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月下のしずく
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南から北まで広く茫々とした大陸の東の大国、天の中つ国。その南の都市に上陸したあしかび国の火砲隊の兵たちは、日に夜を継いで行った軍事演習がようやく終わった。
そして、天の中つ国に上陸して早1年の歳月が過ぎた。
演習を終えて喜平がたどり着いた兵舎は、天の中つ国の大学の校舎だったという。そこに、英雄の像が建っている。その英雄は、天の中つ国の領地を奪ったhyutopos(ヒュトポス)からの独立を唱え、国民を鼓舞し、自ら率先し立ち上がった。その英雄の功績をたたえ、大学の一番目立つ場所に建てられていたのだ。
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そもそも、あしかび国の今度の戦の大義とは、「大陸の東の国々に生きる同朋として、hyutoposの属国の地位から同朋を解き放ち、ともに栄えよう。そのためには、あしかび国の王ノ王が先頭となって戦う」というものだった。
大陸の東、大いなるひろつ流れ海のなかにぽつんと浮かぶ葦芽のごとき島国、あしかび国。天の中つ国は広さでいえば何十倍もの大きさをもつ。そこに乗り出したのは、「どうも大義ばかりでないような」と、行軍を繰り返すなかで喜平はうすうす気づいていた。
喜平たちの戦の相手はhyutoposばかりでない、あしかび国にはむかうもの、それは「同朋」といったはずの天の中つ国であっても、相手から銃を向けられればすべてが敵となった。
相手の立場になれば、もともとはここは天の中つ国の民たちが暮らしていたのだ。そこに、後からあしかび国が大義を唱えて、乗り込んで来たのだ。
天の中つ国にしてみば、hyutoposがあしかび国に代わっただけで、己が領地を奪われたことに変わりない。
戦の火は、年を追うごとに広がった。
大陸だけでなく、ひろつ流れ海に浮かぶ南の島々へと戦が広まり、その兵士としてあしかび国の若者の多くを動員するまでになった。
男の子ばかりでない。おみなもまた、戦地に赴いた父や夫、兄弟のことを思い、残されたものとして暮らしを守るだけでなく、国として多くの物資を戦地にやるために日々を我慢し、耐えている。
「どうも理に合わぬ」
演習が終わり、久しぶりに浸かった湯のなかで、喜平はぼおっと思った。が、矛盾した考えを整理す間もなく湯舟から出た。
農民として生まれ、学問などというものとは無縁であった喜平は、「みなと仲良く、そして国にため尽くすことだ」と父からの教えを大切に守っている。
今は兵士として目の前に与えられた役目を果たすことに専念することだ、と身体を拭きながら気持ちを新たにした。
戦地にやって来ると、まず若い初年兵の疲れを知らぬきびきびとした動きに、齢40歳を超えた喜平は圧倒させられた。その姿は頼もしくもあり、ひとりびとりの輝く命を愛おしく思った。
「できるなら、ともにあしかびの土をふたたび踏もう」
喜平はそう心につぶいやいたが、無論、戦を導く役目からは、「命を惜しまず戦え」といわねばならない。
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今宵、中天に満ちた月がかかっている。
ことのはを風に伝える神、ほのほつみは、天の中つ国の英雄の像の肩のあたりで、月のひかりを浴びていた。そして、同じ光りのなかに、さきほどとは打って変わって、うなだれてる、喜平の姿をそっと見守っていた。
喜平がうなだれているのは、疲れた身体を洗い流し、湯から上がり、夕食後に妻のつねから届いた手紙を「さて」と楽しみに開け、読んだからだ。その手紙に書かれていたことのはが喜平を哀しみに沈ませた、そのことをことのはを風を伝える神は知っていた。
思えば、1年前、この月を家族とともに、眺めていたのだ。虫が鳴いているのも変わりない。あれは、家族との別れの晩餐だった。
喜平は今、こうして異国の地で、月のみずみずしい光りを身に享けている。その光りはぼぉっと弱く、喜平の心のうちをどこまでも静かに照らしていた。
こうなると、ついつい弱音を吐きたくなる。こうして1年後に異国で、あの時と同じ月を眺めている奇しき因縁ともいうべき我の身の不幸をかこった。
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妻からの手紙、それは「軍事郵便」といわれるもので、遠い戦地に無料で届けられる。
ただ、「軍事郵便」はときに、戦に臨む兵士の士気を弱めるようなことが書かれていないかどうか、あらかじめ封を開けられ内容を改められる。「戦なんか止めにして帰ってきてほしい」というようなことが万が一にも書かれていたら、そこは墨で黒く塗られる。
