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闇に再びレンズの男
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潮巡る太洋、ひろつ流れ海の赤道すぐ南に浮かぶ蛇神の護りし島々。その最大の、蛇神大島に向かった喜平たちのあしかび国兵の船団は、上陸前に、hyutopos(ヒュトポス)はAMERIGO(アメリゴ)国からの攻撃に遭い、やむなくラボーレ島に引き返した。
そして、農民上がりの兵士、喜平はラボーレ島で、新年を迎えることとなった。早いもので、戦場での正月は4度目だ。
喜平は齢40|を超えたころ、あしかび国の王ノ王の戦のための大義「わが同朋である大陸の東の民たちをhyutoposから解き放つ」により、火砲兵として駆り出されたのだった。
「もう4年……」
昨年の正月もやはり戦場だった。そう、天の中つ国の華港の都市で迎えたのだった。そこから1年がはじまり、夏の盛りのころ森繁るヒンジャブ国に進軍していた。
それらは幸いにも勝ち戦であった。
喜平はその頃、ぼんやり思ったものだ。
「俺も兵としてはもはや古兵の役立たずだ。褒美として故郷に返してもらえるかな」
が、そんな淡い期待はすぐに消えた。
その年も残り2か月というところでラボーレ島に着いたのだ。
そして、上陸後すぐに、蛇神大島に戦をするために渡ることになった。蛇神大島は、ラボーレ島と同じく蛇神の護りし島々のひとつで、最も大きな島である。が、島に上陸する手前で、敵の襲撃に遭い、敗れた。喜平にとって、はじめての大きな挫折となった。
思えば、天の中つ国の南に位置する華港島の正月も暑つかったが、ラボーレ島はそれ以上だ。なにしろ、赤道のすぐ南、気温は30℃を超え、午後は、約束のように激しい雨が襲ってくる。
南の島で、せめて気分だけは故郷にいるようにと、椰子の葉の下で餅をつき、皆で食べた。ただそこに、「ことしも豊年万作であるように」と海の幸、野の幸をならべるあしかび国の正月料理はなかった。
正月といえば、農民としての喜平は、その年に採れた稲わらで「しめ縄」を綯い、新玉の歳を迎えるのがならいであった。
藁で綯った「しめ縄」は、家の門口からはじまり、先祖をまつる棚や祠、火を燃やす竈や風呂の焚き口までそれこそ家中に飾る。そして、めでたく正月を迎えたら、日の出を拝み、井戸でくんだ水を「しめ縄」の前に供え、「家族みんなが安寧であるように」と祈る。
そんなささいなことが今となっては懐かしい。
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正月明け、三日。
火砲隊の幹部の兵舎に主立った者が集められた。ある報せが入ったという。
1通の電信文が手から手へ回される。読んだものは、「えっ」「まさか」と驚きの声をあげる者、「馬鹿な」と絶句し涙を流す者、なかに「信じられん」と怒りだす者までいる。しんがりの喜平に電信文が回ってきた。
ヘビガミオオシマノ ワガグンハ カカンニ テキトタタカエドモ コンネン1ガツ2ニチ ゼングン ギョクサイス
終わり文字に、喜平の目がくぎ付けになった。
「ギョクサイス」
玉砕-。
玉となり散る。
昇った陽に朝露が消えるように、ひとの命が消える。
電信文のギョクサイの一語に、喜平の目の前に、ありありとある場面が浮かんできた。
蜂の巣のように敵から弾を撃ち込まれる兵の身体。飛び散る血潮。うめきながら斃れゆく何千という兵の声すら聞こえてきた。
「金治……」。
喜平は、わずか2か月前、椰子の浜で髪を剃りあった幼なじみの顔を思い浮かべた。そして、後を追うように己も同じ蛇神大島に向かったものの、上陸がかなわなかった。紙一重の友と己の運命を想った。
野木喜平は、幹部がいる兵舎を出た。そして、あしかび国の火砲隊の曹長として、配下の兵たちを集め、整列させた。
兵の整うのを待って、隊長が短く告げた。蛇神大島に渡った兵たちが、善戦及ばず全員玉砕した、と。
「かしらーなか」
喜平が号令の声があげると、兵たちは敬礼を捧げた。そして、泣いた。
雨が降り始め、兵たちの姿が消えた。が、喜平は、しばらく茫然と立ちつくした。
喜平は、ひとり雨にうたれている。
これまで戦場で、何人もの兵の死を見て来た。ひとばかりか、荷を運び、ともに歩んだ馬の死にも直面した。
また、己自身、火砲兵として敵の命を奪いもした。
兵となり、死に向き合うこと、命を奪うことの傷みがいつの間にか薄れていった。が、身近な者が目の前からいなくなり、2度と会えない哀しみの大きさがこれほどとは、想ってもみなかった。
喜平のもとに遺されたのは、中島金治から「妻へ」と託された短い髪の毛のみだ。そこへ、雨のなかを1匹の「ねずみ」のような獣が、椰子の陰からはい出る。そいつが、喜平の足下にやってきた。
喜平は、足下にまとわりつく正体にに気づかず、振り払おうと、蹴飛ばした。
「き~」という鳴き声で、はじめて、獣に気づいた。
「なんだ? ねずみか?」
見たこともない1匹の「ねずみ」がそこにいた。
あしかび国で、ひとに「ねずみ」が近づくことは、まずない。そもそも「ねずみ」は米や豆を食べるし、病をまきちらすので、農民にとって駆除すべき「害獣」であった。なんとも不思議な光景だ。
「こいつめ!」
喜平は、何度も「ねずみ」を追い払おうとしたが、足下にまとわりつき離れない。喜平はいつしか悲しみを忘れ、「ねずみ」を追い払らうのに真剣になった。追いかけるうち、そやつがあしかび国の「ねずみ」と違うと気づいた。動きがのろく、目がまんまるだ。
そういえば、ラボーレ島に、木に昇り、腹のなかで子を育てる「ねずみ」がいると、どこぞで聞いたような?
