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母よ病は癒えたぞ
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ことのはを風に伝える神、ほのほつみは、不老不死の海亀の背なの苔につかまり、潮巡るひろつ流れ海を北に向かっていった。
ラボーレ島でマラリアに侵された喜平が、治療のためにうるわしの島、高山国の病院に送られる。ことのはを風に伝える神、ほのほつみは、それに付いていくためだ。
その病院は戦に傷つき、病に侵された前線の兵たちの病を治す軍の大きな病院で、野戦病院と違い、マラリアの薬も十分に備わっている。
病院のある島は天の中つ国の近くにある。その島は、あしかび国が天の中つ国に戦をしかけ、属国とし、いまはあしかび国の領地となっていた。島は、そう仮に「高山国」とでも呼んでおこう。島の真ん中を緑生い茂った高い山が連なっている。そこを訪れたあしかび国の民は、季節のうつろいなく、一年をとおして緑にいろどられたその島を「うるわしの島」と呼んだからだ。
航海は、3日も続いただろうか。すでに潮巡るひろつ流れ海は、あしかび国にとって安全ではなかった。
hyutopos(ヒュトポス)の一国、AMERIGO(アメリゴ)国の潜水艦が鮫のようにうようよしていた。いつ潜水艦から魚雷が発射されるとも分からぬ。魚雷は音もなく近づき、船を沈める。唯一、病院船の「十」字の旗印だけが頼りだ。故に、潜水艦にその旗印が見えるといいのだが。
船がぐらぐらっと大きく揺れた。そして、ごつんと接岸する音。高山国の北の港に喜平を乗せた病院船は着いた。喜平は、担架に乗せられ、島の病院に運ばれた。
一方、喜平を追ってついてきたことのはを風に伝える神、ほのほつみも、高山国に着いた。
「海亀さん、どうもありがとう」
小さき神、ほのほつみは、不老不死の海亀に礼をいった。
そして、上を見れば、まさに風に舞い海を行き来する蝶の群が飛んでいる。これ幸いと、海から立ち上る気流にのりその蝶の群に紛れた。
風に舞い海を行き来する蝶は、いまごろは、南から北を目指して飛んでゆく最中だった。産卵のため北にゆく蝶は、ひろつ流れ海に浮かんだ島伝いに北へゆく。まさに高山国は、風に舞う蝶が羽根を休めるために立ち寄ったのだった。
喜平の病も気になるところだが、ほのほつみは、同じ神として、高山国に来たら訪ねねばならぬ神を思い、そちらに向かった。
高山国のすぐ近く、天の中つ国の間近に、船乗りからひろつ流れ海の導き神として崇められている、姚光子(ヨウコウシ)の生まれし島がある。
高山国をはじめこのあたりは、船乗りが多く、姚光子を船の導き神、船霊を船に祀り、町には姚光子廟があちこちにある。ほのほつみは、高山国に着いたら、まずは久しぶりに姚光子の祀られいる廟《びょう》を訪ねてみるつもりだった。
「喜平さん、この蝶といっしょにあしかび国に帰れればいいが、その日はまだ先のようだ。まずは、ここでじっくり静養するんだよ」
あしかび国の火砲兵、喜平は、ほのほつみの声に応えるかのように、数日間こくりともせず眠り続けた。そして雛が卵の殻を割るように、朝が訪れるとともに目覚めた。久しぶりにすがすがしい目覚めだ。
喜平が目にしたのは、椰子の葉で葺いた天井でなく、白く塗られた木の天井であった。
己の手のひらを目の上に差し出し、ぎゅっと握る。節くれだった土がしみついた男の手。
「儂は、まだ生きているようだな」
喜平は独りごちた。
部屋を見回すと、蚊帳を吊ったベッドに自分と同じような患者がずらり寝ている。ここは大きな病院のようだ。
「キヘイさん、目さめたのね、おはよー」
たどたどしいあしかび国のことばが喜平にかけられた。見ると、ふくよかな女の笑顔があった。
ここ数か月、眉間に皺を寄せた顔ばかり見てきたので、笑顔を見るのも久しぶりだ。喜平は思わず笑みを返した。