つねからの手紙は、几帳面な妻らしく、一文字一文字、丁寧にしたためられていた。
喜一、誠二、文三、志郎の男の子4人が親戚や村のみんなに見守られすくすく育っている様子。つねと母とで野良仕事にはげんでいる様が目に浮かぶようで、微笑ましかった。そして、最後のほうに、今年早春に無事おみなのややこを授かり、早穂と名づけたことが添えられていた。ただ、早穂は生まれつき目が見えないようで心配している。が、みんなでかわいい妹として大切に成長を見守っているので心配しないようにと結んであった。
たばこを吸わぬ喜平は、この手紙を読むのを楽しみに酒を売る「酒保」に出向いて、少しばかりの酒を購った。ほろ酔いのこころもちのまま、さてといさんで封を切った。が、その文面を読み、酔いが一気に飛んだ。
心臓が、早鐘をどくんどくんうった。抑えても流れる涙を戦友に見られてはまずいと、ひとりになるため兵舎の中庭に出たのだった。
「戦さえなければすぐにでも飛んで早穂と名づけられた待望の娘の姿をたしかめ、この腕に抱いていられるのに」。
頬をながれる涙を月の光が照らす。
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「喜平さん、哀しいよなぁ、いっぱいお泣きよ」
「我の名をよぶのは? だれだ?」
「わたしだよ、あなたが、ふるさとの鎮守の杜で、わたしをめざめさせてくれた。古びた石の祠で永い眠りについていたほのほつみだよ」
「…………?」
喜平は、突然の声にそれまでかなしんでいたことも忘れた。
一瞬、目の前の天の中つ国の英雄の像が生きていて、我に話しかけているのかと思い、像に近寄った。しかし。天の中つ国の英雄があしかび国のことばなどで話すはずがないと思い直し、改めて像を見上げた。
月のひかりでなまめかしく輝いていた像の肩口から、ぽろりと光がこぼれ、喜平は思わず手のひらでそれを受けた。見ると小さな光のなかに、なにか種のようなうごめくものがあった。
「声を発していたのは、おまえか……? 我は夢をみているのか?」
「ふふふ……、では夢かどうか試してみよう」
「いた!」
ことのはを風につたえる神、ほのほつみは、喜平の頬に飛びついた。
そのとき、喜平はすべてを悟った。
山砲の実弾演習で、竜のようなものをみたとき、ちくりと我の頬を刺したものの正体がこの小さな種のような小さなものだった、と。そして、あの故郷の社からずっと何かが我を見守っているような気がしていたが、それが思い過ごしではなく、この小さな光輝くものだったことを。
「喜平さん、これからわたしがいうことをよくお聞きよ。まあ、信じるか信じないかはおまえの気持ち次第だが……。
なぜ娘が盲になったか、それには少しばかりわけがある。ひとにはわからないことだが、おまえの娘が妻の孕に宿ったころ、おまえ、あの社の境内で蝮を殺したことを覚えているかい? あれは、ただの蛇ではない。境内という聖域を護る竜神の遣い手だった。その怒りをかったのだ。
いや、そればかりか、この間、火砲で破壊した白い塔は、いにしえこの国の竜神の遣い手、竜児を封じておくものだったのだ。
郷では、蝮獲り名人と言われるおまえだが、すこしだけ神の世界に足を踏み入れてしまった。ほんとうについていないね。しかも2度までも、竜神の怒りに触れるなんて。
あっ、そうそう蝮と竜は、神々の世では川を護り、雲にのって地と天をつなぐ神として同族で、ひとの定めた国境なんかにとらわれずに、超えてつながっているのだよ。
これからおまえにふりかかる災いは、それら竜神の怒りによるものだ。でも、捨て鉢になったらいけないよ。
おまえはわたしを永い眠りから目覚めさせてくれた。だから私は、おまえが国に帰るまでずっと見守っていく。わたしはおまえの災いを無くすことはできないが、災いからおまえの身を守ることはできる。そして、必ず郷に戻す。それまでの辛抱だ。いいかい?」
喜平の手のひらから、光が失せた。
いつ現れたか雲が月を隠していた。
今宵のことは夢だったのか? が、小さな光の声をたしかに聞いた。しかも頬に傷みが残っている。
うん、夢でない。
消灯を伝えるラッパが響きわたった。
「まずい!」
喜平は、きびすを返し、兵舎に急ぎ戻った。
【月の唄】
ぽたと どんぐり落ちて
獣の森が目覚めるわ
いっぱい いっぱい 月のしずくがふり注ぐ
ぐわぁと 夜がらす鳴いて
虫の沼がうごめくわ
しずかに しずかに 月のしずくがふり注ぐ
ぽつりと 男がさみしく膝を抱く
みなが寝静まったひとりの窓辺に
しずかに いっぱい 月のしずくがふり注ぐ
陽の醜さを闇にうづめ
陽の正しさを酒にかもし
ひとりしずかに涙する
月のしずくが 光の雨がふり注ぐ窓辺に
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