巡る因果の糸車
あしかび国の火砲隊の兵士、喜平は、蛇神の護りし島々のひとつ、ラボーレ島に戻るために、高山国の港から船に乗った。
喜平が乗ったのは、大型の輸送船であった。
輸送船は無骨なずうたいをぶるぶるとふるわせ、真っ黒な煙をはいて、港をあとにした。その様は、潮巡る太洋、ひろつ流れ海を潮を噴きあげて進む巨大な鯨のようだ。輸送船は2隻がともに連なっていくが、さらに周りには、潜水艦を見つけ攻撃する小型の「駆潜艇」が付いていた。
喜平は、島影が遠くなってゆくのを甲板から眺めながら、胸に下げた護り袋をぎゅっと握りしめた。
護り袋には、鎮守の社のもののふの護符と家族の写真が入れてある。そこに、新たに、金治の遺髪と、永久の色鳥からもらった「種」が加わった。このふたつのために、護り袋はより厚みを増した。
「家族写真は思い出深いが、娘が生まれる前のものだ。娘を入れていっしょに撮らねば、儂は、死ねぬ。なんとしてでも生きて帰らねば」
思えば数か月前、蛇神大島上陸のため、「駆逐艦」に乗った。
駆逐艦は、輸送船に比べ音も静かで、速度も段違いに速い。それは忍びよる鯱のようであった。
蛇神大島への上陸は、先に上陸し敵と戦っているあしかび国の隊の援軍が目的であり、「敵を倒す」。
覚悟をもって望んだ喜平であった。
が、駆逐艦は、あとわずか、島影が見えはじめたところで、敵の爆撃機に空から襲われ、航行できなくなってしまった。
あのとき、駆逐艦は沈められていたかもしれない。が、駆逐艦は大破したものの沈まなかった。ゆえに「拾った命」と思えば、護り袋の重さも軽くなるというものだ。いや、そう思うほかはない喜平であった。
「互いに死に損ねましたね」
声をかけてきたのは、ラボーレ島の火砲隊の同じ隊で通信を担っている工藤幸一上等兵だった。
工藤は、喜平と同じくマラリアの病み上がりだ。喜平より一回り若く、敵の国のことばも話せ、軍隊の幹部候補生だった。
「若い者のいうことばじゃないな。まあ、五体満足でこうして立っていられるんだ。原隊に戻って、もうひと暴れするか」
今は喜平が曹長で、上等兵の工藤幸一より位が上だが、すぐに歳若い工藤に追い越されるはずだ。それが軍隊というものだ。
「でも、AMERIGO(アメリゴ)国の潜水艦から魚雷をくらったらおしまいですよ」
「ボカチンか、たしかにな。でもああやって見守ってくれる船もいる、ここは味方を信じよう」
「自分は泳げんので、ボカチンくったら終わりです。野木曹長、ここだけの話ですが、どうも、通信の暗号が敵につつぬけのようなんです」
「そう言えば蛇神大島のときも、いよいよ上陸というところでやられたな」
「頼りは、あの火砲だけですよ」
工藤が苦笑いを浮かべながら、船尾に据えられた「火砲」を指した。
「形だけはそれらしいが、木で造った弾の出ない火砲か」
「我々は火砲隊ということで見張りをかねて、火砲の台座に座るよう頼まれているんです。しっかりやらなきゃ」
そうだった。喜平たち、原隊への復帰組は、輸送船に「乗せてもらって」いるのだった。
輸送船の正式な「客」は、これから初めて戦地に赴く「初年兵」だった。
その初年兵が、2隻の輸送船に別れ、3,000人ほど乗り込み、船室はいっぱいだった。
「ついで」の喜平たちは、空いている場所を自分で見つけるしかない。見張りも頼まれれば、率先して引き受ける。
そうしたラボーレ島に戻る原隊復帰組は、高山国から何十人と乗ったが、火砲隊5名がひとかたまりでまとめられた。5名は、輸送船の一番後ろに、己の居場所を確保した。