「うん、おはよう。あんたは? 看護婦さん?」
「私は、高山国軍事病院の看護婦、さえといいます。あなたのお世話をします。よろしくね」
「さえさん……ですか、よろしくお願いします」
喜平は、「さえ」という名から、まだ見ぬ自分の娘、「早穂」をなぜか想った。
中年のふくよかな女とまだ4歳の娘がつながりがあるはずもない。それは、名の「さ」というやさしい希望に満ちた音がいっしょだったからか。いや、すべてを包み込むような女の笑顔が、盲でありながら兄たちや親戚に見守られすくすく育っているという娘の姿を想い出させたのだ。
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喜平は、さえという看護婦からおおよそ自分の病状を聞かせてもらった。
顕微鏡で検査をして熱帯のマラリアであることが分かり、すぐにマラリアに効く薬の注射を打ったこと。ここに運ばれると安心したのか眠りっぱなしだったこと。熱がようやく下がったが、まだ安心できないこと。
「マラリアはすぐにまた熱がでますからね、しばらくはおとなしく寝ていなくてはだめです、いいですか?」
さえは、いたずらな幼児に言い含めるように言った。
にんまり喜平も「はい」とうなづき、こんなに肩肘はらずに素直になれたのはいつ以来だろうと、こそばゆくもうれしかった。
水のように薄いかゆから始まり、少しずつ米の歩合が増え、普通の飯が食べられるようになったころ、喜平は起き上がり、危なっかしくも伝い歩きができるようになった。
歩けるようになると、この病院の事情も少しずつ理解した。
主な医師は、軍隊の所属にあり、あしかび国から来ている。が、看護婦のなかには、多くはないが病院のある高山国の民も含まれるている。看護婦のさえが高山国のことばでなく、たどたどしくもあしかび国のことばを話すのは、すでにあしかび国が高山国を領地にしてから数十年たち、「王ノ王への忠誠」をはじめあしかび国の国人として徹底して教えこまれたからだった。
元気を取り戻し、さえと身の上話をするなかで、喜平は、さえが高山国の生まれであることを聞き出した。
「あしかび国のことばがとても上手ですね」
お世辞でなく喜平はさえをほめた。
「そんなことないわ」
さえは、照れたがうれしそうだった。
無論、自分に「早穂」という娘がいて、戦に出てから生まれたのでまだ会えていないことも、さえに話した。
「そう、早く元気になって帰れるといいね」
さえが喜平を元気づけるためにかけた一言に、自分はいまだ兵士であること、さらに故郷とは真逆、南の島、ラボーレ島で待っている部下や馬のために戻らなくてはならない現実を突きつけられた。
「ふふふ、そうだな、いつ帰れるかな」
喜平はいよいよ明日、高山国軍事病院を退院することとなった。
その前に、高山国の町でも目に焼き付けておくか、そんな余裕すら生まれてきた。
喜平は、外出の許可を得て、小半日、町に出ることにした。
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相当なまっていると思っていた身体だが、最初こそたどたどしい歩みであったが、すぐにしっかりとした足運びとなり、ほっとした。
天の中つ国の華港もそうだったが、高山国もまた赤い色が町にあふれている。とくにいまは、早い春を告げる街路の木々が一斉に赤い花を付け、生気に満ちていた。
通りには、さまざまな商いの店が軒を並べている。喜平は、高山国の風景を描いた絵はがきを何枚か買った。久しぶりに家族に便りでも出そうと考えたのだ。
代金を支払おうとしたとき、傍らに、金で刺繍したかわいらしい真っ赤な靴が目に入った。思わずそれをつかむと、「これも」と店員に差し出し、購った。
たいした額ではないが、買い物することでこんなに心がうきうきするとはな。