雨はますます強くなる。
椰子の木の根元で、「ねずみ」が喜平をじっと待っている。
腰をかがめそいつを見つめる喜平。目と目があった瞬間、肯んじた。
「おまえは、小さき神」
そう、まさしくそれは、ことのはを風に伝える神、ほのほつみであった。
「これ、どこへいく」
これまで、小さき神、ほのほつみは、ことのはにのせてそっと喜平に語りかけてきた。が、今日は無言で、逃げるばかりだ。
喜平は、獣を追いかけ、椰子の林の奥に入り込んでいった。
と、見慣れぬ、椰子の葉で屋根をおおった建物に行き着いた。建物は、ラボーレ島の民たちが暮らす高い床の家だった。
「ねずみ」、いや、ほのほつみが、建物に備えられた階段をするするっとつたい、建物のなかに消えた。
「おい、だいじょうぶか」
ふだんの喜平は、あしかび国の兵として、ラボーレ島の民に近づくことはしない。しかし、この時は、なにかに憑かれたように、家の階段を一気に昇り、そして、扉を開けた。
扉の向こうに暗がりがあった。重くうねるような、風にささやくような音があった。
「なんだ?」
喜平の目が暗がりに慣れると、奥のほうに小さな灯火が見えてきた。奥にぼんやり十字が浮かび上がる。その前に、固まって座るひと影。
喜平は耳を澄ました。それは、歌のようだ。しかも女性の。意味は分からぬが、静かに、囁くように、女たちの声が響いてくる。
喜平は、歌に包まれた。身体全体が温かいものに包まれ、それまでの怒りも、寂しさも、哀しみも忘れた。
喜平は、思わず尻からしゃがみこんだ。どすんとというひとの気配に歌がやんだ。
ひとりが喜平のもとに近づいてくる。
ひとの息が喜平の前まで迫った。暗がりに溶け込む肌の色。それはまさしくラボーレ島の民の女であった。
女が喜平になにかを語りかける。やさしく、それでいて何かを問い詰めるように。
「……いや、儂は何もせぬ。安心しろ。邪魔をして悪かった。失礼する」
喜平は、立ち上がると、ぺこっと頭を下げ、建物を出た。
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喜平は、椰子の葉で拭いた家をあとにした。
そのときであった。
喜平は椰子の林の奥に、あのレンズの男を認めた。
闇に浮かぶ眼鏡の男。
子どものころ、祭の夜に喜平が見たあの男だ。それは旅芝居の一座の舞台の裏だった。しかし、ここはラボーレ島だ。
「まさか……。いや、待てよ。たしか、最近もあやつを見た」
あれは、ヒンジャブ国の兵舎の廊下だった。その暗がりであのレンズの男を見たのだった。
レンズの男に出会うたび、身近なだれかが死ぬ。
父、そして幼なじみの金治……。
喜平はレンズの男を追いかけるうち、方向を見失ってしまった。
喜平は椰子の林をしばらくさまよった。ようやく浜に火砲隊の天幕を見つけると、力が抜け、足から崩れ落ちた。雨に濡れたせいか、寒い。身体が震えはじめた。
「野木曹長、どうされたのですか? みな心配していますよ」
喜平を見つけた兵が声をかけた。
「いや、なんでもない。道に迷ってな、少し疲れた」
喜平は己の天幕に潜り込むと、意識を失った。その夜、高熱に襲われた。
マラリアに侵されたのだ。
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【蒼(あを)の哀歌】
めぐるめぐる陽と月と星のときどき
めぐりめぐるくるひとひととのあわい
喪われゆくときをいつくしみ
消えゆくひとの霊を想う
蒼いときとの巡りを哀しみ
蒼いものたちに満たされゆく
蒼蒼としたいのち
蒼にあふれる命を前に 私はつかれる
・叙事詩ほのほつみ の物語のあらましは、こちら