5人のうち4名までは、喜平が顔を見知っていたが、残り1名は知らぬ顔だった。
彼は喜平と同じ歳格好で、立花栄二と名乗った。位は伍長で、喜平より下だった。
戦を重ねて来たであろう立花くらいの古兵となれば、自慢げに戦場での手柄話をおもしろおかしく話すのが常だ。位が喜平より下、部隊も違うからか、立花は進んで自分のことを話そうとしなかった。
「同じ顔をしている」
喜平は立花に勝手に親近感を抱いた。
船室は藁で編んだ筵1枚に、3名が寝る。
場所は、機関室近くの蒸し暑い船室で、さらに、ひろつ流れ海の南、赤道の真下あたりを行くのだ。筵は汗ですぐにびっしょりになった。
喜平の隣で寝ていたのは、若く、がたいのいい工藤だった。
若いゆえ、よく眠る。工藤の手足が喜平の上に乗っかってくる。一度ははねのけたが、無駄であった。そのため、喜平は何度起こされたか。
「まあ、起こすのも気の毒か」
喜平は、船室を出ることに決めた。
喜平は、己の水筒と救命具を持って甲板に出た。
甲板の上は、星が手にとどくばかりだ。南方ですっかりなじんだ十字の星が見える。
喜平は甲板に己の寝場所を探した。
が、甲板はすでに兵で足の踏み場もない。
あきらめかけていたが、小さな小屋を喜平は見つけた。
周りを板で囲い、屋根はトタン板をのっけただけの、いかにも急ごしらえな造りで、鍵がかかっていると思ったら、戸があいた。中は、少しばかりの工具がおかれている。ただ、寝る程度の空きはありそうだが、問題は、すでに先客がいたことだった。
「立花さん……」
「……うん? ああ野木曹長ですか!? どうぞここに」
立花はすでに横になっていたが、起き上がり、喜平のために場所を空けてくれた。
互いに、膝をかかえ横座りになった。
「やはり、古兵は目の付け所が違いますな。甲板は寝る場所もない、助かりました」
「袖触れ合うも他生の縁ですから」
「立花さん」
「はい」
「立花さんは、ひょっとしたら火砲第2中隊では?」
「……」
「いや、不躾な質問で失礼。この船の火砲隊の4名はともに同じ部隊で顔も名前も分かるのですが……」
「そうです。自分は、第2中隊の所属です」
「やはり……」
喜平は、立花の触れてはならない古傷に触れてしまった。
火砲の第2中隊といえば、蛇神大島で、歩兵隊長の中島金治とともに、今年1月2日に、部隊全員、玉砕を遂げたのだ。
「蛇神大島で生き残られたのですね」
「……恥ずかしながら」
「私たちも、あなた方に続いて上陸するはずでした。だが、直前に船がやられ、叶わなかった。」
「知っています」
「そうでしたか。
立花さん、失礼ついでに聞くのだが、歩兵隊の中島部隊も一緒だったかと」
「はい、ともに戦いました」
「中島金治隊長と自分は、同郷で、幼なじみです」
「えっ!」
「金治とは蛇神大島に上陸する前、ラボーレ島で久しぶりに会い、今生の別れと髪を剃り合い、互いに託した。その金治の髪、遺髪がここにあるのです」
喜平は、胸にそっと手を当てた。
「蛇神大島での戦いは悲惨でした」
立花は静かに語り始めた。
「空からはAMERIGO(アメリゴ)国の飛行機、地上からは、AUSUTOS(アウストス)国の兵士が攻めてくる。
上から下からhyutopos(ヒュトポス)勢に攻撃されたあしかび国は、なす術がなかった。
ご存知かと思いますが、あしかび国の部隊は、一度は蛇神大島の高い山中の峠道を越え、AUSUTOS国の陣地に迫る勢いでした。が、そこから敵は猛烈に反撃に転じ、峠を越えて押し戻された。そこに我々が援軍として乗り込んだが、時すでに遅しでした。