久しぶりに浮き立つ心を抑えながら、喜平は表通りから路地に目を向けた。そこは赤い色の旗や提灯が飾られ、大きくはないがなにか廟のような建物があった。喜平は、導かれるように廟に踏み入った。
廟の奥に何かをまつる堂があり、扉が開いていた。堂のなかは、広くはないが壁や柱が黄色と赤色で彩られ、中央に壇があった。そして、壇に女神が祀られていた。女神の顔はぽってりとふくよかで、目は半眼、微笑んでいるようにみえる。
どことなく、看護婦のさえを連想させる。
喜平は、ポケットから小銭を出し、賽銭箱に投げ入れると、無言で強く強く祈りを捧げた。
「どうか、無事、この戦を乗り越え、家族と会えるように」
そのときであった。堂全体がなんともいえない美しい光に包まれた。そして、光は目の前にひとつの固まりとして集まり、光となって浮かんだ。
「喜平さん、ようこそ、姚光子(ヨウコウシ)さんの下へ」
「その声は、小さき神」
喜平は、目の前に浮かんでいる光を手のひらに受けた。
「そうだよ、身体が元にもどって良かった、よくがんばりました」
「ありがとう、小さき神」
「ここはね、ひろつ流れ海の導き神、姚光子さんを祀っているんだ。船を安全に導いていくれる神なんだよ、美しいだろ? これからまた戦場に戻らなくてはならない喜平さんだが、家族に会えるようにという願いはきっとかなう。ただ、それまでにはまだ少し超えなくてはならない試練があるんだ。そのことは前もいったけど、ラボーレ島への船旅で試練にあったときは姚光子さんを思い出すといい。ね、姚光子さん」
すると堂の奥の女神の目がひらき、ぼおと光り輝いた。
突然のできごとで、喜平は力が抜け、ことばもなくその場に座りこんでしまった。
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荷造りをしながら、喜平はまだ夢心地であった。
ひょっとしてまだマラリアが完治していないのかとも考えたが、熱は出ていなかった。
そして我に返り、あの小さき神とは? と考えた。
あの小さき神とは、いったい何者なのか? これまで幾たびも助けたすられてきた。
助けられたばかりか、兵士としてだれにもいえない辛さ寂しさも、「ない」ようで「ある」、それをあの小さきものに語ることで気が晴れた。
「儂のなかで、いつの間にかなくてはならぬ存在になっていた。
いったいあやつは何の護り神なのだ? 狐が稲荷神のように何かの化身なのか? それとも祟り神?
まさかな。さまざまに姿を変えるあの小さき神とは?」
そんなことを考えながら喜平は、荷物をまとめ終わると看護婦のさえさんに、油紙で包んだ小さなの荷物を託した。
「さえさん、いろいろ世話になりました。ありがとう。おかげでこんなに健康を取り戻すことができた。お世話になった上であつかましいが、これをあしかび国へ出しておいてほしい。家族への郵便物だ」
「キヘイさん、わかりました、これはあずかります。でも、まだお国には帰れないのね」
「ああ、まだやらなければならないことがあるから」
「どうぞ、お国のため、がんばってください。ご無事をお祈りしています」
「ありがとう、あなたもね」
それから数週間、喜平は高山国で、戦のできる身体に戻すための訓練を行った。そして、高山国の港から船に乗ることになった。ひろつ流れ海の島伝いに、蛇神の護りし島、ラボーレ島に向かうために。
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【あなたに】
あなたに私のことのはを届けます
風にまぎれてしまわないうちに
息吹をしっかり吹きつけ
このことのはを送ります
あなたに私の哀しみを届けます
波にまぎれてしまわないうちに
涙をとどめなく流し
この哀しみを歌います
一粒のことのはは大きな風をよび
一粒の涙は大きな波となり
大きな大きなうねりとなりますように
そうあなたをまるごと包みこんでしまうほどに
・叙事詩ほのほつみ の物語のあらましは、こちら