常茶飯事にちじょうさはんじであった。が、「仏の野木曹長」は、めったにビンタを食らわさない。

喜平自身、ビンタは「兵を育てるため」というより、位が上である己の立場を利用した鬱憤うっぷん晴らし、詰まるところ、それは「己のため」だと知っていた。

喜平は、内心しまったと思った。が、それは表情に示さないで言った。
「良いか、ラボーレ島は湿気が多く、刀をはじめ砲身にいたるまで鉄はすぐさびが出る。が、それにかこち、仕方ないではすまんのだ。身の回りのものはつねに手入れを怠るな! 分かったか!」
「はい」と兵が声を挙げる。
作業にとりかかった兵を見送ると、この日ばかりは兵舎に戻った喜平。殴った手の震えがなかなか止まらない。
ベッドに腰を下ろした喜平は、震える手をもう一方の手で押さえて、自問した。

「なんのための戦だ? 祖国のため? たとえ勝ったとしても、必ず負ける相手がいる。そのものに家族や国もいる。いや、敵でなくても己が生きるためならば、味方の命すら奪わねばならぬ。実際、おれはこの手で……。いったいなんのためにここまでやってきたんだ」

喜平は、「もののふ」としての己の姿をたしかめんと、「帯剣」をさやから抜いた。それはすっとは抜けずに、じゃりっと嫌な音を立てた。
喜平は思わず笑った。己の刀だって錆がういているではないか。
「おれはいったいなにをしている? どうしたいのだ?」
気が付けば喜平は、そのまま寝ていた。が夢は現れなかった。
どのくらいたっただろう?
姿が見えぬので、兵が気にして声をかけに来た。
「野木曹長、昼飯ですが……」
「すまぬ、少し気分がすぐれぬ。皆には悪いが、このまま横にならせてもらう」

再びなにかの声がして、喜平は目をさました。
こんなに深く眠ったのは久しぶりだ。すでに日が傾きはじめていた。
窓に寄り、外を眺める。すると、窓の近くの木にきれいな鳥が1羽止まっていた。
「声の主はこいつだったか」
この鳥はどこかで見たような? 喜平は記憶をたどった。
あれはたしか、マラリアで寝込んでいたとき……。
そうだ、小さき神が、夢のなかでわしに語りかけていた。その時、小さき神は、この鳥の姿をしていたのだ。
鳥は木の上で胸をそらし、羽根をめっぱい広げ、けたたましい声をあげながら尾や羽根をしきりに振っている。
「たしか、永久とわの色鳥といったか?」
夕日を浴びて羽根の色がきらめき輝く。その姿はこの世のものと思われない。
喜平はしばし時をわすれ見とれた。するとことのはを風に伝える神、ほのほつみの声がよみがえった。

いいかい、この種を蒔くんだ。種は、一年で芽生え、二年めで葉が生い茂り、三年で天まで届くほどの大きさとなる。永久とわの色鳥はもちろん、この樹は多くの命を宿す永久とわの樹だ。これを蛇神の護る島のひとつ、ラボーレ島に蒔くんだ

喜平は「あっ」と声をあげた。その刹那せつな、鳥と目が遭った。汚れのないまんまるな目だった。目が遭うと、鳥は飛び去ってしまった。
翌朝、喜平はだれよりも早く目覚めた。東の空がようやく白みはじめていた。

喜平の手には、小さなスコップがあった。
整いつつある農園を抜け、森へと足を踏み入れる。しばらくゆくと森の一角にぽっと空いた広場のような場所があった。
「ここだ、ここが良い」
喜平は、首から下げた護り袋を開けると、一粒の種を取り出し、それを両の手のひらでつつみ、祈った。

「種よ芽生えろ、そして大きく育つんだ。大きくなって多くの生き物を集めろ。どうか、どうか。ひとはいさかいをやめ、みんな仲良くなる。頼むそんな世がくるように。そして、どうか儂の小さな罪もあがなわれるように」

さくさくと森の土は掘れた。かぐろき闇に一粒の種をほうりいれ、喜平はもってきた水筒から水を注ぎ、土をかぶせた。
雛が己の嘴で卵の殻を割るように、東の空に陽が生まれた。喜平はどこかで見護っているはずの小さき神、ことのはを風に伝えるほのほつみのまなざしを感じた。
こんなすがすがしい朝を迎えるのは何日ぶりだろう?

【黄の哀歌】
手のひらを貫く光の
種子たねの芽生えをおか
龍神の眠りを覚まし
黄泉よみかずらくつがえす 瞬き

芋の葉のそらを映す光の
鴨のはし穿うが
雷神の銅鑼どらつんざ
黄泉よみつるぎを燃え立たす 刹那

愛の言葉を照らす光の
子猫の舌をひきつらせ
女神のきぬひるがえ
黄泉よみの鏡をきらめかす 永遠

おのれ尻尾しっぽくわえる
蛇の行く末

・叙事詩ほのほつみ の物語のあらましは、こちら


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