なんとか上陸したものの海と空からの補給路はいづれも、AMERIGO国に絶たれ、孤立無援。各自、1か月分の米を背負っていったが、すぐになくなっていた。もちろん、弾薬もです。そんななか、マラリアに倒れる者が続出です。
我々には、敵に降参することも許されていません。『捕虜となり、生きて辱めを受けるな』です。
もうぎりぎりの状態でなんとか正月を迎えた翌日、大隊長から総攻撃の命令が下りました。玉砕です。
1月2日早朝、歩兵部隊の中島隊長は、命令が下されると、まっさきに切り込んでいかれました。それは敵の恰好の的だった。まさに蜂の巣状態でした。
むろん自分たちも後に続きました。無我夢中でした。気が付けば、森のなかに立ちつくしていた。
5人でした。見れば、森を抜けた先の草むらに敵の銃口が見える。
敵に周りを囲まれ、逃げられない。そう判断したとき、だれかが手榴弾を取り出した。だれひとりとして声に出さないけど、取るべき行動は分かった。
5人が車座になり、ひとりが手榴弾の安全ピンを抜きました。信管が作動。着火するまでの数秒はとてもとても、長かった。
耳をつんざく音。目の前が見えなくなりました。しばらくして、気づくと、私と別の1名は生きていた。なぜか分かりません。
敵は爆発音を聞いて、すでに退去したのか、森の外に銃口は見えませんでした。
それから浜の方角にに向かって一目散に駆けだし、海に飛び込みました。必死でした。
何日か、昼真は泳いで、夜は森に隠れました。そうこうしているうちにあしかび国の潜水艦に助けられたのです。
その後は、高山国の軍事病院で療養し、なんとか歩けるようになりましたが、仲間の最期を報告することが生きた自分の務めだ。そう思い、ラボーレ島に向かうことにしたのです」
話を聞き終わった喜平は、沈黙した。涙が流れていた。
もし兵として自分ならどうしたか?
全ての命が消えゆく中で、おめおめと自分のみ生きるか?
「立花さん、よく生きてくれた。ありがとう。今日、あなたから聞いたおかげで金治の家族にも最期の様子が伝えられる。ほんとうに、ほんとうにありがとう」
立花の手を握ったとき、立花は声をあげて泣いた。
そのときだった。いきなり小屋の戸がばたんと閉まった。
「……おや?」
立花が戸を開けた。冷たい空気がすっと入ってきたが、またすぐに閉まった。
そのときだった。ずどんという衝撃音!
「魚雷だ! 命中したぞ!」
甲板で兵が叫んだ。
「しまった! 自分はちょっと下を見てくる」
そういうと、立花は姿を消した。喜平は、手元の救命具を身に着け、立花に続いた。が、そのわずかの間が遅れとなった。
船室に降りる出入口はすでに兵でごったがえしていた。工藤たち仲間のことが心配になり、中をのぞいたが、だれがだれだか見当つかない。
そうこうするうちに、もう1発、船の後尾に命中した。
マストが根本から折れ、喜平の足下に倒れてきた。船は、真っ逆さまに棒立ちになった。
喜平はもう立っていられなくなり、多くの兵やものが船首からころがってくる。それらといっしょに、喜平は海に投げだされた。
【渚の物語】
渚に一粒の涙のこぼれる
足をひきずりゆく兵士
それを助けるものはいない
渚に一個の貝の流れ着く
裾を濡らし歌う娘
その唄を聞いたものはいない
渚に一陣の風の舞いあがる
天を登りゆく竜
それを見たものはいない
渚に生まれ 渚に消える
生々流転のときの間《はざま》の
神物語の展がりゆく愛しきしじま
・叙事詩ほのほつみ の物語のあらましは、こちら